松本修著『ぼくの演劇ゼミナール』

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2018年3月25日
【書評】
演技をめぐる冒険の軌跡
片岡義博

 「いい演技とは何か」「どうすればいい演技ができるか」について、これまで数多くの俳優や演出家が考え、論じ、記してきた。本書は現代演劇の先端を担ってきた演出家の、いわば演技をめぐる冒険の記録だ。その試行錯誤の軌跡は、私たちに「人が演技すること」の難しさ、奥深さ、面白さを教えてくれる。

 著者の松本修は、チェーホフの戯曲やカフカの小説を自在に再構成した舞台で数々の演劇賞を受けてきた。世代的には野田秀樹や渡辺えりといった小劇場演劇「第三世代」に属するが、学生劇団から出発し新劇団の老舗たる文学座の俳優となった松本は、そこでまず「自然な演技」を求められる。

 ところが、劇団には「自然」ではなくても「うまい演技」が厳然と存在した。説明的な口調や思い入れたっぷりのせりふ回しはどの新劇団にも共通するが、決して自然でもリアルでもない。そもそもすべての劇団が共有する演技のスタンダードが日本には存在しない。一つの舞台では共通の基準に則った表現方法で演じられるべきではないか―。

 1989年、企画ごとに俳優やスタッフを募る演劇集団MODEを設立。出自の異なる俳優たちがテキストを素材に即興的に演じるワークショップを重ね、演技のスタンダードを模索した。その方法が独特だ。

 稽古中に音楽を流して、そのリズムや流れを身体に染み込ませる。役を入れ替えて自分とは異なる役作りを見聞きさせる。演じていない時の心身の状態や発声の仕方を記憶させ、演じている時の自分をコントロールさせる。要は演じ手が自分の演技の型や癖にハマらないようにする。それによって俳優の表現の可能性を広げ、参加メンバーに共通する演技スタイルを創り出していった。

 『アメリカ』(2001年、世田谷パブリックシアター)をはじめとする「カフカ四部作」に向けたワークショップでは、音楽に合わせて歩く、単純なステップを踏むといった身体の動きを付け加えた。身体の動きはそれぞれの演技スタイルの違いをなくす。さらにダンサーを振付に迎えて芝居にダンスの要素を取り入れると、俳優の表現の選択肢がぐっと広がった。それは「自然な演技」や「うまい演技」ではなくても「面白い演技」になった。

 さて、こうしたワークショップを経て、どんな舞台が出来上がったか。本書では演劇雑誌やパンフレット、ブログに掲載された著者の文章やインタビュー記事を並べ(テキストの断片をコラージュするMODE作品みたい?)、ユニークな創造プロセスの実際を紹介している。しかし作品を見たことのない読者は、その舞台を想像すらできないはずだ。その意味では著者の言葉が届く読者は限られるだろう。

 ただ、松本修という演出家が、作品に求められがちなテーマ性や社会性、分かりやすい物語性をできるだけ遠ざけてきたことが分かる。それら説明できるものは、表現が本来持つ可能性をどこかで狭めてしまうと考えるからだと思う。

 求める演技にしても、定型のスタイルや癖から自由になることが常に志向されてきた。演技をめぐる試行錯誤は、表現の可能性に開かれた自由を獲得するための闘いとさえ言える。

 ある役割や性格を演じて過ごす私たちの日常もまた、決まった考え方、ふるまい方にハマりがちだ。その枠から一瞬でも解放してくれる芝居は面白い。MODEの舞台は、もしかしたらそうした面白さを追求してきたのではないか。

 文中、気になる指摘があった。大学で演劇を教える松本は「動ける役者のセリフのほうが面白い」と記す。大学で「演技が面白い」と感じさせる学生は、ほぼ例外なく舞踊の経験があるという。松本は「舞踊の発想というか、『抽象』を作り出す作業を面白がれる才能が演劇にも必要」とだけ書いている。たとえばそれは「生命」を身体の動きで表現してみるような発想と営みを指しているのだろうか。ここには松本の考える「面白い演技」の秘密があるような気がする。

 

【書籍情報】
書名 ぼくの演劇ゼミナール
著者 松本修
定価 2376円(税込)
出版社 言視舎
出版年 2018年3月
ISBN 978-4-86565-117-1

 

【筆者略歴】
片岡義博(かたおか・よしひろ)
 1962年生まれ。共同通信社記者(演劇、論壇などを担当)から2007年フリーに。小平市在住。

 

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