柳沢に模擬原爆投下から70年 ブックレット「じゃがいも畑へパンプキン」広まる
1945年7月29日午前9時23分。米軍のB29爆撃機が東京上空から大型爆弾を投下した。本物そっくりに作られた4.5トンもある模擬原子爆弾。それが現在の西東京市柳沢1丁目のしじゅうから第2公園付近で爆発した。当時じゃがいも畑だった現場で、住民3人が死亡、11人が重軽傷を負った-。こんな70年前の出来事を記録したブックレット「じゃがいも畑へパンプキン」がこの春に刊行され、市民の間で読まれている。
発行したのは「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」。毎年柳沢公民館ロビーで開いてきた「平和のための戦争展」の実行委員会で記録作りの話が持ち上がり、編集委員が毎月会合を重ねて3年がかりで完成した。
このブックレットによると、米軍が日本各地に落とした模擬原爆は7月20日から8月14日まで計49発。長崎に投下されたプルトニウム型原爆と同じ球体タイプ。表面の塗装が黄色なのでパンプキン(カボチャ)と呼ばれた。
模擬原爆は、最終目標だった広島、新潟、京都、小倉の周辺地域に落とされた。米軍の爆撃任務報告書では、7月29日は第1目標の福島県・郡山を目指してB29が3機、南方のテニアン島基地を出撃した。雲があって郡山に投下できなかった1機が東京方面に進路を変え、軍用機などを製造していた武蔵野市の中島飛行機武蔵製作所を狙った。しかし目標を外れ、600mほど離れた柳沢のじゃがいも畑に着弾した。このB29は、8月9日に長崎に原爆を投下した爆撃機だったという。
1991年ごろから、愛知県春日井市の市民らが調べ始めて、各地の模擬原爆投下の実態が明らかになった。このとき問い合わせを受けた住吉公民館の井藤鉄男館長(当時)が聞き取り調査などに動き、柳沢に投下されたのが模擬原爆だと分かった。
ブックレットはほかに、現場にいた住民の体験と証言を載せ、模擬原爆の説明や原爆投下の役割を担った米軍の秘密部隊の実態、さらに原爆開発の経緯や無差別都市爆撃と国際法の関係なども、写真や地図、イラストなどを豊富に使ってまとめている。
「記録を残す会」事務局長の西田昭司さんは「模擬原爆が柳沢に落とされ、十数人が死傷したことはほとんど知られていません。被害者の中には『思い出したくない』と言う人がいるほど深い傷を残しました。体験者の思いを大切に、多くの方々に語り継ぐため記録にとどめようと編集しました」と話している。
A5版、68ページ。爆弾が黄色だったため、表紙も黄色に仕立てた。頒価500円。西武新宿線田無駅南口駅前のむつみ書店(西東京市南町5丁目5−2)で購入出来る。または事務局の西田さん(電話090-5824-4659)へ。
(北嶋孝)
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