「謙虚に反省して今後の対応を検討」 丸山市長が災害対応で答弁

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙環境・災害 オン 2016年9月25日

教育長招集を「失念」

 災害対策本部の本部長は市長、副本部長は副市長と教育長、本部員は関係部署の部長らと防災計画で決められている。ところが、庁内の関係者が一堂に会した「本部会議」は開催されなかった-。12日の委員会で明らかになったその経緯と対応が、20日の委員会であらためて説明された。

 危機管理室の坂本室長によると、本部会議の代わりに開かれたのは、市長、副市長、企画部長、総務部長、危機管理室長らが集まる緊急会合「即時対応会議」だった。田無庁舎と保谷の防災センターでそれぞれ一度開かれた。しかしその席に、防災計画で構成員とされる副本部長の前田哲教育長の姿はなかった。

 その説明を求められた危機管理室の答弁は度々「暫時休憩」。資料作成のため昼休みを挟んで3時間半近く委員会が中断した。委員の間からため息が漏れ、叱責の声も飛んだ。

 一連の経過や対応の説明に納得しない委員会の要請を受けて、丸山浩一市長が午後6時40分すぎに出席した。議会事務局によると、条例の審査で提案の趣旨などを説明するため出席する例はあるが、委員会の事務調査に市長が出席するのは珍しいという。夜のほぼ1時間半、異例の市長答弁となった。

 丸山市長は冒頭、それまでの質疑を引き取る形で「市長になって3年半になるが、緊急避難勧告の発令は初めて。市民の生命、財産を守ることを第一に考え、防災計画にもある即時対応会議を開いて住民の避難などに迅速に対処した」などと述べた。

 桐山ひとみ氏(統一会派みらい)が「その会議に、副本部長の前田教育長が呼ばれなかったのはなぜか。特に2度目は保谷の防災センターで開かれた。教育委員会は保谷庁舎で仕事をしている。すぐ近くにいるのにどうして呼ばなかったのか」と重ねて尋ねた。丸山市長は「決して教育長を意図的に排除したわけではない。単なる失念だった」と述べた。

 副市長以下の幹部職員らは、市長の「失念」があったとしても、副本部長である教育長の不在に気付かなかったのだろうか。21日の予算特別委員会で森てるお氏(無所属)は、池澤隆史副市長にこの点を質した。池澤副市長は「(避難勧告と災害対策本部設置など)初めての対応で、意識が薄かったと反省している」と答え、指摘・進言できなかったことを認めた。

市長の所在と連絡態勢

 丸山市長が災害対策本部に常駐していなかったため、所在確認と連絡態勢も取り上げられた。

 最初の即時対応会議は田無庁舎の市長室で開かれた。市長は午後1時10分に、防災センターの災害対策本部に移動。状況説明を受けた後、2回目の同会議を開催した。その後、住民が避難した東伏見コミュニティセンターを訪れ、2時40分頃に田無庁舎に帰った。夕方の午後6時30分から庁内で開かれた男女平等参画推進委員会に出席した。

 納田さおり氏(無所属)は、市長が委員会に出席したときは土砂災害警戒情報がまだ解除されておらず、災害対策本部も廃止されていなかったなどと指摘。「災害対策本部が設置されたら、平時から非常時になる。肝腎の本部長が他の会合に出て、直接連絡、対応できないのは問題ではないか」などと質問した。これに対して丸山市長は「今回は新しい委員の委嘱や正副委員長の選出、諮問などが予定されていたので、副市長と事前に打ち合わせ、危機管理室とも対応を話し合ってから出席した。万一の場合は直接連絡が取れるようになっていた」と説明した。

 避難勧告解除、災害対策本部の廃止、避難住民の帰宅などが終わった午後7時30分に丸山市長は退庁した。大雨警報と水防情報連絡態勢が解除されたのはその1時間後、午後8時30分だった。「退庁した後はどこにいたのか」との問いに対して丸山市長は「退庁して公務外だったが、常に連絡が取れる態勢だった」と述べて、所在は明らかにしなかった。>> 次ページ

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