東久留米市中央図書館

ウィキペディアタウン in 東久留米 

投稿者: カテゴリー: 暮らしメディア・報道 オン 2017年2月22日

 インターネット上の百科事典ウィキペディアに記事を掲載し、郷土の歴史や文化などを発信しようとするイベントが全国各地で始まっています。図書館が媒介役になり、市民が「わがまち」を発見し、考える試みでもあります。関連イベントに参加した東久留米市中央図書館の図書館専門員藤井慶子さんが参加体験を踏まえてまとめた報告が図書館関連情報のメールマガジンに今年2月半ばに掲載されました。同館は昨年9月、「ウィキペディアタウン in 東久留米」を開催。今年も第2回を3月26日に予定しています。ネット時代の新しい著作権ルール(C.C.ライセンス)表示がありましたが、あらためて本人とメルマガ発行元に連絡し、了解を得て報告全文を再掲します。(編集部)

 

 

◎ウィキペディアタウンというプロジェクトについて
  (藤井慶子・東久留米市立中央図書館 図書館専門員)

 

◆「ウィキペディアタウン」について、いま思うこと

 私の周囲には、様々な立場や職業の方がいて、もしかしたらウィキペディア自体を知らない人もいるし、知っていても読んだこともない人もいるし、信用できないからと敢えて見ないようにしているという人もいると思います。

 2016年は当館での開催も含め、計5回のウィキペディア関連イベントに参加しました。随分ウィキペディアのイベントに入れ込んでいるという印象を与えてしまうかもしれません。ウィキペディアの記事作成を啓蒙しているつもりはありませんが、誰でも一度は試しに書いてみてほしいと思っています。この辺は、大事な違いだと強調しておきます。書くことを強要はしないけれど、書くための一連の行為を体験をすることは、「考える人」を育てることになるからです。

 

◆インターネットのフリーの百科事典・ウィキペディア

 誰でも編集でき、誰でも使えます。ゆえに誤った情報があったり、伝聞程度の情報が混じったり、誹謗中傷やいたずら記述が発生することもあります。信頼性がないものと思われていますが、実は、自分でウィキペディアを編集することで、世に流れている情報の「怪しさ」「危うさ」、発信することへの責任を一度に実感できるのです。

 ところがいざ書いてみようとすると、最初は「何も書けない」ことに気付いて呆然とします。それは記述方法が分からないからではなくて、「事典」としてあるべき姿におさめる構成力が、自由であるからこそ問われるからです。

 自分の思うことや意見を綴るブログ・SNSの投稿と違い、確かな事実を、人の言葉ではなく自分の言葉で、人に役に立つように、読みやすいように、書く。これはプロのライターでもなかなか難しいかもしれません。

 「みんなでつくる百科事典」といいながら、日々ウィキペディアを書いている「ウィキペディアン」といわれる人々は本来お互いに顔を合わせることはないし、議論はあってもネットの上でだけ。合議制の形は取りつつ、基本は個人活動です。そんな個人の活動の積み重ねがそれぞれの記事となっていることは、履歴を見れば分かるようになっています。

 

◆「ウィキペディアタウン」とは何か

 イベントとしては、地域の項目をウィキペディアに作成して全世界に発信することを目的とした、フィールドワークと編集作業を組み合わせた一種のワークショップです。ウィキペディアには「典拠」といって、正しい情報をもとに書いたということを示す参考文献やサイト等の記載も求められています。その「典拠」をつけるためには、図書館で資料を探すことが有効です。

 図書館にとって、あるテーマに関するあらゆる角度からの情報を提供することは、長年蓄積してきた資料群を活用してもらえる「願ったり叶ったり」の機会です。

 

◆ウィキペディア編集のむずかしさ

 「いざウィキペディアに書こう」とすると記述法が分からないという以前に、何をどう書いていいのか分からなくなってしまうのはなぜなのか。これは、まず「資料を読み込む」ことに慣れているかどうかで、差がついてしまうということがあるでしょう。そこで図書館司書としては、索引の使い方や目次の見方など、資料を見るポイントを教え、時間がない場合は当該項目が載っている資料や当該ページに直接付箋しておくなどして、サポートします。

 しかし、そのように用意された資料があっても、次に「まとめる」ところで苦労します。自分一人でまとめるのでも大変なのに、複数人が調べたことを短時間でまとめなくてはならない。まとめ方は、グループごとに違う作戦をとることが多いです。付箋を使って整理する。編集する記事の中をさらに細かく分担して、各自が自分の担当するゾーンに責任を持って調べて書き、まとめ役が全体の記述を整えるなど、方法はさまざまです。

 方針や作戦がピタリとはまれば作業が一気に進みますが、そこでもたついてしまうと「何も更新できない!」と焦りが出ます。ここで、方向性を決めるリーダーやアイデアを出せるメンバーがいるかどうか、その方向性やアイデアに他のメンバーがついてこられるか、客観的に見渡せるスキルのある人がいるとベストです。経験者がいても、その時々で手法や立場は変わります。調整能力にウィキペディアの執筆経験は問われず、タイムスケジュールが見えているか、社会的なコミュニケーションのやり取りがうまくいくかどうかがキーとなると感じています。

 

◆ウィキペディアンの参加について

 2016年9月、当館で初めてのウィキペディアタウンが開催されました。講師をウィキペディア日本語版管理者・日下九八さんにお願いすることが決まっていましたが、その他のウィキペディアンによるサポートについては全く想定していませんでした。しかし、図書館職員でウィキペディアの編集時間帯の取り回しをすることに不安があったので、事前に担当の職員数名と休日に他の地域でのウィキペディアタウンに参加したところ、そこで出会ったウィキペディアンの方に当館での開催に興味を持っていただき、実際に当日は参加して下さっただけでなく、ウィキペディア初心者の方々の編集サポートもして下さいました。

 お手伝いをしていただいたのはとてもありがたく嬉しかったのですが、一般参加で来ていただいたのに結果的にお手伝いさせてしまうことになり、「負担だったのでは」と心苦しくもありました。イベント終了後に参加者の皆さんからウィキペディアに関する記述方法のフォローアップを求められたりもして、第2回以降は図書館職員で何とかしなくてはいけないと感じていました。それで、自分でも書けるようになろうと決意したのです。

 

◆「書く」ことの難しさ

 その後、記事を書くためにウィキペディア上の色々な記事を読んでなんとなく分かったこと。基本的な記述ルールはあるけれど、大部分は書き手のセンスに委ねられているので、典拠の付け方一つとってもそれぞれの癖があるし、項目内の章立てや写真の配置は「良質な記事」ほど、読み手のことを考えた構成になっています。

 「一体どのような構成・順序で書くのが正しいのか?」と思ったこともありましたが、記述方法にこだわって平準化しようとすると、その「自由」である部分から外れてしまいます。つまり、平準化を求めすぎてはいけないのです。「どの書き方が正しいのか」ではなくて、どう書きたいのか。「伝わりやすさ」のある文章を組み立てるところは、誰かが教えてくれるものではなく、自ら考えなくてはいけないのだと。

 ウィキペディアの記事構成を考えるためには色々な事実が必要になって、「難しい」と感じる一方、「知りたい」と思う気持ちがわいてきます。そして、「知りたい」と思う気持ちを感じることは、多くの人にとって喜びなのです。

 

◆図書館司書とウィキペディア

 私はレファレンスライブラリアンです。だからかもしれませんが、図書館司書の仕事は知りたいことの「答え」を教えることではなく、知りたいことの「輪郭」をくっきりさせることだと思っています。なんとなくモヤモヤとしていた気がかりなこと。人々の「そうそう、これが知りたかった!」という時のすっきりとした顔を何度も見てきました。

 ウィキペディアタウンの本当の魅力は、対象物の「記事を書く」という与えられた課題をクリアするため、町歩きを行い、懸命に資料と向かいあい調べていくうちに、「知りたい」が触発されることにあるのではないかと思っています。そして、その結果をうまくウィキペディアに反映させることができれば、全世界に向けて発信できたという達成感を味わうこともできるのです。

 

◆ウィキペディアンにとって、ウィキペディアタウンとは何か

 ウィキペディア側にとってみれば、ウィキペディアに信頼性のある記事を書ける書き手を増やすためのアウトリーチ活動の一つです。けれども、そうした啓蒙的な意図とは別に、ウィキペディアン達が普段は顔をだすことのないイベントに登場することにより、リアルの世界で彼らの交流が始まっています。通常は一人活動のはずのウィキペディアン同士が、人と会うようになるのです。普段会うことのない行政の人や、まちづくりの人、図書館の人とこれまで行ったことのない場所で集う。相談して、誰でもが書きやすい方法を考えたりもします。そうした動きにより、ウィキペディア・コミュニティにも変化が起こっているのではと想像します。

 先に書いたように、書き手には個性があるので、ウィキペディアンにウィキペディアタウンの「お手伝い」ということをお願いするのがいいのかどうか、疑問もあります。私もウィキペディアの「共通の編集方法」を教えてほしいと言われたら困ると思います。それでも、各地のウィキペディアタウンに連続して参加するウィキペディアンが増えているところを見ると、実際にみんなで現地へ行くことで「一人で書く」ことと違う何かを得られたり、一人で書く場合にも新たな好奇心や良い影響を与えたり、地道な集合知であるはずのウィキペディアが短時間で爆発的な集合知になることへの素直な驚きや感動があるのかもしれません。個人として楽しみながら参加してもらえるようならば、それは開催側としては、とても嬉しいです。

 

◆さまざまなスタイルのウィキペディアタウンに参加してみて、ウィキペディ
アを書いてみて

 ウィキペディアタウンを開催する場合は、編集の成果にこだわらなくてもいいと思えるようになりました。ウィキペディアタウンは、自分がオープンデータに関わっている/関わることができるということを実感し、情報を「消費」するだけでなく、「自分で何かを生み出し発信する」という体験です。その体験をすることで初めて、知的財産とか著作権ということに思いが至るのではないでしょうか。「コピペ」ではない、自分の言葉で、公平を保ちながら考えを組み立てていく、そのことを無意識下で訓練できる。「考える」リテラシーの場として、また「情報」を扱う場として、図書館で実施することの意味はそこにあるのではないでしょうか。町歩きや文献調査によって、新たな発見があることは楽しいことです。でも、それで満足するのではなく、「考え」「発信する」
を実感できるかどうかが大切なのです。

 具体的な実施までの道筋はまた別の機会にご紹介するとして、理念的なところでの考察をしてみました。今後もさまざまな町でウィキペディアタウンが開催され、「知る喜び」と「みんなでつくる」の体験が広がってほしいと思っています。

 

【注】
ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG)の628号(2017-02-13発行)より転載。
・この文章は著者の意向により、CC-BY-NC-SA クリエイティブ・コモンズ 表示 非営利 継承 4.0国際ライセンスの下に提供されています。https://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/4.0/deed.ja
2017 FUJII Keiko CC-BY-NC-SA 4.0.

 

【関連リンク】
・第2回ウィキペディアタウン in 東久留米(東久留米市中央図書館
・クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン

 

 

(Visited 785 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA