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第9回 公園づくりに協働があった!@西東京市


  富沢このみ(田無スマイル大学実行委員会代表)


 

 これまで、西東京市の行政は、「協働」や「市民参加」を掲げてはいるものの本心では、市民との「協働」や「市民参加」が嫌いなのではないかと疑ってきた。
 このため、この連載では、これまで世田谷区や静岡県など他地域の「協働」の事例を紹介してきた。他地域の事例を見て、「西東京市でもやりたいね」、「やれるんではないか」と少しでも思ってくれる人が増えたらと淡い期待をしてのことだ。
 ところがどっこい、私の不勉強でした。西東京市でも、見事な「協働」や「市民参加」がなされていました。今回は、知人から情報を得られた「谷戸せせらぎ公園」についてご紹介。

 

 谷戸公園を考える市民懇談会

 谷戸せせらぎ公園は、谷戸小学校やいこいの森公園の近く、谷戸新道をひばりヶ丘駅に向かって少し進んだ先の右側にある。かつて明治薬科大学(谷戸町1丁目)があった跡地に2001年4月に開園した公園だ。

 

谷戸せせらぎ公園の案内板(筆者撮影)

 

 1998年に大学が清瀬市にキャンパスを移した後、2万8000㎡のうち、2万㎡に住宅・都市整備公団(現UR都市機構)が住宅棟を建設し、8000㎡を市民公園にする計画となった。

 市(当時田無市)では、市民参加で公園をつくろうと、建設部工事課が主管となり、1999年6月に「(仮称)谷戸公園を考える市民懇談会(以下、市民懇談会)」を設けたほか、多くの市民にアイデアを出してくれるように呼びかけた。「市民懇談会」は、谷戸小、谷戸二小、田無二中の各PTA、地域の自治会、自然保護団体、学識経験者などの市民15人が委員となっており、傍聴可能とした。

 「市民懇談会」では、後述する「明薬跡地で遊ぶ会」という自主的な市民団体をはじめ、懇談会の構成メンバーごとに、その所属団体で実施したアンケート調査結果が報告されるなど、多くの市民の声を聞き、計画に反映させる努力をしてきた。たとえば、「遊び場調査とPTAからの意見のまとめ」(谷戸小PTA)、「谷戸公園への要望意見など」(谷戸第二小PTA)、「中学生の望む公園についてのアンケート結果」(田無二中PTA)、「北側住民の会議議事録」(自治会)などである。そして、1999年11月の第6回懇談会には、策定されたイメージ図が示された。

 

 明薬跡地で遊ぶ会

 公園が出来るという話を受け、近くに住む小中学生を持つ母親たちが中心になって、「明薬跡地で遊ぶ会(以下、遊ぶ会)」を設けた。「遊ぶ会」では、「市民懇談会」を傍聴する一方、自分たちもどんな公園にしたら楽しいかを考えることにした。定例会や勉強会、ワークショップを開催するとともに、会報誌『やとっぱらnews』も発行した(1999年8月創刊)(注1)

 

「やとっぱら」創刊号(一部削除した箇所があります)

 (注1) 創刊号では、「明薬跡地を考える会」と名称が変わっているが、その後、ふたたび「遊ぶ会」に戻っている。

 「遊ぶ会」では、1999年7月に、谷戸公民館の講師派遣事業として、まちづくりプランナーの荻原礼子さんをお迎えし、子どもグループ1(16人)、大人グループ4(5~7人)で「新しい公園ができたらこんな事をしてみたい」というテーマで公園のイメージ図作りをした。その後、各グループが説明、皆で意見交換し、子どもたちによる人気投票をした。最高点を獲得したのは、「らっぱ山公園」で、原っぱが大きく、ボール遊び用にネットを張る、皆が集まれるように許可制でかまどを作る、川と池などの要素が挙げられている。

 

人気投票で最高点を獲得した「らっぱ山公園」(馬場真由美さん提供)

 

 また、「こんな事やりたい!」という遊びについて、大人10票、子ども3票を投票した(表参照)。どろんこ遊び、木登り、たき火、水遊び、ボール遊びに対する要望が多かった。

 

「こんな事やりたい!」遊びについての投票結果

 

 このほか、「どんな公園が望まれているのか?」について、「谷戸まつり」の来場者にアンケートを取り、また谷戸小、谷戸二小のお父さん、お母さんを中心に3世代遊び調査(昔どんな遊びをしていたかなど)も実施した。ワークショップで作った公園のイメージ図やアンケート調査のまとめは、谷戸公民館ロビーで展示した。

 「遊ぶ会」では、その後も、ビオトープや樹木の勉強会などを開催したほか、「市民懇談会」で公園の詳細が決められていく過程で、「遊ぶ会」なりにさまざまな情報を提供するなど側面支援をしてきた。

 たとえば、「市民懇談会」の委員には、小さいお子さんをお持ちの方は一人だけなので、地域の保育専門者(市内幼稚園・保育園)に「幼児にとって望ましい公園」について聞き取り調査をし、「市民懇談会」に提出している。

 そして、「遊ぶ会」なりに、公園のイメージ図を描き、「市民懇談会」の第6回資料として提出した。

 

 市民との意見交換会~開園

 「市民懇談会」と「遊ぶ会」がそれぞれまとめた公園のイメージ図は、谷戸公民館ロビーで1999年末と2000年初に数週間展示され、田無公民館ロビーでも2000年の初めに展示された。展示の折、「遊ぶ会」では、懇談会で決めかねていた「池の性格」「造り方」「管理棟の位置」についてのアンケート調査も実施した。

 そして、2000年1月22日には、谷戸公民館で「『市民懇談会』と市民による意見交換会」が実施された。当日は、50名近くの参加者で谷戸公民館の視聴覚室はいっぱいになり、この公園への関心の高さがうかがわれたという。

 市民との意見交換会も踏まえて、「市民懇談会」が『市長宛の意見書』を提出することになっており、3月の最後の懇談会に向けて「遊ぶ会」も、『意見書』に盛り込んで欲しい内容について『要望書』を提案した。

 最終的な『市長宛の意見書』(2000年3月21日)は、「遊ぶ会」の意見も盛り込まれたものになった。たとえば、「水辺に手押しポンプで地下水をくみ上げ、水の循環、水の大切さが分かるようにした造りとする」、「井戸の周りに竜神をかたどったデザインを施し、歴史を感じさせえるものとする」「庭園のように管理された芝生ではなく、草摘みができる広い原っぱとする」「斜面で子どもが遊べるように、小さな土手もしくは小山をつくる」「泥いじりができる築山があると良い」「自由な遊びのできる規制のない公園とする」「ボール遊びなど危険を伴うものについては、プレーリーダーを配置するなど公園の使い方を工夫する」などなど。

 

龍神の井戸(筆者撮影)

 

 『意見書』に書かれた龍神のデザインの描かれた井戸が作られ、池やせせらぎの補給水をまかなっており、歴史の説明が立て看板に書かれている。

 

上流の『観察池(ビオトープ)』

下流の『自由池』(ともに筆者撮影)

 

 

 2つの池の間に138mの「せせらぎ」を設けている。水の浄化は、生物ろ過方式とし、自由池から観察池へポンプアップする循環方式になっている。残念ながら、開園3日目に、2歳の女の子が自由池から転落したため、現在では、池のまわりには柵がほどこされている。筆者が訪問した折には、男の子が柵を越えておたまじゃくしを掬って遊んでいた。

 

原っぱや小山

タイヤブランコや木製複合遊具(ともに筆者撮影)

 

 

 公園名も市民公募により「谷戸せせらぎ公園」と決まり、2001年4月21日に開園の運びとなった。オープニングセレモニーは、西東京市と「遊ぶ会」が共催で実施し、当日は、豚汁が振る舞われた。

 

 プレーパーク(冒険遊び場)開園

 「明薬跡地で遊ぶ会」(注2)は、意見書提出までは、設計の提案づくりをメインに活動してきたが、その後は、引き続き勉強会(羽根木プレーパークのリーダー天野秀昭さんによる「子どもたちの居場所」など)をするとともに、さまざまな遊ぶ会を実施してきた。夏休みには、公園予定地でガラス拾いをしたあと、泥んこ遊びを行うイベントをした。

 

泥んこ遊びの会(馬場真由美さん提供)

 

 (注2)「明薬跡地で遊ぶ会」は、1999年4月から「やとっぱらあそびの会(以下「あそびの会)」に変更。

 

 また、天野さんのお話に刺激され、世田谷区のプレーパークに親子ででかけたほか、2002年には、東京都の「心の東京革命」(注3)モデル事業に指定され、助成金を得て連続5回のプレーリーダー養成講座を実施した。講座終了後は、月1回のペースでプレーパークを実施してきた。

 (注3)心の東京革命(現在の名称は「こころの東京革命」と変更されている)

当時のプレーパーク(ともに「あそびの会」提供)

 

 たとえば、春と秋には、カマド(注4)で火を起してマシュマロ焼をし、夏にはビニールシートで作ったウォータースライダーやペットボトルで作ったいかだを楽しんだり、木と木の間に掛けたロープを渡ったり、ハンモックで遊んだり、竹を削る、木を切るなど、普段子どもになかなかやらせられない遊びをしてきた。「あそびの会」は、2003年度には、東京都から青少年健全育成功労者として表彰された。

 (注4)カマドベンチは、行政としては、防災用としている。いつでも火遊びが出来ると思われでも困るとの判断があり、プレーパークが使用許可を得て利用するのは、そこに防災カマドがあることを周知するため、カマドを整備するためとしているようだ。

 開園後、池に幼児が落ちる事故により柵が設置され、井戸の破損、石・ガラス破片の露出など公園の管理・運営をめぐる問題が多数発生していた。このため、「あそぶ会」では、2003年に当時の行政の関連部署(子育て支援課、公園緑地課、社会教育課)と話し合いの場を持った。子どもたちにとっての冒険遊びの意義を訴え、より自由に遊べるようにと陳情した。こうした話し合いを経て、現在は、管理棟に1団体の用具を置かせる訳にはいかない、池の柵の鍵やカマドは申請があれば使えるようにする、自由池は年1回バキュームカーで底に溜まった泥などを吸い出すとなっているようだ。

 

 西東京プレーパーク☆キャラバンがDNAを受け継いだ

 「あそびの会」は、次々と代表を若手にバトンタッチする形で続けてきたものの、ここ5年くらいは活動していない。しかし、谷戸プレーパークに遊びに来ていた若いお母さん達(「マンマミーアプラス!」)が自分たちもプレーパークをやりたいと、「西東京プレーパーク☆キャラバン」(代表宇野愛子)(注5)を立ち上げた。「あそびの会」から学び、道具なども譲り受けており、DNAは引き継がれている。

 西東京プレーパーク☆キャラバン事務局の佐藤さんによれば、いろいろな公園でプレーパークをしているが、やはり、谷戸せせらぎ公園は、火も水も木も使えてプレーパークにもっとも適しているとのこと。
 (注5)「西東京プレーパーク☆キャラバン」は、谷戸せせらぎ公園だけでなく、いこいの森公園、西原自然公園、向台公園などでもプレーパークを実施している。「西東京の公園・西武パートナーズ」が管理を委託されているいこいの森や谷戸せせらぎ公園では、こことの共催で実施している。

 

 企画からの市民参加を増やすことは難しいのだろうか

 以上のように、谷戸せせらぎ公園ができるまでの状況は、まさに市民と行政が二人三脚のように協力して知恵を出し合い、情報を共有し合って、どのような公園にするかを考えてきた。その後他の公園が出来る時にも、「ボール遊びができるように」、「猫が砂場に入らないように」といった市民の声を企画段階で取り入れていると聞く。

 確かに、多様な市民の声をどこまで拾うのかはとても難しい。谷戸で実施された「『市民懇談会』と市民による意見交換会」に出席した「遊ぶ会」のメンバーの感想によれば、「今まで一生懸命にかかわってきた人と、初めて意見交換会に来た人の意見の差を感じた。本当に、いろいろな立場の人がいて、いろいろな意見があるのだと、びっくりした。」「『この公園の売りは何でしょう?』という質問があった、子どもからお年寄りまで、誰もが楽しめるというのは、公園の個性が消えることでもあるのだと思った。」とある。
 「市民参加」、「市民の意見を聞く」というのは、簡単なようで、とても難しいことなのだと思う。

 それでも、企画から市民が係われば、自分の意見がたとえ通らなくても、自分たちが参画したという意識が生まれる。まして、自分が最も大切と思うポイントが受け入れられれば、愛着も湧いてくる。そういうことの積み重ねによって、まちは市民の故郷になっていくのだと思う。最初の頃に谷戸せせらぎ公園で思い切り遊んだ子ども達も、もう大学生になる。彼ら彼女らのなかから、新しいプレーパークリーダーが出てきて欲しいものだ。

 西東京市では、ややもすると出来レースのような市民参加が多いように思っていたのだが、すでに実績もあるのだから、公園以外の分野でも、企画段階から市民の声を聞くスタイルを増やして欲しいと思う。

 

 

05FBこのみ【著者略歴】
 富沢このみ(とみさわ・このみ)
 1947年東京都北多摩郡田無町に生まれる。本名は「木實」。大手銀行で産業調査を手掛ける。1987年から2年間、通信自由化後の郵政省電気通信局(現総務省)で課長補佐。パソコン通信の普及に努める。2001年~2010年には、電気通信事業紛争処理委員会委員として通信事業の競争環境整備に携わる。
 2001年から道都大学経営学部教授(北海道)。文科省の知的クラスター創成事業「札幌ITカロッツエリア」に参画。5年で25億円が雲散霧消するのを目の当たりにする。
 2006年、母の介護で東京に戻り、法政大学地域研究センター客員教授に就任。大学院政策創造研究科で「地域イノベーション論」の兼任講師、現在に至る。2012年より田無スマイル大学実行委員会代表。2016年より下宿自治会広報担当。
 主な著書は、『「新・職人」の時代』』(NTT出版)、『新しい時代の儲け方』(NTT出版)。『マルチメディア都市の戦略』(共著、東洋経済新報社)、『モノづくりと日本産業の未来』(共編、新評論)、『モバイルビジネス白書2002年』(編著、モバイルコンテンツフォーラム監修、翔泳社)など。