第17回 駄菓子屋のあるまち-子どもと斜めの間柄


  富沢このみ(田無スマイル大学実行委員会代表)


 

 西東京市の人口は約20万人、うち小学生は9000人強。ここに駄菓子屋が10軒以上あると聞いたら、どう思われるだろうか。私は、駄菓子屋は昔懐かしい商売で、まさか西東京に現在も10軒以上あるなんて思っていなかった。

 

むさしバッティングセンター近くの駄菓子屋「ちびみせ」でくつろぐ子ども達。顔を撮れないといったら、それぞれ工夫して顔を隠してくれた

最近では、子どもの貧困、孤食、いじめなどが問題になり、その解決策の一つとして、「斜めの関係」が注目されている。「親-子」、「先生-児童・生徒」という縦の関係、「友達同士」という横の関係ではない、保健室の先生や隣のおばちゃんなどの斜めの関係があると、子ども達も気楽に本音が言え、子どもの不調や変化などに気づきやすいのではないかというのだ。子どもは「地域で育てる」などと言われることもある。

 その一方で、同じマンションでも、子どもに声を掛けると不審者とみなされるとか、子どもに声を掛けないようにしようといった話題も耳に入る。このような環境下では、地域で育てると言っても、子ども達と隣のおばちゃん、おじちゃんとが良い関係を築くチャンスがない。

 このため、心ある人達が、子ども食堂を開いたり、中学校に放課後カフェを設けたりして、まずは、子ども達と顔見知りの大人になろうとしている。そんななか、昔から子どもの居場所であった駄菓子屋がこんなにたくさんあるなんて、「我がまちは、捨てたもんじゃない」という気がしたのだ。

 

 駄菓子屋巡り

 

 そこで、友達などの情報を頼りに、とりあえず11軒回ってみた。これには、「おかしのまちおか」のようなチェーン店は含まれていない。私が回った駄菓子屋は、西武池袋線の南側に偏っている。もしかすると、池袋線の北側にもあるかもしれないし、南側についても、これ以外にもあるかもしれない。

 

西東京駄菓子屋MAP

 

 それぞれの駄菓子屋の成り立ちは、様々だし、店主の人柄や好みも異なる。

 

 ◆ふじや酒店

 庚申湯近くの「ふじや酒店」さんは、創業52年、酒屋をしながら駄菓子も置いている。ご主人が亡くなって、娘さん夫婦が二階に住んで酒屋の仕事引き継いでくれた。その頃から、酒屋は夕方から夜にかけての仕事なので、昼間にもっといろいろな人が出入りする賑やかな店にしたいと駄菓子を置き始め、30年くらい経ったところだ。最初は、少し置いている程度だったのだが、子ども達の要望を聞くうちに品数が増え、ついに以前冷蔵庫にしていたところをDIYで壊して、駄菓子の棚にしてしまったそうだ。お客は、親子で来たり、友達同士で来たり、お祖母さんと孫で来たり、といろいろだ。

 店のお母さん(秀子さん)は、「ビワのお灸の療法士」、娘さん(理恵子さん)は、「肥満予防健康管理士」もしていて、とても明るい親子だ。何か話したそうにしている子には、「今日何かあったの?」とか、「最近はどう?」などと声を掛けるようにしている。秀子さんのお孫さんが二階で書道教室をしており、そこから帰る子にも、「今日は何を練習したの?」とか、「丸をもらったの、上手だねぇ」などと声かけしている。また、最初は、100円で何と何が買えるかの計算に時間がかかっていた子が、だんだん早く勘定できるようになると、「偉いね、学校で算数勉強していて良かったね」と褒めてあげる。「子どもの声が聞けて、こっちが元気をもらっている」とのこと。

 

とっても明るい「ふじや酒店」の伊藤秀子(母)さんと大江理恵子(娘)さん

 

 ◆杵屋すずき

 ひばりが丘団地交番前の交差点から近い「杵屋すずき」の現在の店主(鈴木睦子さん)は、2代目に当たる。義理のお姉さんがやっていて、かれこれ50年ほど経つのではとのこと。西東京市の駄菓子屋の中では老舗だ。やってくる学校の範囲は広く、違う学校の子ども達同士でコミュニケーションを取っている。駄菓子を買って、食べて、ゲームをし、友達同士やおばちゃんとおしゃべりを楽しむ。夕暮れ時に訪ねたので、写真が暗いが、2人の男の子が遊んでいた。

 

夕暮れ時、「杵屋すずき」で駄菓子を買ったり、ゲームを楽しんだりしていた2人の男の子

 

 ◆ごんべえや

 同じく老舗の「小須田商店ごんべえや」は、フラワー通りの近くにあり、58年目になる。ご主人が4年前に亡くなり、今は、奥さん(たけさん)が1人で切り盛りしている。ご主人が名前を聞かれると、いつも「名無しの権兵衛じゃ」と言っていたので、通称「ごんべえや」になった。人好き、子ども好きの方だったようで、今でも「お爺ちゃんに世話になった」と命日にお花を持ってくる人もいる。如意輪寺でやったお通夜には、大勢の人が来て住職が驚いたほど。LINEなどで連絡が回り、普通一家に一人のところ、一家総出で来てくれたそうだ。中学生当時ワルだった子も、通夜には来てくれたという。まったく、駄菓子屋冥利につきるといえよう。

 

子ども好きだったご主人の通夜には大勢が来てくれたと話す「ごんべえや」の小須田たけさん

 

 ◆太田商店

 田無駅から花小金井方向、線路沿いを少し歩いたところに駄菓子屋ができたみたいだという情報を頼りに出向いてみたら、なんと懐かしいことに、筆者が田無小学校に通っていた頃の文房具屋の場所だった。昔は、学校のすぐそばに、たいがい文房具や菓子パンなどを売る店があって、子ども達のたまり場になっていた。現在の店主によれば、それは祖父の時代とのこと。学校区が変わって、線路を跨いで通うことが無くなり、立地的に不利になったのか、いつの間にか無くなっていた。だがその後も、お父さんが駄菓子の販売を小さく続けていたそうだ。現在の店主である息子さんが店を今のように改装したころ、お父さんが亡くなられてしまい、自分が引き継いでいるのだとか。入口は、目立たないのだが、店内は、これぞ駄菓子屋という懐かしい造りになっている。

 

タイムスリップしたかのような太田商店の店内

 どの駄菓子屋でも、お客である子ども達は、小学生が中心で、時に中学生も来る。主には、近くの小学校の児童だが、かなり遠いところから遠征してくる子もいるようだ。遠方の駄菓子屋を探して訪ねていくのは、子どもたちにとっては冒険のひとつでもあるのだろう。後述する「なつかし処青ちゃん」に女の子が友達とやってきて、帰り道が分からないというので、自宅に電話を掛けてあげ、親に迎えにきてもらったこともあるそうだ。違う学校の子ども達が駄菓子屋で知り合い、友達になることもある。子ども達なりに、自分にとって居心地の良い場所を探しているとも言える。先の「ちびみせ」(店主:竹内紀子さん)で写真を撮らせてくれた女の子達は、道一本でつながっている「ごんべえや」から駄菓子屋のハシゴをしていた。同じくハシゴをしていた私に心を開いてくれたみたいだ。

 

 居場所づくり

 

 店によって、駄菓子を売るだけのところと、積極的に居場所づくりをしているところがある。駄菓子を売るだけの店でも、店の外にベンチなどを置いていて、そこで食べることができるケースも多い。多くの店では、カップ麺のお湯は、用意してくれている。ルールとして、包装紙などのゴミは、店内に用意してあるゴミ箱に捨てるよう躾ている。

 

 ◆青ちゃん

 「杵屋すずき」、「ごんべえや」「ちびみせ」には、昔ながらのゲーム機があり、ゲームを楽しむことができるが、このゲーム機は、今では、売っていないらしい。このため「なつかし処青ちゃん」(店主:青山美智夫さん)では、夏には「スーパーボール」を置いて遊べるようにしている。また、店にカメラを置いて、子ども達が勝手に写真を撮りあって遊べるようにしている。壁いっぱいに飾られた子ども達の写真は、圧巻だ。皆とても良い顔をしている。

 

「なつかし処 青ちゃん」の店内。壁いっぱいに子ども達の顔写真が貼られている。右奥には、最近までお母さんが座っていた場所に、まだ車いすが置いてある

 「青ちゃん」は、岩舟地蔵のすぐ近くにある。保谷小の通学路で、もともとは豆腐屋さんだった。昭和34年から豆腐屋をやっており、その頃からお母さんは人気者で、子ども達が学校の行き返りに「おばちゃんおはよう!」「ただいま」などと声を掛けていた。しかし、数年前からお母さんに認知症がはじまり、豆腐屋を閉めざるをえなくなった。美智夫さんは、商売をする家で育ったし、母の介護をしながら働くには、やはりここで店をやるしかないと考え、それなら昔自分も良く遊んだ駄菓子屋をやろうと思い立った。もうすぐ3年になる。お母さんも、昨年4月に脳梗塞で歩けなくなるまで、車いすに座って店に出ていた。この頃は、毎日店を開けていたのだが、今は、お母さんがデイサービスに通っている火水金日を営業日とせざるをえなくなった。最近、カップ麺などをゆっくり食べることができるよう、店内に、簡易な椅子を用意した。

 

 ◆ヤギサワベース

 柳沢駅からほど近い「ヤギサワベース」(店主:中村晋也さん)も、新しくできた駄菓子屋だ。中村さんの本職はデザイナー。デザイナーの仕事なら、ネット環境さえ整っていれば、どこでも出来る。通勤時間がもったいないと自宅近くにオフィスを構えることにしたのだが、せっかくならと駄菓子屋も始めた。現在、1年8ケ月経ったところだ。これまでは、デザインの仕事が忙しいと店を開けられず、子ども達からいつも閉まっていると不評だった。このため、今年から、奥さんがそれまでの仕事を辞めて、駄菓子屋の女将に専念することになった。二人には、お子さんが三人おり、二人とも通勤してしまうと、何かあった時に、駆けつけられないとの想いもあった。

 

「ヤギサワベース」の中村さんが作成した名刺を拡大してロゴにしている

駄菓子やフィギュアに囲まれたテーブルと女将の中村麻美さん

 

 

中村さんは、同じデザインでも、顔の見えないビジネスライクな仕事よりも、地域のお店の人と話し合いながら、ロゴを考えたり、チラシをつくったりといった顔の見える関係性のなかで仕事が出来たらよいなぁと思っており、最近は、そういう仕事も増えてきた。実は、中村さんがまだ駄菓子屋を始めてから間もない頃に、青山さんの名刺を作っており、「青ちゃん」の店内には、それを拡大したロゴが貼られている。

 「ヤギサワベース」では、子ども達の居場所を作ろうと、テーブルを置いている。ここでは、消しゴムはんこのワークショップや3D教室など大人も子供も参加できるワークショップを開くこともある。漫画やボードゲームなども置いてあり、子ども達は、思い思いにここで過ごすことができる。中村さんご夫妻は、駄菓子屋を一度始めたからには、長続きさせていく責任があると考えている。「駄菓子屋継続のためにも、デザインの仕事もこれまで以上に力を入れていきたいです」と語っていた。

 

 叱りかた

 

 子ども達は、可愛いが、買い食いは、いじめの温床になりがちだ。力の強い子が弱い子にお金を出させて、自分では払わない。一度のことならよいが、これが常態化する可能性がある。駄菓子屋のおばちゃんは、そんな時、大きな金額のお金を持って来た子には、小さなお金を持ってきなさいと注意したり、お金を払わない子には、お金を持ってきて自分で払いなさいと声掛けしたりする(ふじや酒店)。子どもに嫌みなく注意できるのは、ある意味、年齢を経たおばちゃんの特権かもしれない。

 時には、万引きもある。目を見たら、やりそうな子は分かるので、マークしていて、万引きした場合には、「それ買うの?買わないんだったら置いてって」と柔らかく諭すようにしている(ごんべえや)。「僕、ポケット見せて」と言うこともある(ヒフミ)。柳沢団地近く、文房具も売っているヒフミでは、悪ふざけして騒いだり、買わないのに商品に触ったりする子には、「この店に居る間だけでも、静かにして頂戴」と言うそうだ。子どもに静かにしろというのは、酷な気もするが、それも躾のひとつだろう。

 

 ◆マミーショップ

 やはり40年以上の歴史のある「マミーショップ」は、文化通り、松の湯の真ん前にある。店主の伊藤信子さんは、81歳とは思えないほどお元気だ。ここ数年、大人買いをする若者が来ては、支払の段になって手持ちがないということが何度もあった。じゃあ品物は置いていってと言って、被害には合わなかったものの、たばこの自販機にいたずら書きをされた。警察にも連絡をしたが、自分の身は、自分で守らなければと、防犯カメラを4つも備えた。そんなこともあって、子ども達にも、「万引きなど悪いことをしたら、防犯カメラに映るからね」と言っている。

 

防犯カメラが4台も設置されているマミーショップ

 

 カップ麺にお湯を入れてもらうにあたって、カップ麺を差し出して「作れ!」という子がいた。「あんた、年上の人にお願いするのに、そんな言い方するんか」と叱ったそうだ。

 

 ◆リカーショップ沢村屋

 富士町1丁目、UR都市機構プロムナード東伏見に隣接した場所にある酒屋の沢村屋(店主:金川金次郎さん)も、駄菓子を置いている。近くの菓パン屋が閉店したので、駄菓子も置くようになり20~30年くらい経つとのこと。

 

いろいろな駄菓子と金川金次郎さん

 

 金次郎さんの息子さんは、自身が小さい頃、背が低いといじめられたので、今でも、容姿のことでいじめを見かけると本気で怒るとのこと。食べ過ぎで太った子をいじめるのは許せるが、自分ではどうしようもないことで「ブス」などといじめるのは許せない。「言葉の暴力で死ぬ子もいるんだぞ」と怒る。

 4歳の子どもが自分のお爺ちゃんと来て、「買え!」と命令していた。最近では、親も祖父も子どもや孫に嫌われたくないので、怒れない。買ってくれる人に感謝をしないなんてと思い、「有難うと言え」とつい言ってしまう。最近の子どもは、怒られ慣れていない。でも、その子の身に降りかかる話にして言えば、意外と分かってくれる。たとえば、「‘万引き’というと大した罪ではないように思うだろうが、‘泥棒’なんだよ。泥棒すると、警察のリストに載って、将来海外旅行にも行けなくなるんだぞ」とか、「ゴミのルールを守らないと、今度おまえの家にゴミを捨てるよ、嫌だろ、だったらルールを守って捨てなさい」といった具合だ。自分は、厳しいことを言うので、怖がって来なくなる子もいるようだが、またしばらくするとやってくるとのこと。

 

 続いて欲しい駄菓子屋商売

 

 駄菓子は、単価が低く、種類が多いので管理も大変だ。儲かる商売とは言えないだろう。それでも続けているのは、やはり子どもが好きだからだと思う。おまけに、店によって叱り方が異なるものの、お客を叱るなんて、割に合わない商売だ。

 「お母さんが8時くらいまで帰ってこないからと、8時くらいまで店に居る子もいる。昔は、おにぎりを作って食べさせてやったが、おなかでも壊されたら大変なので、今ではやっていない。お母さんには、残りご飯でよいからおにぎりだけでも作っておいてあげたら、と言うこともある」(東伏見稲荷の参道沿いにある中野鰹節店の中野紀子さん)。「夜7時くらいに、子どもだけで、駄菓子を買いに来る子もいる。ご飯食べたの、これだけで済ましてはダメよと声掛けするが、お母さんがおにぎりだけでも用意しておいてあげれば良いのだけど、お金だけ置いていくらしいの」(ふじや酒店の伊藤秀子さん)。皆さん、子どもの健康まで心配している。

 

おにぎりを作って食べさせてあげたいくらいと心配する中野紀子さん

 

 買い食いについては、禁止している学校もあるし、鞄を持ったまま、制服のまま店に立ち寄ってはいけない(一旦家に帰る)ことになっているらしい。最近では、駄菓子にアレルギー物質が入っているかどうかを気にする傾向もある。単品でみれば、おかしのまちおかや100円均一など、チェーン展開しているお店の方が安い場合もある。それでも子ども達がやってくるのは、おばちゃん、おじちゃんたちが声を掛けてくれるのが嬉しいからだろう。

 今回取材させてもらったお店の半分くらいは、80歳くらいの高齢の店主だった。娘や息子が継いでくれそうなところは良いが、早晩店を閉めてしまうところも出てくる可能性がある。「子ども達を見守ってくれるお店がある」というまちの良さを無くしたくないものだ。
(写真・画像はすべて筆者提供)

 

 

05FBこのみ【著者略歴】
 富沢このみ(とみさわ・このみ)
 1947年東京都北多摩郡田無町に生まれる。本名は「木實」。大手銀行で産業調査を手掛ける。1987年から2年間、通信自由化後の郵政省電気通信局(現総務省)で課長補佐。パソコン通信の普及に努める。2001年~2010年には、電気通信事業紛争処理委員会委員として通信事業の競争環境整備に携わる。
 2001年から道都大学経営学部教授(北海道)。文科省の知的クラスター創成事業「札幌ITカロッツエリア」に参画。5年で25億円が雲散霧消するのを目の当たりにする。
 2006年、母の介護で東京に戻り、法政大学地域研究センター客員教授に就任。大学院政策創造研究科で「地域イノベーション論」の兼任講師(2017年まで)。2012年より田無スマイル大学実行委員会代表。2016年より下宿自治会広報担当。
 主な著書は、『「新・職人」の時代』』(NTT出版)、『新しい時代の儲け方』(NTT出版)。『マルチメディア都市の戦略』(共著、東洋経済新報社)、『モノづくりと日本産業の未来』(共編、新評論)、『モバイルビジネス白書2002年』(編著、モバイルコンテンツフォーラム監修、翔泳社)など。

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