第10回 中間総集篇

 


蝋山 哲夫西東京紫草友の会会長


 

 ~冬枯れの季節、到来す~

 2018(平成30)年1月。あたりはすっかり冬枯れの季節になった。そのため、今回は紫草を栽培している植物園を訪問しなかった。冬枯れの季節ゆえに紫草も枯れているので「見るべきもの」がないからである。

 この連載の第1回から第3回までは、西東京市を東西に流れる新川暗渠道の草叢の散策がテーマだった。第1回は序章と称して、暗渠道両岸の野草・雑草の草叢を這いまわり、その生命感あふれる成長と変化を率直に見入った。そこには感動があり雑草たちの変転のドラマがあった。それ以来、幼少の頃から親しんできた園芸種の草花とは異なる植物の世界を、ちっとだけ科学的な観察眼で見つめたいと思うようになった。それは「幻の紫草」を探索する前の、いわば地域で生きる植物とのご対面の準備体操のようなものだった。

 

5月のピンクロード、イモカタバミの群落

12月、夏場に白粉花に覆われたが蘇った

 

 

 言い換えれば、「山川草木悉皆成仏」という命題に導かれながらも、限られた環境の中で自分だけ生き延びようとする植物本来の姿をつぶさに観察することだった。種子は飛んでも植物自身は自力では移動できない。そこで手っ取り早く、生息地をわが物とする狡知を編み出す。その代表格がアレロパシー(他者の成長を抑圧する化学物質を根から発する生命現象)現象である。暗渠緑道に限らず、どこの草叢にも「植物戦争」の厳しい現実がある。光を求めて他者を覆い尽くす貪欲さがある。子孫を残そうとする結実の逞しさがある。総じて、植物たちの「領土修正主義」を知った。しかも、外来種の植物の蔓延は人間の貿易がもたらした生存競争であるので、いまや、在来種か外来種か、パッと判別できないグローバル状況である。

 草叢に群がる小さな昆虫や蝶や蛾をはじめ、それらを喰う蜥蜴たち。いつだったか、暗渠のコンクリート板の上で日向ぼっこしていた蜥蜴と目が合ったことがある。別の場所での出来事だが、地上への脱出を準備している穴倉の中のアブラゼミと目があったときの面白さとどこか似ている。「幻の紫草」を空想する旅路がくれた番外の楽しさがあった。

 

8月の暗渠緑道 開花は少ないが緑の王国

9月 刈り取り後の見苦しく無愛想な殺風景

 

 早春から盛夏にかけて、暗渠緑道の草叢はまさしく花々の色彩の宝庫であった。けれども、これまで秋の暗渠緑道の景色は見たことがない。それもそのはずである。行政当局が8月後半に草叢を一斉に刈り取ってしまう。だから秋景色は無味乾燥である。これは文字通り「殺風景」というしかない。できれば、暗渠緑道の早春から夏、夏から冬、そして冬枯れから早春の再生までの循環する植物風景を見たかった。野草・雑草ウオッチャーにとって年2回の刈り取りは、風景をズタズタにする一方、豊かな生物多様性を持続させる点ではいい面もあろう。実際は、蚊の発生を防止するだの、環境衛生・美化のためだの、といった理屈で刈り取られてしまう点が、市民が集い遊ぶ公園の原っぱの刈り取りとは少し事情が異なっている。

 ともあれ、冬枯れの季節にワタクシは過ぎ去った暑い日々を静かに思い出す。暗渠緑道の「秋ない***風景」は3月半ばから再生するに違いなく、今年もきっと生命力を取り戻すだろう。「100回以上も歩いた暗渠緑道よ、昨年出逢った数々の野草・雑草よ。昨年と同じ場所で待っているからね。元気でまた会おうね」。

 

 ~アンソロジー、植物園の紫草たちよ~

 昨年(2017年)はあちこちの植物園や野草園の紫草を見学しに行った。いま、それらの見聞を思い出しながら、いくつかの共通点や特徴を述べてみたい。一般的に、どこでも紫草の開花期は概ね5月のゴールデンウイーク直後が多いようである。しかし、紫草の花盛りのこの時期には、植物園を訪問する機会がなかった。最初の訪問地は、JR国分寺駅近くの「殿ヶ谷庭園」だった。国分寺駅コンコースの床面に描かれた「紫草のタイル画」をまず見てから、殿ヶ谷庭園に出向いた。「以前、紫草の写真を撮ったことがありますよ」との言葉に触発されて行ったのだけれど、数年間に紫草は亡んでいた。紫草との出逢いは最初から空振りに終わった。

 ここで、あえて繰り返す。この連載の題名は「幻の紫草紀行」であるが、なぜ「幻」と銘打つのか。山野に自生している本物のムラサキ(学名)とは、どうもがいても出逢いそうにもないからだ。紫草にかんする関係書をいくつか読んでも、実際の自生地は明らかでないことが多い。いまでも、南部、奧多摩、富士山麓、伊賀、近江のどこかの「秘境」にひっそりと自生していると思われているらしい*********。だが、とても彼の地を探訪できそうもない気がするワタクシにとって、本当に自生しているムラサキには出逢わないからこそ、「幻の紫草」なのである。そういう訳で、以下、紹介する紫草たちはすべて栽培種系の子孫のまた子孫の…また子孫だろうと思われる。おそらく今後も、日本各地で紫草の栽培種は人々の熱意によって、生き延びるであろう。だから、紫草の産地が問題なのではなく、永遠に出逢えないかも知れない自生種こそが「幻の宝」なのである。

 

7月 武蔵国分寺(国分寺市・鉢植え)

7月 東京都薬用植物園(小平市・ハウス)

6月 武蔵国分寺(国分寺市・鉢植え)

8月 東京薬用植物園(小平市・屋外鉢植え)

11月 東京都神代植物園(調布市・地植え)

12月 練馬区立牧野記念庭園(東大泉・地植え)

 
 ご覧のように、それぞれの植物園・庭園・野草園の紫草はどれもこれも放置状態に等しかった。規模にもよるけれど、広大な敷地に対する栽培管理要員の数が圧倒的に少ないことが共通していた。都立であれ、市立であれ、財源を増やせず、人員も増やせないためと思われる。おまけに、どこの紫草も葉が虫食いだらけのが哀れだった。明らかに「お世話不足」だった。生育状況をキッチリ説明できる係員の常駐を求めるのはコクであろう。これまでの見学先のうち、東京都立神代植物園が最も観光地化し、財源もほかよりもリッチ***なのは、行楽資源の多い深大寺界隈の立地ゆえだろう。

 したがって、「客寄せ」のために、色が綺麗で見栄えのする観賞植物や園芸植物に重点が置かれ、わが紫草の生存地である野草園は昼なお薄暗い樹間の隅っこに配置されており、陽当たりが悪く、水はけのよくない不適地でかろうじて生息していた。ボランティアさんがいらっしゃらなければ、ワタクシは紫草の地植えすら発見できなかったにちがいない。そんな環境の下で、地植えの1株しかない状況では亡びの魔が近づいてくるように思えた。周辺の雑草を除去するのも重要であるが、概ね、雑草の草叢に埋もれている場合が目立った。もともと野生力の乏しい栽培種を雑草の草叢の中に植え付けたり、移植するのには「無理」があるのは最初からわかっているはずである。江戸時代の古文書『広益国産考』(大蔵永常著)を紐解いても、栽培種の紫草は際立って「肥料食い」なのだけれど、どこでも施肥については無頓着に思えた。防虫対策もせず、施肥もせずという状態では栽培種・紫草の生育促進は望めないのではあるまいか。さらに高温高湿対策と防虫対策を積極的に行っていないように思えた。これらが、見学した施設での紫草栽培の共通するマイナス事項であり、同時にわたしたちの栽培課題とまったく重なっているのである。

 公立運営の植物園などでは、人事異動のたびに管理要員が入れ替わり、4、5年も経てば、栽培管理データや引き継ぎ事項などが散逸してしまい、持続的な運営自体がままならぬ状態に陥っているようだ。まことに残念である。だから、亡びの兆候を示している紫草栽培種が多かった。

 

 ~ちょっと、紫草観察の考現学を~

 紫草は多年草の宿根草であると分類されている。実際には6、7年も永らえないらしいが、真実はわからない。毎年、可憐な純白の小さな花を咲かせるが、開花後の子房に種が実るよりも、脇枝がいくつもグンと伸び、その枝のたくさんの閉鎖花が、主軸の本枝よりも一層多くの種子を実らせる。紫根染に用いる根は2年株が最適との定説があるけれども、3年も5年も生き延びれば、その間の脇枝に実る種子は膨大な量になる。一説では、1株全体では約200粒の種子が実るそうである。これは、絶滅を回避しようとする紫草の防衛本能によるものかも知れない。

 一応、採種できても、全部の種子が発芽できるとは限らないので、実際に発芽する種子の数はさらに減る。このため、発芽可能性に高めるために、収穫した種の「水没テスト」を行うのが一般的である。とはいえ、「水没合格した種」でも、実際に種蒔きすれば、すべて発芽するとは限らない。発芽しても、虫害や鳥害の犠牲になることも多い。折角、発芽し、成長してからも、ある日「突然の死」がやってくることも多い。アブラムシやキスジノミハムシや土壌バクテリア菌にやられるのである。高温高湿度が紫草の大敵で、とくに夏場の生育期は目が離せない。一般の蔬菜類の栽培と同様、炭疽病や萎凋病やベト病などとの闘いをはじめ、絶滅危惧種ムラサキはまことに厄介で、栽培が難しいといわれる所以であろう。紫草栽培は人一倍、葉の状態の観察が欠かせない。元気で健康な葉はとても美しい緑色をして、表面に産毛を生やしてピーンと少し反り返っている。茎がくにゃくにゃと曲がり、自立しにくい性質は遺伝によるせいだろう。しかし、茎が曲がって倒れても、葉さえ元気ならば実をつけるし、また、地下の紫根の成長とは直接関係ないのかもしれない。

 このような性質を持つ紫草だからこそ、栽培にチャレンジする気を起こさせるのかもしれない。紫草の生存率の低さや、発芽率の低さに悩まされながらも、脇枝の閉鎖花による結実が多い「理由」は、虫媒花にもかかわらず、その花が無臭で、虫を呼び寄せるフェロモンが乏しいからだとも思える。ここら辺のコトは観察しきれないので、植物学者やDNA研究者に謎を解いていただきたい。栽培種の場合、畑作でも鉢植えでもコンテナでも、連作できない性質があるといわれている。しかし、何年も植えっぱなしの栽培状況を見たことはない。

 

紫草の白い花には煉瓦塀がよく似合う

雨の滴に濡れても美しい。だが高湿は禁物

 

 2ヶ月後の播種を控えた現在、わたしたちは昨年の試行錯誤の試練をつぶさに分析し、もっと紫草の性質を知り、土壌配合・施肥・防虫・高温高湿・雨天対策などに取り組まなければならない。掲載写真のような美しい純白の花が咲いても、まだまだ紫根染へのチャレンジは近くないかも知れない。そえにもめげず、2018年の再スタートをしようと思うのである。

 

 

【筆者略歴】
蝋山 哲夫ろうやま・てつお

 1947(昭和22)年群馬県高崎市生まれ、池袋育ち。早稲田大学第一商学部卒業後、ディスプレイデザイン・商業空間設計施工会社を経て、株式会社電通入社。つくば科学万博、世界デザイン博、UNEP世界環境フォトコンテスト、愛知万博などの企業パビリオンをプロデュース。その他、企業・自治体のコーポレート・コミュニケーション、企業・団体の国内外イベントで企画・設計・映像・展示・運営業務に携わる。現在、西東京紫草友の会会長、地域文化プロデューサー、イベント業務管理士。西東京市中町在住。「古文書&紫草ライフ」が目下のテーマだが早期引退を模索中。

 

 

 

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