杉山尚次(編集者)

 もしも「ブラタモリ」がひばりが丘に来たら、という設定でこの回をスタートしようと思ったら、すでに同じ狙いの企画が「ひばりタイムス」に掲載されていた。それも3回。キーワードは「スリバチ(地形)」、つまり窪地。ひばりヶ丘駅周辺から東久留米を流れる黒目川、その支流の落合川、立野川などを経巡り、高低差のある地形とか暗渠といった特徴的なポイントを探る、研究者の解説付きの散歩イベント。タイトルは以下のとおり。どの回もきれいな写真が多数掲載されているので、ぜひ参照を。

 西東京市選挙管理委員会は4月20日、任期満了に伴う東京都議会議員選挙(西東京市選挙区)は6月25日告示、7月4日投開票と決定したと発表した。立候補予定者説明会は5月19日の予定。

 西東京市は4月20日、この日まで1週間の新型コロナウイルス感染者は43人、累計1253人になったと発表した。今年3月初めから7週連続上昇となった。(図は西東京市の週間感染者の推移。西東京市Webから)

 西東京市は4月20日、市立学校施設の利用者1人が新型コロナウイルスに感染していることが判明したと発表した。市教育委員会は同日、施設の消毒を実施した。

 西東京市の高齢者施設4ヵ所で4月19日、入所者や職員に対する新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった。この日は65歳以上の高齢者約5万2000人にワクチン接種のクーポン券(接種券)も発送された。市は予約体制を整備して5月上旬から受け付け、中旬からの一般の高齢者の集団接種などを進めたいとしている。(写真は、「痛い?」「痛くない!」=特別養護老人ホーム保谷苑)

 「倚りかからず」「わたしが一番きれいだったとき」などの作品で知られる詩人の茨木のり子さんは2006年2月、西東京市東伏見の自宅で亡くなりました。今夏は没後15年を記念するイベントが予定されています。茨木さんの詩の魅力にひかれた人たちが、今年も詩を朗読する「茨木のり子の詩と思索を巡る旅~春の集い 」を開きました。主催した「茨木のり子さんの家を残したい会」発起人の一人、柳田由紀子さんの報告です。(編集部)(写真は「春の集い」=大場誠司さん提供)

 西東京市は4月20日、市内の市立中学校で生徒1人が新型コロナウイルスに感染していることが判明したと発表した。学校活動で感染拡大の恐れはないとしている。

 西東京市の風物や暮らしを映し出す第2回「西東京百姿」写真展が4月18日から西武新宿線田無駅前の商業施設アスタ2階のセンターコートで始まった。このあと4月末から6月半ばまで、ひばりが丘PARCO、フレスポひばりが丘、保谷こもれびホールで巡回展示する。(写真展の会場となったアスタ・センターコート)

 西東京市の田無駅北口前で始まったフードパントリー活動が年度を超え、4月半ばのいまも続いている。元八百屋の店舗を借りて昨年10月から3月末までの予定で始まった。しかし「食」支援の必要な人たちが急に消えるわけではない。貸主の厚意もあってこれまで通り毎週2回、支援活動は6月まで続くことになった。(写真は、会場の元八百屋さんの店舗)

 練馬区は4月16日、区立子ども家庭支援センターに勤務する職員1人が新型コロナウイルスに感染していることが判明したと発表した。同センターは19日まで臨時休業し、濃厚接触者を特定中という。

 西東京市は4月15日、市立中学校の女子生徒1人が新型コロナウイルスに感染したことが判明したと発表した。保健所の調査で、学校活動による濃厚接触者は特定されなかったという。

 西東京市は4月14日、市立スポーツ施設の指定管理者職員1人が新型コロナウイルスに感染していることが判明したと発表した。保健所の調査で、濃厚接触者はいなかったという。

 小平市のご当地ヒーロー「地域宣伝隊コダレンジャー」誕生10周年記念のスペシャル動画がこのほど完成し、YouTubeで公開が始まった。小平市内の名所をバックに、3人のヒーローが宿敵と戦闘やクイズ合戦を繰り広げながら、小平の魅力をアピールする。コロナ禍によるイベント中止で登場の場を失ったキャラクターたちが動画の中で生き生きと活躍している。(写真は、地域宣伝隊コダレンジャーの3人。YouTube公開動画から)

 西東京市は4月13日、前日までの1週間に市内で新型コロナウイルスに感染したのは36人、市内の感染者は累計1210人になったと発表した。3月初めから6週連続増加し、昨年11月末の水準になった。(図は西東京市の週間感染者の推移。西東京市Webから)

 「西東京市平和の日」の4月12日、第二次大戦末期の米軍空襲の犠牲者を悼む「平和観音慰霊祭」が市内田無町3丁目の田無山總持寺山門前で開かれた。市はコロナ禍を考慮して「平和の日」式典を控えたが、市長らのビデオメッセージを市のホームページに掲載したほか、田無駅北口のアスタビルで戦災パネルや1トン爆弾の模型を展示して戦禍の記憶をあらたにした。(写真は、平和観音慰霊祭会場の總持寺山門前)