今夏が最後の西東京サマーフェスティバル 四半世紀の歴史に感謝を込めて

投稿者: カテゴリー: 暮らし オン 2019年7月23日

サマーフェスティバルのポスター(クリックで拡大)

 毎夏、田無駅北口大通りで開かれてきた「西東京サマーフェスティバル」が今年、四半世紀の歴史に幕を閉じることになった。「感謝」を合い言葉に7月28日(日)、市内外の11団体約400人が夜8時まで、路上ステージやペデストリアンデッキでパフォーマンスを繰り広げる。

 フェスティバルの出しものは阿波踊り、よさこい踊りを始め、和太鼓、子どもや高校生のダンスなどバラエィーに富み、地元の団体や市外の出演者らの競演と共演に沿道から拍手が起きる夏の名物イベントだった。

 企画が始まったのは1994年(平成6年)ごろだった。フェスティバル実行委員会の4代目委員長を務める名古屋栄司さん(54)によると、田無駅北口駅前の再開発が一段落したころ、旧田無市内の各商店会長らが集まり、「ここでしか見られないお祭にしよう」と実行委員会を立ち上げた。

 「今年が24回目ですから、第1回は1996年ですね」と名古屋さんは振り返る。高円寺の阿波踊りチーム「しのぶ連」や琉球國祭り太鼓などは当初から参加。朝霞なるこ遊和会や昇龍祭太鼓なども常連団体。「みなすごい団体なので、出演交渉した先人たちの熱気が伝わってきます」と言う。その後、たなし連や和太鼓グループTAWOO(タオ)、TANASHIソーラン会​など地元勢も喝采を浴び、祭りを盛り上げるるようになった。キッズダンスチームや田無高校ダンス部らも加わってフェスティバルは大きく育った。「いろんなところを見て回って、いいとこ取りしました」と言う。

 

たなし連としのぶ連の共演(2018年7月)

琉球國祭り太鼓(2016年8月1日)

TANASHIソーラン会(2017年7月30日)

 

 規模が大きくなると仕事も増える。出演団体の稽古を見て企画を考え、関係者との打合せや協力依頼のほか、会場準備、警備や救護、給水や保険まで手配する。企画が動き出してから四半世紀。実行委員会の高齢化も進み、このところ「次の世代にバトンタッチする時機」との声が出るようになった。出演団体の控室になっていた市民会館が今春、閉館した。今年は近くの小学校の体育館を借りて凌ぐけれど、「そろそろ…」の声も上がって実行委員会で話し合い、フェスティバルの幕を閉じることになった。

 名古屋さんは「若手の育成ができななった」と悔やみながら、「長い間、大勢の方々の努力と協力で続けてこられた。本当に『感謝』の一言です。今年のポスターの真ん中に、この二文字を入れました」と感慨深げに話した。

 

西東京スマーフェスティバル実行委員会委員長の名古屋栄司さん

 ペデストリアンデッキの出店が実現したことは記憶に残る出来事だった。3年越しの交渉が実って地元優先の方針の下、最初は5店舗から始め、今回は17店舗になった。路上パフォーマンスに加え、ペデストリアンデッキの出店がフェスティバルの活気と賑わいをさらに広げた。東日本大震災の翌年、福島、宮城、岩手の3県の物産展も開いた。思い出は次々に蘇る…。

 今回の「ザ・ファイナル」は、これまで出演してきた団体のコラボをふんだんに盛り込むプログラムを組んだ。「フィナーレには、ちょっとしたサプライスを用意します。期待してください」と名古屋さん。「これからは若い人たちが西東京の底力を発揮して、魅力あふれるまちづくりを進めてほしい」。後に続く世代に贈るメッセージだった。

 サマーフェスティバルは雨天決行。田無北口大通りでは28日午後3時30分から夜8時までパフォーマンス。ペデストリアンデッキでは7月27日と28日、午前11時から夜8時まで模擬店とパフォーマンスの予定。
(北嶋孝)(写真は1-3枚目柿本珠枝さん撮影、4枚目は筆者)

 

北嶋孝
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今夏が最後の西東京サマーフェスティバル 四半世紀の歴史に感謝を込めて」への1件のフィードバック

  1. 1

    本文中、名古屋栄司氏の名前を誤って「英司」としていました。ご迷惑をおかけしました。7月24日午後3時50分すぎに訂正済みです。確認が不十分でした。お詫びして訂正します。併せてフェスティバルの日時なども追加しました。(北嶋)

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