過去と今を結ぶ川 夕空望んだ「スリバチ散歩」

投稿者: カテゴリー: 環境・災害 オン 2019年11月14日
転用不可 台地から窪地に沈む夕陽

清瀬方面を望む参加者(東久留米市浅間町3丁目付近)

 夕刻の台地から、東久留米の谷間を望む人垣—。今回が3回目となる「ひばり文化祭」の企画の一つとして、ひばりが丘周辺の「スリバチ(窪地)」をテーマとした講演会とフィールドワークが開催されました。案内役は、多摩武蔵野スリバチ学会会長の真貝康之さん。11月2日午後2時30分、ひばりが丘PARCOを出発し、約30人が立野川・落合川・黒目川の合流点付近の約7キロを歩き、流れの変化や地形から察する過去の土地の姿に思いを馳せました。

 地理や散歩が好きな人の集いとして回を重ねている同企画。私は2018年11月3日に行われた第1弾にも参加しました。経路中には前回と重複する部分もあったのですが、今回初めて訪れた場所のひとつが弁天川でした。

 弁天川は東久留米駅の北東にある厳島神社の湧水を水源とする川で、現在その一部が暗渠となっています。フィールドワーク当日は水がなく、涸れていました。その弁天川の暗渠が、黒目川の南側に位置する大門低地のところで直線的になっている部分がありました。付近の団地の建設にともなって直線的に暗渠が敷かれた可能性などについて、講師の真貝さんと参加者たちが想像を交えて話していました。

 

弁天川の暗渠(東久留米市大門町2丁目付近)

 

 真貝さんは、先だって開かれた講演会で、明治時代の地図と現在の空中写真をスクリーンに映しながら、黒目川と落合川の合流点の時代による変遷について紹介しました。現在の合流点は黒目橋付近ですが、かつてはそこよりも南、江戸時代の鷹匠頭・小野家の屋敷があったとされる「小野殿淵」付近が合流点だったと考えられるとのことでした。

 

登壇する真貝さん(ひばりが丘PARCO5階)

 

 フィールドワークでその合流点付近を訪れたのは午後3時時50分頃でした。当日の水量は豊かで、力強く流れていました。神宝大橋の上に立ち、夕日に照らされた川面に向かって多くの参加者がカメラのシャッターボタンを押していました。私の目で見ても特徴的な地形に思えるこの周辺は、地質学者からも注目されていると真貝さんは言います。

 

神宝大橋上から望んだ黒目川と落合川の合流点付近

 

 今回歩いた立野川・落合川・黒目川を擁する地域は、北側の小山台地、南側の浅間町学園町台地に挟まれています。その窪んだ地形に幸町本町台地、浅間町南沢台地といった微高地があり、その間を黒目川・落合川・立野川が流れています。広く大きく窪んだ地形の中に小さな窪地がある様子を指して、真貝さんは「谷の中の谷」と言いました。南北の台地に挟まれた「大きな谷」を、「古多摩川」の痕跡とする説があるそうです。私たちが歩いた「谷の中の谷」はすべて、「かつての水底」だったかもしれないのです。

 

当日配布された、経路入りの地図(真貝さん作成)(クリックで拡大)

 

 フィールドワークの終盤に訪れた立野川の南側の台地からは、北側の小山台地、清瀬方面を遠くまで見通すことができました。住宅の切れ間から「古多摩川」の水底だったかもしれない谷を望んで、高低差を実感しました。時刻はおよそ午後4時30分、上空の青と地平に近いオレンジの混ざった美しい夕焼けを眺めながら、フィールドワークの始点と終点を結びつけるべく、参加者の列はひばりが丘の街へと帰っていきました。過去と今の姿は一本の川でなく、循環する輪の姿をしているのかもしれない、などと思いつつ—。
(青沼詩郎)(写真は筆者提供)

 

【関連情報】
・多摩武蔵野ランブリング(多摩武蔵野スリバチ学会blog
・多摩武蔵野スリバチ学会(Facebook
・ひばり文化祭(ひばりが丘PARCO

 

【筆者略歴】
 青沼詩郎(あおぬま・しろう)
 1986年生まれ、西東京市出身、在住、在勤。都立大泉高等学校、東京音楽大学音楽教育専攻卒業。楽器の演奏と歌唱が日課。2児の父。

 

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