「わたしの一冊」第1回
J・クリシュナムルティ著、大野純一訳『生と覚醒のコメンタリー』(全4巻)

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2020年10月8日

 

 自分の人生を変えた一冊、心に深く残った一冊、ぜひ勧めたい一冊。自分にとって取っておきの本を紹介する新企画です。毎月第2木曜日に掲載します。(編集部)

 

『生と覚醒めざめのコメンタリー』(全4巻)

 

比類なき人生相談の記録 by 片岡義博

 

 「黄昏時の長い影が、静かな水面の上にあった、そして川は、午後から静かになりつつあった」。この随想録の多くはそんな自然描写から始まる。次に来訪者の様子が描かれる。「彼は快活な人物だった。そしてしきりに知恵を求めていた」というように。

 

 インドの哲人クリシュナムルティ(1895〜1986年、略称K)の著書に初めて触れたのは20代の前半だった。『生の全体性』と題する物理学者と精神科医との鼎談集だった。

 

 この人はいったい何を言いたいんだ? それが正直な感想だった。一方で当時流行していたニューエイジ思想とは一線を画す明晰な知性と静謐な精神に惹かれ、関連著書を読み継いだ。孤高の姿からは想像できない波乱と神秘の生涯にも心躍ったが、こんな人物が自分と同時代を生きていたことにまず驚いた。

 

 

子どもたちと語り合うクリシュナムルティ(『生と覚醒のコメンタリー3』の扉より)

 

 Kの主著である全4巻の本書を当時の私は比類なき人生相談の記録として読んだ。無名の庶民、高名な学者、敬虔な宗教者とさまざまな人物がKのもとを訪れ、隣人の騒音から愛息を喪った悲しみ、世界に正義が実現されない不条理まで、ありとあらゆる悩みを打ち明ける。対話を通じてKが与えるのは回答ではない。徹底的な自己省察、人間観察に基づく洞察だ。それがまた厄介極まりない。

 

 「あらゆる経験は、過去、既知なるものの見地で解釈する過程であり、そしてそれゆえ、そこには既知なるものからの自由はない。あるのは、これまであったものの修正された連続に過ぎない。精神は、この連続が終息するときにのみ自由である」

 

 経験、知識、記憶、思考、信念、理想、伝統……私たちが大事にしてきたものが次々と理詰めで粉砕される。ではどうすればいいのですか? と来訪者と同じ質問を発したくなる。だがその問いさえも否定される。

 

 「『いかにして』は、野心や葛藤の道であり、そしてまさにその質問そのものが、あなたが問題の真理を見ることを妨げるのである」

 

 取り付く島がない。いや、「取り付く島」の否定こそが教えの真髄と言える。「宗教的哲人」「精神的指導者」などと紹介されたK自身は、あらゆる宗教組織、教義、導師、修練を否定した。私と同世代の人間が教祖とその教えに帰依した果てにオウム真理教事件を起こしたのは、Kを知ってほどなくしてのことだ。そしてKの言葉が仏教の世界観と重なることを理解したのは、さらに後になってからだった。

 

 以前のようにKの言葉を追うことはなくなった。だが書棚の一列を埋めるその著作群の背表紙を眺めると、今も気持ちがいでいく。

 

【筆者略歴】
 片岡義博(かたおか・よしひろ)
 1962年生まれ。共同通信社文化部記者として演劇、論壇などを担当。2007年フリーに。2009年から全国52新聞社と共同通信のウェブサイト「47NEWS」で「新刊レビュー」を連載。小平市在住。

 

【書籍情報】
書名:『生と覚醒めざめのコメンタリー』(全4巻)
著者: J・クリシュナムルティ著、大野純一訳
出版社: 春秋社
発行年:旧版1984年、新装版2005年
単行本: 各巻369〜392ページ
定価:新装版各2000円+税(品切れ状態、重版未定)

 

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