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「書物でめぐる武蔵野」第3回 「ふんばりが丘」発「鉄道忌避説」行

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2020年12月24日

杉山尚次(編集者)

ふんばり温泉

 

 11月下旬のある日、東京メトロ有楽町線の駅から西武池袋線直通電車に乗ると、ちょっと異様な光景にでくわした。同じ絵柄のキャラクターのポスター類が車内を席巻している。「ふんばり温泉」という文字が目につく。西武電車にはよく登場する秩父の温泉かと一瞬思ったが、「ふんばり」??? キャラクターの絵柄はいまどきのタッチで、筆者のような〝古老(連載1回参照)〟にはなじみがない。よく見るとアクセス案内風に「ふんばりが丘」と駅名があり、その左には「南南東久留米」、右には「保々谷」とある。やっと、パロディなのね、と腑に落ちた。

ひばりヶ丘駅構内のポスター

 

 この車両は、コミック作品『シャーマンキング』(武井宏之)の完結版35巻と2021年4月のTVアニメ化を記念した貸切電車で、11月30日まで運行されたらしい。また、ポスターはひばりヶ丘駅構内にも貼られていた(写真)。

 

 作品は、シャーマンと呼ばれる霊能力者の主人公が、シャーマンたちの頂点を決めるべく戦いを繰り広げる物語で、キャラクターたちが「ふんばり温泉」でくつろぐシーンもあるようだ。正直に申し上げるが、筆者はジェネレーションギャップを感じて未読のため、それが何巻にあるのか説明できない。90年代の大ヒット作というのに申し訳ない。ただ、最初の数巻を〝立ち読み〟したところ、1巻目に、90年代の(というか最近までそうだったが)ひばりヶ丘駅にあった橋上の改札やホーム上のベンチと思しきシーンがあり(ここにも「南南東久留米―ふんばりが丘―保々谷」が出てくる)、懐かしさを感じた。

 

【作品情報】
◎講談社マガジンエッジKC『SHAMAN KING』 全35巻(少年マガジンエッジ公式サイト
◎TVアニメ「SHAMAN KING」(SHAMAN KING Project) 完全新作TVアニメが2021年4月よりテレビ東京系にて放送開始

 

『めぞん一刻』の東久留米

 

 「ひばり」近辺でコミックやアニメと舞台となった場所といえば、『めぞん一刻』の東久留米が有名だ。高橋留美子による80年代のラブコメディ。「一刻館」というアパートの若き未亡人「管理人さん」と「五代くん」とのすれ違いがちに進む恋の行方を、一刻館に住まう個性的な人々を絡めて描き、名作の誉れ高い。

 

 そこに登場する駅舎、商店街、踏切、スナックetc.は東久留米に存在し、作品の舞台は東久留米だといろいろなところで指摘されている。たしかにそれぞれのシーンをみると、(地元の人間は)なるほどと納得するだろう。

 

 ネットで「めぞん一刻 東久留米」で検索すれば、いろいろな「研究」が見られる。わが「ひばりタイムス」でも、墨威宏氏が「銅像歴史さんぽ・西東京編 5」(2020.2.13)で、「「めぞん一刻」に登場する「時計坂駅」のモデルとされた北口駅舎」と述べておられる。

 

 2009年に東久留米北口駅舎が立て替えられる際、地元の商店街有志が、さよならイベント「めぞん一刻時計坂駅面影巡りスタンプラリー」を催した。このとき、駅名の看板を一日だけ「時計坂」としたり、そのポスターに「管理人さん」を載せているところをみると、作者本人が『めぞん一刻』の舞台は東久留米である、と公式に述べたことはないようだが、半ば以上公認していると思える。

【参照】めぞん一刻時計坂駅面影巡りスタンプラリー/東久留米北口駅舎さよならイベント@東久留米市(「人は島嶼にあらず」)

 

書影『めぞん一刻 (1) (ビッグコミックス) 』(高橋留美子、1982年、小学館)

 

鉄道忌避伝説

 

 その「時計坂駅」ならぬ東久留米北口駅舎は、往時写真のような姿だった。これが、骨格はそのまま21世紀(2009年)まで使われていたということも、この駅の「頑なさ」みたいなものを感じさせてなかなか趣深い。というのも、東久留米駅の改札口は長い間ここしかなく、ものすごく不便な駅だったからだ。市役所やイトーヨーカ堂がある西口に行くには、商店街を通って迂回し、踏切を渡らなければならなかった。ホームの向こうには頑な感じの畑が広がっていた。西口ができたのは1994年。駅の開業は1915年だから80年かかっていることになる。

 

1969年の駅舎(『光の交響詩』東久留米市教育委員会、2000年、p115)

 

 この歴史を考えると、駅の設置をめぐって市刊行の書物に「汽車のばい煙が養蚕に悪影響を与えるとか、燃え殻による火事を心配する声も少なくなかったようです」(『東久留米の近代史』p100、東久留米教育委員会、2012年)とあるように、鉄道に対する反対があったのも、むべなるかな、と思えてくる。

 

 ところが、こうした鉄道忌避の話は伝説にすぎないというのがいまや常識のようなのだ。

 

 実をいうと最近まで筆者は「鉄道忌避説」を疑っていなかった。たとえば田無について「明治22年(1889)、甲武鉄道(現中央線)が新宿と立川を結んだ。当初、多摩を代表する町の一つである田無を経て立川方面へ敷設する計画だったが、周囲は養蚕が盛んで「汽車の煙が桑に有害である」という農家の反対により田無通過の計画は変更された」(『多摩の街道  上 』清水克悦・津波克明著、1999年、けやき出版)というような説を何度か目にした記憶があったからだ。

 

 しかし、正反対の見解を知った。前回に引用した『地図と鉄道文書で読む私鉄の歩み 2』(今尾恵介、2015年、白水社)の冒頭(p13)は、「この種の「鉄道忌避伝説」は全国各地で似た内容のものが流布しているが、…鉄道史研究者の地道な調査によって否定され、今では「組織的な反対運動はなかった」というのが定説になっている」と述べている。

 

 こういわれると、忌避説には眉唾で臨まざるをえなくなる。さらに決定版にみえる本があることも知った。その名も『鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町』(青木栄一、吉川弘文館)。

 

 2006年の刊行で、『地図と鉄道文書…』より先に出ている(なぜか参考文献には載っていない)。筆者のような門外漢には「鉄道史研究者の地道な研究」を総括した書物に思える。

 

 この本の結論をまとめてみる。
・鉄道創業時の忌避説には信頼できる文書史料はない。
・それどころか、各地の地域社会はかなり早い時期から鉄道の有効性を認識し、その導入に積極的に努力していたという事実がある。
・鉄道のルート計画は、技術的、経済的な制約の中で採りうる最良のものが選択される。反対運動によるルート全体の変更は考えにくい。たとえば中央線が直線なのは、反対運動のせいではなく、技術的、経済的に理想的な選択ができたからだ。
・「宿場がさびれる」、「沿線の桑が枯れる」といったことを理由にした鉄道反対運動はまったくといっていいほど確認できない。
・こうした伝説は古老の昔話として伝えられたものが安易に流布されたものである。それが検証されずに歴史アカデミズムや市史などの地方史誌、学校教育のなかにまでとり入れられ、いわば「常識」のようになってしまった。

 

書影2『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』(青木栄一、2006年、吉川弘文館)

 

田無はどうだったのか? 東久留米は?

 

 同書は、甲武鉄道(現中央線)をめぐる田無の「鉄道忌避説」についても触れている(pp176-187)。田無は反対が強く、測量もさせなかった、と1963年刊行の『八王子市史』と69年刊行の『立川市史』が述べていることを紹介。60年代70年代の地方市誌では「鉄道忌避説」が強く展開されていたと述べる。田無という街はその代表例だったわけだ。

 

 ところが90年代に入ると、地方市誌の忌避説に対する姿勢に変化がみられるようになったという。95年刊行の『田無市史』では、「鉄道に反対したとは書かず、消極的であったと述べ」、「大分トーンが落ちている」と指摘している(p183)。

 

 こうしてみると「鉄道忌避」は「伝説」にすぎず、かなりアヤシイことはわかる。判で押したように「汽車のばい煙で桑がダメになる、火事が心配」という話が流通しているのもアヤシサを助長している。

 

 しかし、それでは先に挙げた東久留米の例はどうなのか。「反対の声」というのは伝説なのだろうか。

 

 この本は次のような自説への批判を載せている(p185)。「府中や田無などの人々が鉄道が通るのを反対したという言い伝えが、いまなお根強く存在している以上、それを単に『鉄道忌避伝説』として片付けるのではなくて、なぜそのような言い伝えがうまれたのかを、明らかにする必要があるだろう」(『武蔵野市百年史』武蔵野市編・刊、2001年)。

 

 当然反論も書いているが、これは立派な態度だと思う。しかし、反対の声の存在を事実認定の問題、「あったか/なかったか」の問題に還元しているようにもみえる。

 

 歴史的な事象の扱いは一筋縄ではいかない。これは鉄道の歴史だけの問題ではないのは、もうおわかりだろう。

 

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「書物でめぐる武蔵野」第3回 「ふんばりが丘」発「鉄道忌避説」行」への4件のフィードバック

  1. 1

    長野県の上田市の出身です。
    上田駅は市の南端の千曲川の近くに有ります。
    蚕都だった上田では、桑への煙害を懸念して、鉄道の駅を市街の南端に作ったと聴いています。が、これも眉唾物かも知れません。

    • 2

      コメントありがとうございます。紹介した本では、地方都市で中心部から離れたところに駅があるのは、「忌避」と関係ないとしています。ただ、金沢、弘前ほか多数の地方都市、近場でいうと保谷や東久留米も、駅は中心部から離れた場所にあります。この共通性には何かありそうに思えます。

  2. ものの おまち
    3

    それでも、鉄道忌避は会ったのかもしれない、と思います。
    田舎にいるので、田舎人の頑迷さ、迷信深さ、変化を嫌う気質をひしひしと感じていますから。

  3. 4

    コメントありがとうございます。なるほど。小さい地域社会でも(だからこそ、か)、統計や公式的な議論にはあらわれない、目に見えない構造があるということですね。一筋縄ではいきません。

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