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「わたしの一冊」第5回 レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳、森本二太郎写真『センス・オブ・ワンダー』

自然がもたらす生きる力 by 卯野右子

 立春を迎えた翌日、光かがやく青空に吸い寄せられて庭にでてみると、マグノリア・ロイヤル(コブシの一種)の蕾が毛羽立ち膨らんでいた。近くの公園でもロウバイが咲き、ウメの花がほころびはじめている。

 季節は巡る。花々が春の到来を告げる。何も言わない木々や草花の生命力に力づけられる。

 

知恵を生み出す種子

 

 レイチェル・カーソン(1907-1964)の『沈黙の春』(1962)を読んだのはいつだったろう。著者はアメリカ合衆国ペンシルベニア州に生まれ、同著により環境汚染問題を告発した海洋生物学者だ。

 人間の都合で自然や生物をコントロールしようとすることから生ずる環境汚染と生態系の乱れを危惧した警告の書。農薬や殺虫剤に含まれるDDTなどの化学物質の危険性についての記述を読み、人間が自然界に対してどれほどの愚かな行為を続けているかを知った。表題から春が沈黙する光景を想像し、目の前が暗くなった記憶がある。

 『沈黙の春』を書き終えたレイチェル・カーソンは、自分に残された時間があまりないことを知っていた。そして最後の仕事として以前雑誌に掲載した作品を膨らませ、単行本として出版しようとしていた『センス・オブ・ワンダー』の脱稿を前に、1964年56歳の春に旅立った。彼女の遺志を継いだ友人らが原稿を整え、翌年出版にこぎつけた。

 “センス・オブ・ワンダー”とは、美しいもの、神秘的なものに触れた時にわき起こる不思議な感動をいう。アメリカ・メイン州の彼女の別荘によく遊びにきていた姪の息子ロジャーといっしょに海辺や森の中を探検し、星空や夜の海をながめた経験をもとに書かれた作品だ。浜辺のカニを観察し、貝殻を拾う。満月が海に沈みゆく瞬間に水面がきらめく光景をながめ、雨を吸いこんで膨らんだ苔のじゅうたんに飛びこむ。

 「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています」と著者は言う。貝や鳥の名前を覚えることよりも、その形や鳴き声の美しさに触れる体験のほうがはるかに大切だと説く。感じたひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子となる。さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌。子ども時代はこの土壌を耕す時だ、と。

 

マグノリア・ロイヤル [1]

春の日差しに膨らんだマグノリア・ロイヤルの蕾

 

私たちをいやしてくれるなにか

 

 自然の美しさや神秘をじっと観察することをレイチェルに教えたのは、母マリアだった。あらゆる生きものが互いにかかわりあいながら暮らしていること、どんな小さな生命も大切であると感じとる経験をレイチェルは母から学んでいた。

 「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通じる小道をみつけることができると信じています」

 世界中の子どもに、生涯消えることのない”センス・オブ・ワンダー”を授けてほしいと願った著者の思いは受け継がれているのだろうか。

 「地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう」「自然がくりかえすリフレイン――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなく私たちをいやしてくれるなにかがあるのです」と語った著者の言葉は、同著を紐解くたびにより強く迫ってくる。

 

春の光を浴びに出よう

 

 北陸の田舎で生まれ育ちながら自然のありがたさやその神秘に触れる機会があまりなかった私でも、齢を重ねるにつれ花々の美しさに目を奪われ、春夏秋冬それぞれの良さを味わえるようになってきた。経験したことのないパンデミックの渦中だからなおさらなのか、変わらずに光り輝く月や星々に心打たれる。雨雲に覆われ時には見えない月や太陽も見えないだけでそこにある。限りある命のありがたさが身に沁みる。

 いつ終息するとも知れないコロナウイルスの脅威とは共存していくしかないのだろう。閉塞感に息苦しくなったり、不安に駆られるたりもする。そんなときは人混みを避けて身近な自然を探しに散歩に出よう。雲が流れる空を見あげ、鳥のさえずりに耳を傾け、梅の香を運ぶ風に頬をなでられよう。わずかな隙間から芽を出し成長する植物の力強さを見つけよう。雨粒が傘にぶつかる音を聞き、その冷たさや痛さを味わおう。あたたかさと眩しさを増す春の光を浴びに出よう。

 子ども時代に多くの種子を得ず、土壌を耕す経験が少なかったとしても、決して遅くはないはずだ。”センス・オブ・ワンダー”は、風光明媚な遠くの観光地に行かずとも、窓辺の小さな植木鉢の中や玄関を出たすぐの場所で見つかるだろう。感じるだろう。そんな確信にみたされ力がみなぎってきた。

 著者は結ぶ。「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。太陽と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手にいれられるものなのです」と。

 

【書籍情報】
書名:センス・オブ・ワンダー [2]
著者:レイチェル・カーソン
訳者:上遠恵子
写真:森本二太郎
出版社:新潮社 [3]
発行年:1996年(1991年初版:佑学社)

 

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