映画「Passage of Life」試写 日本・ミャンマーメディア文化協会の設立披露会

投稿者: カテゴリー: 文化 オン 2016年9月21日

160407_paper_design-compressed_450 NPO法人日本・ミャンマーメディア文化協会の設立披露会が9月18日(日)、東京・墨田区のすみだリバーサイドホール・ミニシアターで開かれ、協会が取り組んできた映画「Passage of Life」の「ほぼ完成版」が上映された。西東京市の田無庁舎や市内の居酒屋、アパートなどがロケ地として登場し、在日ミャンマー人一家の苦境と家族のつながりがドキュタリータッチで描かれている。

 映画は、一家の母親が医師の診察を受け、睡眠薬をもらう場面から始まる。父親は難民申請を重ね今回も却下。将来が見通せないため、精神状態が不安定になったのだ。父親は居酒屋で働き、母親はクリーニング工場に出かける。幼い二人の子どもはふざけたりしながら、狭いアパートで仲良く過ごしている。

 しかし国の壁は厚い。帰国するかどうか両親が対立すると、子どもたちにも緊張が伝わる。間に入って親に甘える二人。家族の悩みと切ないしぐさが、子どものあどけない表情とともに描かれる。

 

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映画「Passage of Life」のfacebookから(日本・ミャンマーメディア文化協会提供)

 難民申請の事情を遠景にしながら、国と国の狭間で暮らす家族の近景は複雑だ。入国管理事務所の職員が訪ねてくると、母親の応対は神経質になる。本音は、支援するボランティアスタッフに向けられる。
 「私たちは普通の暮らしがしたいだけなのに、犯罪者のように扱われる」「いつも怯えて暮らしている生活はもういや」
 言葉の重さが伝わってくる場面だ。

 映画の後半は、父親を日本に残して帰国した母親と子どもの暮らしに焦点が当たる。郷里のヤンゴンは、活気と混雑が入り交じった街だった。父親とはスマートフォンを通して話すしかない。母親や弟は、一緒に暮らす親族らと楽しそう。しかし言葉も不自由で、学校生活にも親族になじめない兄は、ある日家を出る。遠くの父を慕う気持ちを抱えながら街をさまよい、歩き疲れて夜を明かす…。やるせない子どもの心が、ドキュメンタリー調の映像とあいまって忘れがたい。

山本亨墨田区長

山本亨墨田区長

 墨田区はフィルムコミッション(映画やテレビなどの撮影支援部署)を通して、この映画を全面支援した。上映前に挨拶した山本亨区長は「この映画は、家族のつながりと愛情を描いていると、監督から聞きました。墨田区は人情に厚い下町です。映画のテーマと同じく、人とつながり、多文化共生社会を目指しています。フィルムコミッションを活用し、シティプロモーションの一環として映画を支援をしました」と話していた。

 西東京市の佐藤公男市会議員は、ロケ地を探していた映画関係者と知人だった縁で尽力した。田無庁舎市民課の窓口が入国管理事務所として画面に登場。母親が勤めるクリーニング工場や家族が暮らすアパートも市内がロケ地だった。

 この日映画を上映した日本・ミャンマーメディア文化協会は今年3月に設立。西東京市に事務所を構える。母体となった日本・ミャンマー映画制作委員会時代にクラウドファンディングで約157万円の資金を集めて映画制作を始め、この日の上映にこぎ着けた。映画の「後援」には外務省、観光庁などが名を連ねている。

藤元明緒監督

藤元明緒監督

 徹夜で編集作業をしたという藤元明緒監督は、「構想から4年。撮影を始めたのがちょうど2年前です。映像はほぼこれで仕上がり、あとはせりふや背景の音を調整して完成します。ようやくここまで来ました」と感慨もひとしおだった。

 映画プロデューサーであり、同文化協会の理事長も務める渡邉一孝さんは「映画が完成したら海外の映画祭に挑戦したい。まず来年初めに開かれるベルリン映画祭に出品したいと考えています。そのため国内上映は来年後半になるかもしれません。ミャンマーでの上映も視野にいれています」と語っていた。

 この日の協会設立披露の会には、国会議員や大学の研究者、西東京市の職員ら約40人が集まった。上映が終わると、長い拍手が続いた。
(北嶋孝)

 

日本・ミャンマーメディア文化協会の設立披露会(墨田リバーサイトホール・ミニシアター)

日本・ミャンマーメディア文化協会の設立披露会(すみだリバーサイドホール・ミニシアター)

【関連リンク】
・NPO法人日本・ミャンマーメディア文化協会>>
・映画「Passage of Life」公式サイト>>

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