第16回 都市農業のゆくえ


  富沢このみ(田無スマイル大学実行委員会代表)


 

 前回の「緑の喪失に歯止めはかけられるか」では、後半に都市農業について総論的なことを取り上げた。今回は、実際に西東京市で農家の方々がどんな思いで営農されているのかを伺ってみた。

 

1.新倉大次郎さん(ハーブ)

 

 新倉大次郎さんは、現在、1.5~1.6haくらいの農地で、ハーブと野菜で150~200種を生産している。「(有)ニイクラファーム(注1)のハーブを使っています」というのは、今やレストランにとっては、ある種のステイタスを示す言葉になっている。これくらい高いブランド力を得ている農産物も珍しい。

 私がお邪魔した日も、西麻布のレストランで働く人が勤めに行く道すがら仕入に来ていた。また、ひっきりなしに電話やFAXで注文が入る。各注文書を見ながら人の手で小分け、包装して宅配していた。

 作業は、祖母、ご両親、ご自身の4人とパート2人(男性と女性)でまかなっている。納品先の数は、ざっと50~60といったところで、このほか、食品卸数社(そこから店に並ぶ)とも取引している。

(注1)市街化区域では、法人が農地を所有できない。新倉さんのお父さんが個人として農地を所有・経営している。(有)ニイクラファームは、農産物の販売部門と農業以外の部門を担っている。
facebook:https://www.facebook.com/niikurafarm/

 

ベルガモットオレンジミント

案内してくれた新倉大次郎さん

 新倉さんによると、東京の畑は、365日何かしら作っている。地方には農閑期があるが、東京にはない。連作障害が無いわけではないので、土をかき混ぜて新鮮なものにする。癖のない、柔軟性に富んだ土にしている。土には、下から硬板・土・赤土とあるのだが、これをトレンチャーという刃が1メートル30センチほどある機械でかき混ぜてふわふわとした柔らかい土を作っているのだという。

 

ふわふわの土について説明(2015年6月18日「まち探カレッジ」にて)

 

 新倉家が現在のような高付加価値型農業に変貌していった経緯は、とても面白い。昭和40年頃に、成長したスーパーは、野菜などを市場で大量に購入すると値段が上がってしまうことから、場外で購入しはじめた。西友のバイヤーで、アメリカの状況を知って、いち早く場外で販売してくれる農家を探している人がおり、その呼びかけに応じて、大次郎さんのお父さんが仲間と出荷組合を作って対応した。

 スーパーと取引するとなると、年間、毎日、一定量の出荷を求められる。それには、あらかじめ値段をおよそ決め、年間計画を立てて、ビニールハウスや暖房などの設備投資をし、連作障害が起きないよう計画的に土づくりをしなければならない。新倉さんたちは、これまでと違うスキルが要求されることに、ともかくがむしゃらに対応していった。

 スーパーが成長するにともない、場外での購入を増やす必要に迫られた。しかし、農協に販売を依存してきた地方の農家には、なかなか受け入れてもらえない。そこで西友に頼まれ、新倉さんのお父さんは、地方の農家に産地指導に行ったそうだ。同じ作物を大量に作る地方の農家が場外取引に応じるにつれ、少量しかつくれない東京の農家からの取引は、減少する。

 「敵に塩を送ったことにならないのか」と聞いたところ、その代りに市場の新しい動きに対応した作物を作ってくれないかと提案されたという。それは、高級住宅街の店や無印良品で求められる珍しい高級野菜を作ることだった。特定の店舗で販売してみて、反応を見ては生産内容を修正していく、いわば研究開発部門のような役割を担ってきた。

 ハーブとの出会いも、そんな頃に生まれた。お父さんが腰を痛め、重い野菜を扱うのが難しくなった頃、レストランのシェフが買いに来るような店にハーブを置いた。その後、バブルの時代に日本人が海外旅行をし、本場の食べ物に接し、ハーブを求めるようになったことも幸いした。個人経営のレストランが人気になったことも追い風となった。FAXで注文を受け、小口配送する仕組みも、バイヤーの要求にがむしゃらに対応するなかで出来上がっていたので、レストランからの小口注文にもすぐに対応することができたという。

 「逆にハーブが人気となるとライバルも多くなり、いつまでもニイクラファームに、とはいかなくなるのでは?」という私の質問に、「ハーブに取り組まれる方も増えていますが、数年経つと止められる方も多いようで、需要に波があるのは確かです。自分たちは、これまでも、時代、時代の変化に対応してきており、今後も柔軟に対応していくだけです」とのこと。過去に何度も環境変化に対応して生き延びてきた新倉家ならではの答えだった。

 

2.貫井正彦さん(保谷梨、ぶどう)

 

 貫井正彦さんがやっている「ぬくい果樹園」は、梨やぶどうの収穫時期には、新しくできた調布・保谷線沿いに直売所が設けられ、目立つ‘のれん’が掛けられる。訪ねたことはなくとも、道沿いに見たことがある人も多いのではないだろうか。

 

直売店にかかるのれん

 

 正彦さんのご両親の時代に、梨やぶどうの栽培を始め、正彦さんの代になってから、果樹を中心とするようになったという。梨とぶどうがメインだが、このほか、柿、キーウイ、ミカン、レモン、梅なども栽培している。1ha強の果樹園を、正彦さんご夫妻と息子さんの3人で営農している(注2)。直売所があるところにも果樹園があるが、新しい道路を作るために30aほど提供することになった。

 

貫井正彦さん

 

 直売所での販売が主流で、近所の人が8割、2割が電話やFAXでの注文とのこと。購入した人が知人や親戚に送り、そこからまた電話等での販売につながることも多い。昨年からホームページを立ち上げ、ネットからも注文できるようになった(注3)

 農協を通した市場出荷ではなく、自分で値決めをして直販するので、手数料が掛らないというメリットはあるが、顔を見せての商売なので、お客を裏切れないという厳しさもある。たとえば、今年のように、天候不順でぶどうの生育期に十分な日照が得られず思うような味が出せなかった場合には、品物があっても、生食としての販売は中止したという(注4)

(注2) 繁忙期には、息子さんの奥さんも直売所を手伝う。
(注3) HP:http://nukui-kajuen.com/
(注4) 今年は、ぶどうの半分近くを生食として販売せず、ワインにできる品種はワイナリーに販売し、残りは廃棄した。

 

ほーやぼうや

 西東京市で梨を生産している農家は8軒あり、一緒に「保谷梨」のブランド化を図っている。江戸時代からタイムスリップしてやってきて、疲れている人にアスパラギン酸の魔法をかけて元気にしてくれる梨の妖精「ほーやぼうや」というキャラクターも作った。

 保谷梨は、5月頃から良いものだけを残す「摘果」を繰り返し、玉の大きなものを厳選して育てている。また、木で完熟させてから販売するので、その分、市場出荷のものより新鮮で美味しい。しかし、直売所での販売が主流ということもあり、西東京市、特に旧田無市の人たちには、あまり知られていないのが残念だ。8軒の梨農家のうち、4軒は、後継者が就農しているし、残りは主人が50~60代とのことで心強い。是非ブランドを広めたいものだ。

 

木成り完熟を待つ梨

 

 「木成り完熟」といっても、本当に完熟して落ちてしまっては商品にならないので、採るタイミングが難しい。前日に収穫しながら、明日はこの玉が収穫時期だ、と判断しながら作業を進める。この時期には、収穫と販売が重なるので、戦争のような毎日だという。

 どんな作物でもそうだが、土づくりが一番大切だ。化学肥料では、短期間の生産性は高まるものの、長い時間が経つと土が衰えることが分かってきたため、昔からの有機肥料を使った農法に替えてきた。長い年月をかけ、根がしっかりはり、気象状況に作柄を左右されない土づくりをしてきた。

 

盛土式根圏制御栽培法を取り入れた様子

 

 さらに、ぬくい果樹園では、昨年から、「盛土式根圏制御栽培法」(注5)を取り入れはじめた。この栽培法は、栃木県の農業試験場が開発したもので、根の延びる範囲を制限し、水や肥料を自動制御する。天候の影響を減らすことができ、単位面積当たりの収量が倍になる。また、露地栽培だと成木になるのに10年かかるところ、4年で成木になるという。ぬくい果樹園では、まだ一部でしか採用していないが、現在の成木の代替時期に合わせ、この方式に転換していく予定だ。

注5) この方法は、東京では、ぬくい果樹園を含めまだ3軒しか導入していないが、今後全国的に広まると予想される。農業試験場では、現在、梨以外の作物でも実験中とのことだ。http://www.pref.tochigi.lg.jp/g59/kajyu/documents/guidebook.pdf

 

3. 松本 渉さん(中玉トマト)

 

 松本渉さんは、「ファーム柳沢」の名前で、ゆっくり完熟させた中玉トマト「東京トマト」を作っている。西武柳沢駅北口を降りると、都営アパート群が林立している。そこを5分ほど青梅街道に向かって歩いた住宅街の中にファーム柳沢がある。入口に、西東京JAのめぐみちゃんの旗と「東京トマト」の旗が立っている。

 

入口の旗

松本渉さん

 松本さんは、もともと化学工業製品・業務用食品を扱うメーカーの食品開発部門で働いていた。この会社の工場が福島にあり、遊休地が20haもあるため、ここでイチゴやトマトを栽培してはどうかと植物工場の研究を始めていた。ところが、東日本大震災が起こり、福島で栽培するのは見合わせることになった。松本さんの奥様のご実家が柳沢で農家をやっていたこともあり、それではと、57歳で会社を辞め、自宅でトマト栽培をやってみようと思い立った。早速、ハウスを建て、2014年から実際の栽培を始めた。今年で4年目になる。

 

完熟になるのを待つトマト

 

 ハウスに入るには、靴を履きかえ、二重になった網のカーテンを開けて入る。長さ30メートルのポットが6列並び、中玉という直径3センチくらいのトマトが房になって生っている。トマトの房は、上の方からだんだん赤くなるのを始めて知った。

 9月頃に苗を植えて、50日くらいで最初の収穫となり、6月末までで終了する。トマトは、実が生って収穫した後、さらに蔓が伸びてまた実が付き、それが延々と続く。だいたい、一つの苗から25~30回収穫できる。収穫しやすい高さに花芽が来るように、蔓を束ねて調整するのが作業としては一番大変とのこと。収穫は、週2回、一度に30~60キロ収穫する。最盛期には、ボランティアの方が手伝いに来てくれるそうだ。

 

デザイナー江藤梢さんによるパンフレット

 ブランド名は「東京トマト」。ゆっくり完熟させたトマトは、糖度8以上で甘くて味が濃いと人気だ。2つの品種を栽培している。一つは、果皮が薄くて食べやすい「フルティカ」、もう一つは、甘さと酸味のバランスが良い「シンディ・スィート」。

 現在の販売先は、農協の直売所2ケ所、東伏見のふれあいプラザの直売所、東久留米のイトーヨーカ堂、それと自宅玄関脇の自動販売機。自販機では、品種に限らず、数によって200円の袋と300円の袋がある。このほか、「東京トマト」のHP(注6)から、チャック付きスタンドパックに入ったトマト(6袋で1800円、12袋3600円)を宅急便通販している(トマトがある時期のみ)。

 栽培方法は、「隔離床式養液栽培」。隔離式というのは、地面から栽培ポットが浮いており、根が張るのが制限されるため、養分を一生懸命吸収しようとして甘くなるらしい。一般に植物工場というと水耕栽培でロックウールを使うことが多いが、松本さんは土で栽培している。水耕の方が生産量を多くできるが土耕の方が味が濃くなるといわれている。灌水チューブから、水と養分(肥料)が適時補給されている。

 

隔離床式溶液栽培

 松本さんのハウスで使われている素材は、全ての波長の光を通すので紫外線も通す。野球場のドームで使われている素材の耐用年数が5年のところ、この素材は15年という優れものらしい。また、0.4ミリ穴のメッシュで覆われており、虫が入らないようになっている。さらに、それでも入ってしまう小さな虫を取る虫とりも吊るされている。

 

温度・湿度・照度・炭酸ガスを自動管理

 

 温度・湿度・照度・炭酸ガスの値をセンサー管理しており、温度が上がると自動的にカーテンが開き外気を入れる。反対に温度が下がると自動的にカーテンが閉まる。24時間トマトに最適な温度や湿度を細かく管理できる。

 息子さんとでやっているものの、二人とも新規就農者なので、ずっと試行錯誤してきた。「暑いからと屋根に日よけをするとやっぱり甘さが落ちるみたいだ」と先日発見した話をしてくれた。どんな仕事も5年くらい経たないと一人前にはなれないのだからと、ゆっくり構えている。

 現在の売上高は、1年で200万円という。前述の立派なハウスは、償却費だけで年間200万円というから、これではとても食べていけない。今のハウスは300㎡、これが4~5棟ないと農業だけで食べていけるようにはならない。

 松本さんは、だいぶ栽培にも慣れてきたので、畑はあるものの農業を辞めたい農家で、希望があれば、もう少し簡易なハウスを建て、作り方を指導してもよいかなと考えている。露地栽培ではなく、ハウス栽培なので、農業を知らない人にでも、管理を指導することができる。しかしながら、新しい「都市農業基本計画」で示されている「生産緑地等を賃借する場合における相続税の納税猶予の適用」についての決定が遅れており、松本さんの想いが実現するには、もう少し時間がかかりそうだ。

(注6)「東京トマト」
 HP:http://tokyotomato.theshop.jp/
 facebook:https://www.facebook.com/TKYtomato/

 

4.安田 加奈子さん(多品種の野菜を露地栽培)

 

 安田加奈子さんは、「やすだ農園」の4代目。約70aの畑をご両親と加奈子さん夫妻の4人で運営している。子どもの頃、祖父母や両親が畑をしている傍らで泥山を作ったり、木登りしたりして遊んだ。季節によって変化のある畑は、とても楽しい場所だった。大好きな畑で子育てをするのが夢となり、結婚を機に、ご主人ともども勤めを辞めて、農家を継ぐことにしたとのこと。

 

安田加奈子さん、自宅入口にある直売所で

 

 キャベツ、ブロッコリー、大根、ほうれん草、枝豆、トウモロコシ、トマトなど、季節の旬の野菜50品目ほどを露地栽培している。減農薬・減化学肥料・有機栽培を心掛けている。HPを見ると(注7)、実に美味しそうな多様な野菜が並んでいる。また、めずらしい品種も多い。

 

直売所の掲示板を拡大、見たことのない野菜が並ぶ

 

 加奈子さんは、せっかく継いだのだから、自分が楽しいと思うことをやろうと思っているとのこと。2016年から、江戸東京伝統野菜の「内藤とうがらしプロジェクト」の公認栽培メンバーにもなった。

 私もサラダ蕪(もものすけ)や黄色のにんじんなどを手に入れて帰ったが、カラフルなので食卓が楽しくなる。味も濃くて美味しかった。

(注7)HP:http://yasudanouen.tokyo/

 

 やすだ農園は、共同出荷グループの一員で、近隣のスーパーの地元野菜コーナーに直接契約し、納品している。SEIYU、ヤマテ、いなげや、トップス、オーケーなどだ。農業収入としては、これがメインとのこと。このほかに、三越伊勢丹銀座店の生鮮食品売り場、及び9階の「みのる食堂」、大手町のフレンチレストラン「ラ・カンパーニュ」にも出荷している(注8)。このほか、写真の庭先直売所や各地で開催されるマルシェにも参加している。

(注8)「みのる食堂」「ラ・カンパーニュ」は、全農による「みのりみのるプロジェクト」による店。
HP: http://minoriminoru.jp/

 

 加奈子さんは、農林水産省が進めている「農業女子プロジェクト」(注9)にも参加している。HPによると、「女性農業者が日々の生活や仕事、自然との関わりの中で培った知恵を様々な企業の技術・ノウハウ・アイデアなどと結びつけ、新たな商品やサービス、情報を創造し、社会に広く発信していくためのプロジェクトです。このプロジェクトを通して、農業内外の多様な企業・団体と連携し、農業で活躍する女性の姿を様々な切り口から情報発信することにより、社会全体での女性農業者の存在感を高め、併せて職業としての農業を選択する若手女性の増加を図ります」とのこと。

 三越伊勢丹新宿店の地下催事場で「農業女子マルシェ」を実施するにあたって、バイヤーさんが畑を見学に来て、野菜を食べ、味がしっかりしていると、農業女子の中から選んでもらえた。この催事きっかけに、銀座店のバイヤーさんからもお声がかかり、常設販売へとつながった。

(注9)HP:https://nougyoujoshi.maff.go.jp/

 

 農業が大好きで4代目となった加奈子さんだが、日々悲しい思いもしている。消費者に値段で比べられてしまうことだ。タネも堆肥も良いものを使い、丁寧に育てており、実際食べてもらえれば味の良さが分かってもらえるのに、「高い」というだけで敬遠されてしまう。自分としては、今の路線で行きたいのだが、買い手が安さを求めるなら、そちらの路線にした方が良いのだろうかと悩んでしまうという。是非とも、味の分かるレストランなどへの販売が増えて欲しいものだ。

 また、納得がいかないのは、安田家は100年続いてきた農家で、昔は広い畑を所有していたのに、相続が起きる度に畑を売らざるを得ないという現実だ。畑は、生産緑地地区に指定されているし、後継者が居ても、畑以外の自宅等には相続税が宅地並みにかかるので、どうしても山林や畑を売らざるを得ないことだ。このため、どんどん耕作面積が減ってしまう。

 加奈子さんは、現在7か月のお子さんを子育て中。日々の農作業などと合わせ、てんてこ舞いだという。幼稚園教諭・保育士・子ども環境管理士資格を持っているので、将来的には、食育や収穫体験などの活動もやれたら嬉しいと思っている。

 

5.都市農業のゆくえ

 

 西東京市には、平成27(2015)年現在、234の農家があるので、インタビューに応じて下さった4軒の農家さんだけで、西東京市の農業の行方を語ることはできない。しかし、それぞれ工夫を凝らし、一生懸命農業に取り組まれていることや、地元に多様な農家がおられることを垣間見てもらえたのではないだろうか。4人の方々には、個々の家庭の事情まで突っ込んでお話を伺うこととなり、大変恐縮している。

 今回、いろいろなお話を伺うなかで、門外漢である私が知らなかったことや理解不足であったことをいくつか挙げておきたい。

①  私は、農家=農業をしている自営業者(肉屋が肉の小売を業としているのと同じ)といったイメージで理解していた。しかし、誤解を恐れずに言えば、農家は、単に「農業」をしているというより、土地という資産の運用をしていると理解する方が合っているように思える(注10)

 都市の農家は、自分の土地を「農業用の生産緑地地区」に指定するか、それとも「宅地並み課税の掛る土地」にするかを選ぶことが出来る。その上で、生産緑地には、どんな作物を育てるのが良いか、後者の土地をどのように利活用するのが適切かを考えて運営する。いわば、資産運用者としての判断力が求められる。消費者目線で、地元で採れる新鮮な野菜が良いとか、緑が無くなるのは悲しいなどと勝手なことを思いがちだが、農家によっては、農業を本業と考えて頑張るよりも、持てる資産(土地)を有効活用した方が暮らしやすいという判断もありうる。

(注10) 農家を資産運用者と考えた場合、日本の農家は、大きく2つに分かれる。一つは、地方の農家で、この場合は、基本的に農地を売ることができないが、固定資産税が安く抑えられている。地方の農地は、国民の食料自給の礎であると考えられ、その保護目的から売却に対し法律で極めて厳しい制限があり、自由に売却することができない。これに対し、都市の農地は、高度成長期には、宅地になるものと考えられていたため、基本的に農地を売ることができるが、固定資産税が高い。ただし、地方の農家も農地の転用が認められれば、売却することも可能で、その場合は、税金が高くなる。逆に、都市農家の場合には、例外的に「農業をするための生産緑地」に認められれば、固定資産税を安く抑えられる。

② 農家の持つ自宅等宅地並み課税の掛る土地の場合、都市では相続税が高額になるため、土地を売らないと支払えない。場合によっては、生産緑地指定を外して畑を売ることになり、規模が減少するため農業だけでは食べていけなくなる。そこで、駐車場やアパートなどの不動産業を営まざるをえず、それがまた次に相続が発生した折に、相続税を高額にすることになるという悪循環が続いてしまう。

③ 私が子供の頃にあった雑木林は、かつて農家が薪や堆肥を作るのに利用していたのだが、現在は、そうした用途に使う必要のない農家が増えてきた。最近では、薪はほとんど使わないし、堆肥については、環境基準をクリアしている必要があり、自前で作っても検査に出さなければならない。それならばと、基準に適合している堆肥を肥料会社から購入するようになった。用途が無くなれば雑木林が売られてしまうのは、致し方ない。

④ 昔は、農家では、長男が後を継げば、兄弟は相応の財産分与で納得したものだが、今日では、平等にということになりがちだ。そうなると、土地を売って財産分与せざるをえない。また、仮に、生産緑地の貸し出しが可能になった場合、遠方にいる農業をやっていない兄弟が分与を求めて不在地主になる可能性もある。生産緑地を借りた人が農業を続けるという面では良いのだが、土地の所有者は、農家ではなくなってしまうおそれもある。農家の場合、地域のつながりが重視されるので、知らない人が土地を借りて農業をすることに拒否反応する可能性もある。

⑤ F1種(一代雑種)というのは、一代限りで、次の年には、またタネ・メーカーから種を購入しなければならないため、農家泣かせではないかと思っていた。ところがそうではなく、「雑種強勢」といって、雑種第1代が大きさ、耐性、収量、多産性などで、両親のいずれをもしのぐ現象は、昔から知られており、F1種の方が、在来種より質が安定し出荷に向いているそうだ。一方、F1種に警告をならす意見もあり(注11)、私には、まだ判断ができない。農家のなかでも、江戸東京野菜など、在来種を見直す動きもある。

(注11) 野口勲『タネが危ない』日本経済新聞社、2011年

⑥ 元自分の畑だったところを手放して、そこに戸建住宅などが建つと、新住民から、「土埃が舞って困る」、「鶏糞が臭う」等々の苦情が寄せられ、農家は、周辺に気を遣って営農せざるをえなくなっているのが現状とのこと。

 

農のある西東京の風景

 

⑦ 都市の農家は、地方に比べ耕作面積が狭いが、狭いからこそ出来ることもある。広い畑では、効率を追求せざるをえず、市場出荷に向け規格を揃えるため、機械化・農薬散布・化学肥料に頼りがちだ。一方、小さい畑では、大きな機械化が望めないからこそ、手間暇かけて、多種多様な作物を耕作することができる。また、直売所など顔の見える関係で販売するので、安全・安心・美味しい作物を提供することになる。

 耕作地面積が小さく、農業だけで食べていけない農家には、後継者はいないだろうから、西東京市の農家数は、今後より減少せざるを得ないだろう。農業自体を頑張る農家を育てていくには、隣人である市民が都市農業への理解を深めることが不可欠だ。安さだけを求めたのでは、地方の農業に敵わない。まちに農業や農地・山林があることについて、「新鮮さ」、「美味しさ」を得られることに感謝し、さらに第15回で記したように、農作業を手伝う、学ぶことによる「楽しさ」や「健康によい」などに価値を見出し、共存の道を探っていくしかない。
(写真・画像は筆者提供)

 

 

05FBこのみ【著者略歴】
 富沢このみ(とみさわ・このみ)
 1947年東京都北多摩郡田無町に生まれる。本名は「木實」。大手銀行で産業調査を手掛ける。1987年から2年間、通信自由化後の郵政省電気通信局(現総務省)で課長補佐。パソコン通信の普及に努める。2001年~2010年には、電気通信事業紛争処理委員会委員として通信事業の競争環境整備に携わる。
 2001年から道都大学経営学部教授(北海道)。文科省の知的クラスター創成事業「札幌ITカロッツエリア」に参画。5年で25億円が雲散霧消するのを目の当たりにする。
 2006年、母の介護で東京に戻り、法政大学地域研究センター客員教授に就任。大学院政策創造研究科で「地域イノベーション論」の兼任講師、現在に至る。2012年より田無スマイル大学実行委員会代表。2016年より下宿自治会広報担当。
 主な著書は、『「新・職人」の時代』』(NTT出版)、『新しい時代の儲け方』(NTT出版)。『マルチメディア都市の戦略』(共著、東洋経済新報社)、『モノづくりと日本産業の未来』(共編、新評論)、『モバイルビジネス白書2002年』(編著、モバイルコンテンツフォーラム監修、翔泳社)など。

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