第10回 おっぱいガスタンク


絵筆探索_タイトル
大貫伸樹
ブックデザイナー

 


 

水彩画・ガスタンク ©大貫伸樹 (禁無断転載 クリックで拡大)

水彩画・ガスタンク ©大貫伸樹 (禁無断転載 クリックで拡大)

 


 

 夕日に染まると巨大なおっぱいのようにみえるので、私はひそかに「おっぱいガスタンク」と呼んでいるが、正式名称は知らない。そんな愛らしい球体形のガスタンクが、西武柳沢駅南口から400m程南の青梅街道沿いにある。 

 今では、西東京市のランドマークといえば、昭和64年に建造されたスカイタワー西東京になってしまったが、それまでは、昭和46年に建立されて以来約45年間、その美しい容姿で、特にドライバーには親しまれてきたはずだ。「立てばビア樽、座ればタライ、歩く姿はガスタンク」などと揶揄する御仁もおいでのようだが、朝な夕なに、あるいは四季折々に見せる美しい姿を知らないあわれなお方々だ。 

 例えば、旧田無市庁舎からみえる東京スカイツリーとのツーショット。望遠レンズの持参をおすすめします。あるいは、ガスタンクのすぐ近くにある横断歩道橋の上から眺める富士山と並んだ姿。空気が澄んだ冬の日には富士山がきれいに見えるので、雪の積もった朝などはおすすめだ。柳沢団地から眺めるスカイタワー西東京や西武新宿線とのコラボレーションもいい。極め付けは、石神井川の弥生橋辺りから眺める川面に映る逆さ富士ならぬ逆さガスタンクだ。手前に真っ赤な東伏見神社の鳥居を従え、日没直後の夕日に染まり半分がシルエットになった光景は市内随一のmy favorite place(お気に入り場所)だ。 

 球体形のガスタンクが建造される以前にも、昭和26年に建てられた円筒形のガスタンクがあったようだが、私が西東京市に引っ越してくる以前の話で、残念ながら見ることは出来なかった。『東京ガス百年史』(東京ガス、1986年)には、戦時中の「中島飛行機専用の保谷供給所水槽式ガス溜(迷彩が施されている 容量8万6000㎥)という円筒形のガスタンクの写真が掲載されていた。昭和22年に空撮された写真にも、戦災を免れたのか、円筒形のガスタンクが写っている。 

 およそ80年間、ただひたすらここからガスがを供給し続けているのかと思うと、畏敬の念さえ感じ、ますます「おっぱいガスタンク」が愛おしくなる。 

 西東京市の図書館にはほとんど柳沢のガスタンクに関する資料が見当たらなかったが、もう少し資料を集め、西東京市のレガシー(遺産)として、後世に伝えたい。

 

(筆者作成 クリックで拡大)

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装幀書籍
【筆者略歴】
大貫伸樹(おおぬき・しんじゅ)
 1949年、茨城県生まれ。東京造形大学卒業。ブックデザイナー。主な装丁/『徳田秋声全集43巻』(菊池寛賞受賞)、三省堂三大辞典『俳句大辞典』『短歌大辞典』『現代詩大辞典』など。著書/『装丁探索』(ゲスナー賞受賞、造本装幀コンクール受賞)。日本出版学会会員、明治美術学会会員。1984年、子育て環境と新宿の事務所へのアクセスを考え旧保谷市に移住。

 

 

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