1950年代半ばからの高度経済成長期、財政難に苦しむ自治体は自己財源の確保のため積極的に工場誘致に乗り出した。小平町(現小平市)の「ブリヂストンタイヤ東京工場」建設は、それを象徴する事例だった。小平町は元陸軍兵器補給廠跡を中心とする農地への工場誘致を図り、ブリヂストンは最大のマーケットである東京に国内2番目となる新工場の建設を模索していた。用地の買収交渉は難航したが、1960(昭和35)年、小川東町の57万3525平方メートル(東京ドーム12個分)に建設した工場で操業が始まり、62年には研究開発の拠点となる技術センターが完成した。