1950年代後半から60年代前半にかけて文部省が強行した教員の「勤務評定制度」(勤評)と「全国中学校一斉学力調査」(学テ)は「教育行政の中央集権化」として全国で激しい反対運動が巻き起こった。戦後早くに革新町長を生んだ保谷町(現西東京市)は激しい抵抗の末に勤評を見送り、1962(昭和37)年には学テを実施しない全国唯一の町となり注目を集めた。隣の田無町(現西東京市)でも同年、町政史上初の革新町長が誕生した。60年代後半から全国で革新自治体が相次ぎ誕生するブームに先駆けた町政の転換だった。以後両町では長く革新町政・市政が続き、立ち遅れたインフラ整備を進めていった。