西東京市東伏見にある国史跡の下野谷(したのや)遺跡整備地で10月8日、「縄文の森の秋まつり」が開催された。市民に公募していた同整備地の愛称が「したのや縄文の里」に決まり、発表もされた。秋晴れの下、過去最高となる約1300人の市民らが駆け付け、復元された竪穴式住居を体感するなど、さまざまな縄文体験を楽しんだ。

 「中島飛行機」は戦前、武蔵野市や西東京市などの関連工場で、戦闘機などを開発、製造しました。このため米軍による空襲の標的になり、周辺住民にも多大な被害が出ました。地域史を学ぶ「田無地方史研究会」のメンバーらが11月中旬、広い関連地域を4時間余りかけて尋ね歩きました。会員の松崎博さんの報告です。(編集部)(写真は、武蔵野中央公園に残る中島飛行機工場の地下壕のコンクリート床)

 西東京市が誇る国史跡「下野谷遺跡」をアピールし、後世に継いでいくため、同市で「したのや縄文里山プロジェクト」が進められている。発掘開始から半世紀、史跡指定から6年を経て、施設の整備やPRを本格化。行政だけでなく遺跡に関心を持つ人にも「ムラびと」として参加してもらい、「東京に縄文のムラを作ろう!」と盛り上がっている。(写真は、整備が進んでいるエントランス部分)

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下野谷遺跡をPRするキャラクター像。左から父親「ぎん」、「しーた」、「のーや」、母親「あん」=西東京市の東伏見駅南口(2019年8月撮影)

 西東京市東伏見の東伏見駅前に、市が昨年3月に設置した「縄文モニュメント」がある。台座の上に乗っているのは、縄文人をモチーフにしたキャラクター「しーた」と「のーや」やその一家の像。駅南口側に3カ所、北口側に1カ所ある。縄文時代中期の大集落跡が見つかった東伏見の下野谷したのや遺跡をPRする公式キャラクターだ。

縄文服のファッションショー

 縄文時代の大集落が眠る下野谷遺跡公園で10月8日、「第11回縄文の森の秋まつり」が開かれた。夏日となったこの日、会場に訪れた親子連れなどが火おこし体験や勾玉作り、VR(バーチャル・リアリティ)を使って「したのやムラ」へタイムスリップする体験会などを楽しんだ。

 

タブレットで縄文体験

 国史跡の下野谷遺跡の価値や魅力を広く知ってもらおうと、西東京市と市教育委員会は、縄文時代のようすを再現した「VR(バーチャルリアリティ)下野谷縄文ミュージアム」のデジタルコンテンツを、来年度の運用に先駆け3月26日(日)、お披露目イベント「VRで下野谷遺跡を大冒険!!」を東伏見小学校体育館で開いて先行公開した。

冬枯れの下野谷遺跡公園(出典:広報東京都2月号「東京のオアシス」。広報課提供)

 東京都の広報紙「広報東京都」の最新号に、西東京市の国史跡下野谷遺跡公園が写真入りで紹介された。都内の公園や緑を紹介するコラム「東京のオアシス」欄の第125回目。西東京市がこの欄に取り上げられるのは初めて、という。

連凧(三好さん撮影)500

連凧が青空に舞う(三好希世乃さん撮影)

 縄文の遺跡が眠る下野谷遺跡公園(西東京市東伏見6丁目)で5月22日、恒例の「縄文のムラで春風と遊ぼう!」が開かれた。真夏を思わせる青空の下、遺跡保護をサポートする市民団体などの協力を得て、親子連れらが凧あげや縄文時代の糸作り、四つ葉のクローバー探しなどを楽しんだ。

 西東京市議会は3月30日に開かれ、歳出歳入をそれぞれ5444万4000円を追加、総額775億6334万4000円とする2015年度一般会計補正予算案が上程された。国の地方創生関連予算が成立したことに伴って急遽提出され、予算特別委員会で審査、可決された後に採決され、全会一致で可決した。

下野谷遺跡のキャラクター、したのやムラのしーたと のーや

下野谷遺跡のキャラクター、したのやムラのしーた と のーや(筆者撮影)

 今年3月に国史跡に指定された西東京市東伏見にある下野谷遺跡の記念シンポジウム「縄文時代の大集落遺跡を探る・護る・活かす」が12月13日(日) 、保谷こもれびホールメインホールで開かれた。全国でも有数の縄文遺跡「三内丸山遺跡」「御所野遺跡」「馬高・三十稲場遺跡」を持つ各自治体の担当者などを迎え、遺跡の価値や魅力、将来に受け継ぐ知恵と工夫などについて学んだ。

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 縄文時代の大規模な環状集落跡地として知られる下野谷遺跡(西東京市東伏見)の保存・活用を考える西東京市教育委員会主催の「住民説明会」が[2015年]5月12日(火)、市内の東伏見小学校で開かれた。今年3月に国史跡に指定された範囲は、下野谷遺跡公園や隣接農地など住居のない土地。今後は周辺の「指定候補地」住民らに個別に説明、理解を得たうえで遺跡の保存・活用を進めていく方針が明らかにされた。

丸山浩一市長

【写真は、挨拶する西東京市の丸山浩一市長。撮影=筆者 禁無断転載】

 西東京市の下野谷遺跡が国の史跡に指定されたことを記念する式典が3月22日(日)午後1時から、同市の早稲田大学東伏見キャンパス内の東伏見 STEP22 (79号館)で開かれた。  最初に西東京市の丸山浩一市長らが挨拶。続いて来賓の文化庁記念物課長らが祝辞を述べた。いずれも史跡指定が出発点であり、指定後の保存活用の必要を強調していた。

 西東京市の下野谷遺跡が3月10日、国の史跡に正式指定された。同日付けの官報(号外第50号)に告示された。西東京市が単独で所有する初の国指定文化財となる。(写真は、下野谷遺跡公園の復元住居)

 国史跡に答申された下野谷遺跡(市内東伏見)の指定候補地が、11月25日開かれた西東京市議会文教厚生委員会で明らかになった。

 縄文時代中期の大集落跡として知られる西東京市一帯の下野谷(したのや)遺跡が(2014年)11月21日、あらたに国の史跡に指定されることになった。文化審議会が「東京湾要塞跡」の二つの砲台跡(神奈川県横須賀市)などとともに文部科学相に答申した。年明けの官報告示で正式決定すると、西東京市が単独で所有する文化財として初の国史跡になるという。