「中島飛行機」は戦前、武蔵野市や西東京市などの関連工場で、戦闘機などを開発、製造しました。このため米軍による空襲の標的になり、周辺住民にも多大な被害が出ました。地域史を学ぶ「田無地方史研究会」のメンバーらが11月中旬、広い関連地域を4時間余りかけて尋ね歩きました。会員の松崎博さんの報告です。(編集部)(写真は、武蔵野中央公園に残る中島飛行機工場の地下壕のコンクリート床)

杉山尚次(編集者)

 前回「鉄道忌避説」について書いたら、つい最近1月7日の東京新聞が、《JR目黒駅が目黒区ではなく品川区にあるのは、地元農民の反対によって位置がズレたため》という説があることを最終面でほぼ1ページ使い、イラスト風の古地図まで入れて記事にしていた。「真相は謎のまま」とは述べているものの、「忌避説」定番の「煙害」や「古老の話」がもっともらしく紹介されている。伝説がウイルスのように伝播していく見本のような記事だといえなくもない。伝説は知らないうちに感染うつってしまうのだ。