1962(昭和37)年、保谷町(現西東京市)にあった「民族学博物館」が閉館した。生活の中に息づく民具の紹介と研究を夢見た学者たちが私財を投じて1939(昭和14)年に開館。野外で民家などを展示する日本初の博物館だった。時を経て地元でもほとんど忘れ去られつつあったが、近年、その業績と軌跡を記録し、後世に伝える市民活動が展開している。

 1950年代後半から60年代前半にかけて文部省が強行した教員の「勤務評定制度」(勤評)と「全国中学校一斉学力調査」(学テ)は「教育行政の中央集権化」として全国で激しい反対運動が巻き起こった。戦後早くに革新町長を生んだ保谷町(現西東京市)は激しい抵抗の末に勤評を見送り、1962(昭和37)年には学テを実施しない全国唯一の町となり注目を集めた。隣の田無町(現西東京市)でも同年、町政史上初の革新町長が誕生した。60年代後半から全国で革新自治体が相次ぎ誕生するブームに先駆けた町政の転換だった。以後両町では長く革新町政・市政が続き、立ち遅れたインフラ整備を進めていった。

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踏切と道祖神(10 保谷町)

 踏切の印象は人それぞれ異なるが、夕方の踏切の音は生活感を出すのに最も適している。  さらにこの踏切の横に道祖神があり、夕景 踏切 道祖神! 帰り道にはぴったりの設定がここにはある。