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「ひばりが丘団地」「滝山団地」と団地巡りのようになってきたが、続けて「東久留米団地」(現在「グリーンヒルズ東久留米」)も「訪ねる」ことにする。この団地周辺は、少し前に日帰り温泉施設ができたりして、かなり様相が変わったが、ここにも固有の歴史がある。この団地が誕生した時の模様を描いた小説を紹介することから始めたい。…
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戦後間もない1947(昭和22)年11月、清瀬村(現清瀬市)に、結核研究所臨床部が開設された。その後、結核研究所付属療養所、同附属病院を経て89(平成元)年、結核予防運動の世界共通のシンボルを名称に取り込んだ複十字病院と改称した。大規模な総合病院になっているが、今も60床の結核病床がある。
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人見知りしてギャアギャア泣き止まずお母さんに抱き付いてしまう女の子。泣き止むまで、おもちゃで音を鳴らしたり、アンパンマンのゲームで気をそらしたり、キャベツの切れ端を「はいどうぞ」とあげて見たり…。写真を撮るまでが大変だ。
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「走ろう。自分のために。誰かのために。」をスローガンに3月5日(日)午後、東久留米市を流れる落合川沿いの遊歩道をメインコースとするチャリティーラン(ホワイトリボンラン)が行われる。2016年から全国各地で開かれ、東久留米での開催は今回が初めて。参加申し込みの締め切りは1月31日。
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日本経済の問題点を長年報告したり論じたりしてきて、今96歳の私が一番大事だと思う経済課題は、社会保障の充実である。私自身の生活は、寝たきりの体にならない限り、社会保障のお陰で、独居老人でも幸い何とか暮らしていける。しかし日本全体で見ると、不景気続きのじり貧経済のため生活に困っている人々が沢山いるし、社会保障は抑制のための「改革」がどんどんと進んでいる。…
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今週も強力な記事が集まりました。赤ちゃん撮影会の話は、聞いている途中で寄稿をお願いしてしまった話題作です。写真がすてき。会場の「どんぐり」が、まちの居場所になってきたことも併せて知ってほしいと思います。 北多摩戦後クロニクル企画は第4回。清瀬と結核のつながりを上下2回にわたって取り上げます。今週掲載の「上」は、結核という病の治療や社会、施設や組織の変遷をまとめています。「下」は療養生活を送った作家や俳人の話題になります。ご期待ください。
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好評の連載「書物でめぐる武蔵野」は今回、干刈あがたさんの短編小説を取り上げました。干刈さんは山の手住まいの印象が強く、東久留米団地を舞台にした作品だったので少し驚きました。彼女とは一度、自宅近くの喫茶店で会ったことがあります。世田谷だったか杉並だったか。1980年代の話なので記憶が定かでありません。当時ぼくは文化部の生活・家庭欄担当。彼女にエッセイをお願いしました。文芸誌「海燕」を舞台に作品を発表していた作家仲間の島田雅彦氏とも付き合いがあったのでしょうか。雑談で彼の話題になったとき彼女が「島田クン」と呼んでいたことを思い出しました。同学年でも男女が「さん」で呼び合う高校生活を送ったので、東京の高校生は違うとあらためて、何度目かの異文化体験を確認しました。 学校でも世の中でも、当時は差別的な制度、習慣がいま以上に根を張っていたはず。呼称と実態は別なのか、学校空間と世間が違うだけなのか。とりとめのない記憶が切れ切れに飛び出してきます。 もうひとつ、学校の体育館が隣の県にあるという筆者の出身中学校の話が出て来ます。これには驚きました。公立学校なのに、隣町どころか、隣県に体育館があっていいのだろうか。なぜそうなったのか。筆者がこの謎を推理しています。まだのかたはぜひ、ご一読を。
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ということで、今週も忙しい1週間を過ごしました。来週も原稿が何本も出番を待っています。サイトの内部作業に取り掛かるのは来月になるでしょうか。急がないと。気が焦るばかりです。
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