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第8回 本人の思いと家族の思い


 三輪隆子(みわ内科クリニック)


 

 私たち医療者が適切な治療やケアをするためには、患者さん本人が病気や自分の状態についてどのぐらい理解し、どのようにしたいと思っているのかを知らなければなりません。そのためには、まず病気について、治療やケアの方法やその効果さらに治療に伴う問題点を含めて丁寧に説明します。それに加えて、ご本人の気持ちや考えを十分にお聞きして相談をしたうえで最終的な治療方針を決定します。病気と長く付き合っていかなければならない高血圧や糖尿病などの慢性疾患や治療法が確立していない神経難病などでは特に大事なことです。

 

「別にありません」の真意

 それでは、認知症の場合はどうでしょうか。認知症は、自分の人生の在り方を大きく変えるかもしれない重大な状態です。だからこそ、当事者であるご本人が自分の状態をどのように感じ、どのような人生を送りたいと思っているかを、私たち医療者が十分に理解して治療やケアの方針を決めなければいけません。しかし、現実には、認知症の方本人の思いや意見はほとんど顧みられることなく、家族や介護者を中心に治療方針が決められていきがちです。

 多くの方は、「認知症だから、正しく判断できないだろう」「自分の言いたいことをうまく言えないから、聞いても仕方ない」と思っているのではないでしょうか。本当にそうでしょうか? 確かに、認知症の方は自分の思いや考えを表出することが下手になっています。診察室でも、まずご本人に「なにか困っていることはありますか?」「心配なことはありますか?」とお聞きしますが、多くの患者さんは、「別にありません」とお答えになります。本当に困っていない人もいるでしょう。困っていることがあっても、忘れてしまっている。家族の前では話したくない人もいるかもしれません。中には、言葉がうまく出てこない人もいます。「別にありません」のその先になにがあるか、ゆっくり時間をかけてお聞きしていく必要があります。残念ながら診察時間では十分な対応ができず、ご本人から聞き取れないと、つい御家族と話すばかりになり、ご本人と話す機会はますます減っていきます。

 

思いを汲み取るスキル

 そんな方でも、能弁にお話しして下さるときがあります。例えば、野球が好きで西武ライオンズのファンだという方は、ある日西武球場に応援に行ったことを話してくれました。「もう優勝は決まってしまいましたね」と私が話すと、ペナントレースで2位になるか3位になるでは大きな違いがあることを、眼を輝かせて説明してくださいました。家では数分前に話したことを忘れてしまう方です。このようなお話をしている時は、主治医である私でも一瞬この方のどこが認知症だろうと感じます。それでも、日々の生活の事やこれからどうしたいかという話になるとうまく会話が進まなくなります。私が、もっと聞き方に工夫をしなければいけないのだと痛感します。認知症の方は、決して自分の考えや思いを言えないわけではありません。思いや意思をうまく表出できなくなっているからこそ、十分に時間をかけて、我々専門家が認知症の方の思いをくみ取るためのスキルを向上させなければならないのです。

 認知症が進んでも、きちんと会話ができる。その手ごたえは、御家族や介護者に話を聞き出す努力をしようという、勇気を与えてくれます。家でほとんど話さない方が、診察室で会話が進むと、「今日はすごくたくさん話せたね」「こんなに話ができるんだ」と御家族も喜んでくださいます。家でも、こんな風に話してみよう。こんなことをやってみようと思ってくださると、もっと本人との会話が豊かになっていくと思われます。

 

母を思い出す

 認知症についての知識や気持ちをくみ取るスキルはとても大切ですが、家族という立場は、気持ちの面でそれを発揮させなくなることもあります。

 私も認知症の母と暮らしていました。母は、長年私の家事や育児を手伝うため実家の静岡と東京を行ったり来たりして私たち一家を支えてくれていました。そんな母が認知症になり、介護が必要になりました。私も、夫や息子たちも、母の介護は一番世話になった私たち一家がすべきだと思って介護のための準備を整えていきましたが、認知症が進んで自由に行き来ができなくなると家に帰りたいという想いが強くなってきました。機嫌が悪くなると、実家に帰る、新幹線に乗って一人で帰ることができる。誰にも面倒はかけないから大丈夫だ。と言いはります。私がなぜ帰れないかを説明しても聞き入れず、ついつい言い争いになる。そんなことを繰り返していました。

 ある時、いつもの通りの「帰る」が始まりましたが、その時は私がなんか疲れてしいて、何も答えず母が興奮して話すのをじっと聞いていました。母は、「ここではみんなよく世話をしてくれるけど、嫁に出した娘の家に世話になるわけにはいかない」「もう長くはないから自分が生まれ育ったところで死にたい」などと自分が家に帰りたい理由を切々と訴えます。最初は何言ってるのいう気持ちで聞いていたのですが、だんだん母はそんな風に思っているんだ、母の言うとおりだなと思うようになりました。

 しばらくすると、私の顔を睨むように話していた母の目つきが穏やかになっているに気づきました。その母の顔を見て、私の表情や態度が変わったのだと感じ、母が、私が心から母の話を聞いていると母もわかってくれたと思いました。それと同時に、今までこんな風に母の思いを聞こうとしたことがあっただろうかと反省しました。これからは、母の気持ちをもっと大切にしなければと思った矢先、母は急逝してしまいました。

 私は、母の介護を自分なりに一生懸命していたつもりです。それでも、一番大切なこと、本人の気持ちをくみ取ることが十分ではありませんでした。知識がないわけでもない、してあげたい気持ちがないわけでもない、介護で心がいっぱいいっぱいで、余裕がなかったと今は感じます。母を亡くして、もっと母の気持ちを聞いてあげたかったと今は痛切に思います。一生懸命介護している皆さんがそんな思いを抱かなくてもすむように、これからも、認知法の方の思いをくみ取るスキルを向上させ、それを皆様に伝え、実践できるように御家族を支えていきたいと思っています。

 

©ks_skylark

 

 

【筆者略歴】
 三輪隆子(みわ・たかこ)
 認定内科医、神経内科専門医、身体障害指定医(肢体不自由、音声言語、平衡機能障害)。西東京市医師会理事。
 静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。信州大学卒業後、信州大学第3内科入局。佐久総合病院で地域医療を研修後、東京都立神経病院、狭山神経内科病院で神経疾患、難病の診療に従事。1995年(平成7年)国立身体障害者リハビリテーション病院神経内科医長。リハビリテーションのほか社会復帰、療養・介護など福祉的な問題にも取り組む。2007年(平成19年)1月「みわ内科クリニック」院長。2013年(平成25年)6月医療法人社団エキップ理事長兼務。2017年(平成29年)4月から理事長。

 

 

 

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