外出自粛の周辺-私たちの対応【特集】

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2020年3月30日

 東京都の小池知事が外出自粛を求めた週末。3月28日と29日は、隣接各県でも同じような呼び掛けが相次ぎ、都心の繁華街は人影がまばらになったという。首都の郊外はどうだったか。西東京市と近隣に住む常連執筆メンバーが、それぞれの身辺と周辺を点描した。(編集部)(写真は、ひばりヶ丘駅西側の踏み切り付近=3月29日午前10時25分編集部撮影。ほか各筆者提供)

 

やっぱりいつでもネコ・コドモ

 

 9年ほど前にノラ猫2匹が子猫を産み、11匹の猫が近所にウロウロしていた。ここ数年は三匹の猫が仲良く暮らしていた。

 

三毛のお母さんに、いつもくっついて寝る2匹

 

 猫のいる地域
 保育園のお散歩コースになったり、中学生が塾帰りにしゃがみ混んで抱きしめていたり。猫のいる景色は近所の当たり前の風景だった。

 猫は昨年、最後の1匹となった。名前は「マロ」「ポッキー」「お公家(くげ)さん」など、近所で違う呼び方をされていた。まさに、たくさんの名前で呼ばれているノラ猫が出てくる有名な絵本「ルドルフとイッパイアッテナ」の「イッパイアッテナ」である。

 

2019年9月の台風15号の翌日、心配をよそに堂々の帰還のイッパイアッテナ

 

 ゆっくりとお別れを
 2月初めから、イッパイアッテナの具合が悪い。いっとき持ち直したものの、もうこの何日間かは、すっかり寝たきりになってしまった。

 最後の1匹になるまで、イッパイアッテナは、あまり懐かない猫だった。でも、ひとりぼっちになってからはよく鳴いて、甘えるようになった。外出自粛で自宅にいることが多くなった私にゆっくり看病をさせてくれた。

 

 ネコとコドモが混ざりあって
 近所の子ども達も、休みを持てあまして、庭に遊びに来る。私が猫に優しく声をかけるのを見て「僕たちのことは怒るくせに、猫には優しいなぁ」と笑う。

 近所の方々とも日頃は挨拶だけだが、最近はもっぱらイッパイアッテナの容態を報告しあう。どんな時も健気なネコとコドモに寄り添う毎日が続いている。
(石田裕子)

 

自宅でお花見気分に 子どものアイデアを楽しむ

 

 新型コロナウイルスの感染リスクを考慮し、3月28日、29日の週末、我が家では外出を自粛しました。「家の中でできるだけ楽しく過ごそう」という思いから家族でアイデアを出し合っています。アイデアの一つが、自宅で花見です。

 3月下旬から4月上旬のこの時期、例年であればいこいの森公園をはじめとした市内の公園で、花見が楽しめます。不要不急の例として花見があげられていることを受け、公園へ行くことを控えています。

 

桜の花を雲竜柳に貼り付ける長男

 

 自宅で花見気分を味わおうと、紙でつくられた桜を切り抜き飾っています。6歳になる長男の発案で、もともとダイニングに飾っていた雲竜柳にセロハンテープで貼り付けました。

 木には黄緑色の毛糸が巻きつけられています。長男は「さくらのなかには、はなが咲いているあいだに葉っぱがでてくる種類もある。黄緑色の毛糸は桜の葉をイメージしている」と話していました。

 本物の桜を見に行きたくないかと質問に対しては「外に行き、せきをしているひとがいると怖いから、家の中で過ごすほうがよい。いつもご飯を食べながら桜をみることができてうれしい」と話していました。
(道下良司)

 

ヨガのライブ中継を初体験

 

 普段から平日と休日の別がない在宅仕事とはいえ、取材も打ち合わせも流れて暇だ。断捨離、衣替え、データ保存、その他暇つぶしの雑用はもう済ませた。世間はどうなった?と気持ちがワサワサして読書やビデオを楽しむ気分でもない。

 土曜。自宅マンションの共用施設で予定していた懇親会、ヨガ教室は中止となり、世話役として4月の施設予約を全てキャンセルした。1階ラウンジで住人の年配女性と雑談。勤め先の国分寺のパン屋にお客さんが殺到して「昨日も夜まで帰宅できなかった」という。

 ボランティア仲間3人と偶然会った。仲間といっても皆さんシニア世代。ボランティア先の福祉施設から作業の中止を伝えられたそうだ。「コロナで来るなと言われてさ」。おやじギャグにもいつもの覇気がない。

 

雪のたけのこ公園(3月29日午前11時40分。小平市)

3人母子の雪だるま(3月29日午前11時45分、たけのこ公園)

 

 日曜午前。雪の中、愛犬と一緒に近所のたけのこ公園へ。子どもたちが大はしゃぎで雪だるまを作っていた。ほとんど人がいない雪の小金井公園も美しい。帰りにスーパーをのぞくと、即席麺など一部欠品はあるものの食料品は補充されていた。

 夕方、近所のヨガ教室「terra yoga」の先生がYouTubeでレッスンのライブ中継を試みた。初体験だったが、久々に体を動かした。しばらく休んでいた常連さんにも大好評だったという。自宅でできることって意外と多い。
(片岡義博)

 

 

顔を合わせ、馬鹿を言いながら、励ますことに勝るものはない

 

 28日(土曜日)晴れ、昼頃。普段は人の声がする時間だが、自宅前の通りにも近くの公園にも人の姿を見かけることがなかった。ただ、犬の散歩をする人を遠くに見ただけ。

 

(3月28日昼。自宅前)

 

 29日(日)雪。「自粛」と言われても、所要があって昼前に田無駅に出かけた。バスに乗っていたのはひとり。いつも仕事帰りに寄る駅前の喫茶店に入った。ここでパンを食べコーヒーを飲む。時節柄か、陳列棚におかれているパンのひとつひとつにビニールカバーがかけられていた。いつもは、女性グループで賑わい、声高なおしゃべりに閉口することもあるが、今日はテーブルの向こうに一人、前方に一人。それぞれ新聞や本を読んでいて、声もない。

 

(3月29日昼前。バス車中)

(3月29日昼頃・喫茶店)

 

 手帳を開いて、あれこれ考える。3月、4月に予定していた展示会や集会はほとんど中止になった。知り合いの営む小さな店は大丈夫なのか、補償なんてないだろうしな。タクシー運転手の友人は、密閉空間なので感染対策費がばかにならないと嘆いている。収入も3割減、このままかと不安を口にする。

 喫茶店のガラスのドアから見る雪の降る通りは人が少なく、静かで心安らぐが、人と人が顔を合わせ、馬鹿を言いながら、励ましもすることに勝るものはない。
(川地素睿)

 

滅入る気持ちをはねのけて 自宅勤務の散歩、食事、読書…

 

 3月半ばから自宅勤務が始まった。以来気持ちが滅入ることが多い。理由の一つは身体を動かす機会が減ったことだ。通勤すれば5000歩は歩くが、朝から晩までパソコンに向かう生活スタイルでは歩くこともままならない。

 

春爛漫に突然の雪(3月29日午後0時31分)

 

 もう一つは通勤時間を利用した読書の習慣が失われ仕事以外の読み物から遠のいたこと。図書館も臨時休館中のため予約の本はなかなか届かない。

 さらには日に3回の食事の用意が負担になってきたことだ。学校が休校となり子どもたちも家に籠ったまま。食欲が湧かない私とは対称的に彼らはゲームをしているだけで腹ペコになるらしい。若いってことだろうが恨めしい。

 愚痴ってばかりじゃ埒が明かぬ。この変化に慣れるしかない。通勤時間は散歩の時間に充てる。身体を動かせば気持ちも晴れる。濃厚接触を避けた散策なら許されよう。春の花々に気持ちが和む。

 

ほうれんそうチーズパンに自家製ハムをはさんで(3月28日午前10時39分)

 

 食事の用意は楽しむしかない。初めての料理にレシピ集をみながら挑戦。お米だけでは不足する子らの腹ごなし用にパンを焼く。ベーグルやほうれん草を刻んで入れたチーズパン。ハムも自家製。味付けは塩・胡椒のみで添加物が入らないから安心だ。

 さて最後の一つ、読書時間をどう確保するか。まだ解決策見つからず。この時間は読書と決めればいいのだろうが、仕事、食事の用意、家事を抜いて優先順位の上にあがってくることはない。医療従事者や現場で必死の思いで働いている方々には申し訳のない悩みであるのは重々承知の上なのだが。
(卯野右子)

 

薄暮の記憶と元気な徘徊 「不要不急の蟄居」かも

 

 「外出自粛」の週末は何をしたのかと、パソコンのカレンダー画面をクリックする。薄暮の記憶が何とか蘇った。3月28日(土)は小金井公園のオオシマザクラの原稿をいただき、多摩六都科学館の休館延長の記事をまとめたのだ。「外出自粛」の模範的な「蟄居」だった。

 

「花閉じ凍えるコブシ白白」(29日午前10時55分、ひばりヶ丘駅北口)

 

 29日(日)は朝から雪。午前中の2時間は、最寄りのひばりヶ丘駅周辺をぶらつき、雪で濡れるカメラをかばいながら、写真を撮り続けた。端から見たら、カメラをぶら下げたおっさんの徘徊だろう。少なくとも「不要不急の外出」に見えるのは間違いない。

 午後は、長靴を履いてバスと電車を乗り継ぎ、東伏見駅に降りた。道に迷って周辺をぐるぐる歩いたけれども、なんとか約束の場所にたどり着いた。メディアに休みはない。話を済ませて駅の改札に戻ったところで気が付いた。「しーた」像の写真を撮らなければ。半ば忘れていたことは、都合よく忘れよう。思い出した自分を褒めてやりたい、と前向きに?考える。

 

しーた像(29日午後3時57分、東伏見駅南口)

 

 4500年前の縄文時代、「したのやムラ」に住んでいた「しーた」。弓を持ち矢を背負った少年は、雪の積もる台座の上で足を踏ん張り、前を見つめている。少し元気をもらって田無へ。野菜や惣菜をどっさり買い込み、バスに乗って自宅に戻った。

 玄関前で愕然とした。おーい、手ぶらだよ。買い物袋がない。急いで駅前に引き返し、発車待ちのバスに駆け込んで買い物を再び手にした。取り戻せた幸運を喜べと、頭は命令する。しかし気持ちはぐったり、の帰還だった。

 夕食後、何人かの心優しい人たちとメール交換しているうちに、書き上げるべき原稿が残っていることに気が付いた。時計を見ると、すでに夜10時半。そう知ったら途端に眠い。ヘタレの逃避行かもしれないが、もう布団と仲良くなる時間だった。

 ベッドに倒れ込むと、妄想の妖気が湧いてくる。駅前の写真撮影は「不要不急」の「外出」だったのか、「不要不急」の「蟄居」だってあるだろう。そんな考えが行き来しているうちに意識は薄れ、「外出自粛」の週末は闇のなかで幕を閉じた。
(北嶋孝)

 

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