北多摩戦後クロニクル

 

 私たちが暮らす地域は戦後、どのような道をたどって現在に至っているのだろうか。連載企画「北多摩戦後クロニクル」は、北多摩北部(東村山・清瀬・東久留米・西東京・小平の5市)を中心とする地域の戦後の歩みをトピックごとにたどることで、地元を見つめ直し、東京郊外が映す戦後日本を点描する。毎週火曜掲載、全50回の年間企画(予定)。

 

東久留米団地

1974年頃の東久留米団地。左方に「航空信号塔」がある(「東久留米市立東中学校卒業アルバム」1974年より)(第23回から)

 

 

第23回 1962年「東久留米団地」入居開始 建設地に秘められた戦争の歴史(6月6日掲載)New !

第22回 1962年 保谷の民族学博物館が閉館 日本で初めて民家を野外展示(5月30日掲載)

第21回 1962年 保谷町が全国一斉学力調査を中止 新住民が支えた革新首長(5月23日掲載)

第20回 1962年 廃棄物処理「秋水園」完成 生活と環境守る縁の下の力持ち(5月16日掲載)

第19回 ひばりが丘団地に「ことぶき食品」開店 ファミレス「すかいらーく」の原点(5月9日掲載)

第18回 1960年 ブリヂストンタイヤ東京工場が小平で操業開始  地域を成長させた企業群(5月2日掲載)

第17回 1960年 皇太子夫妻がひばりが丘団地を視察 新時代の団地生活にお墨付き(4月25日掲載)

第16回 1958年 石神井川の氾濫 都市化が招いた“暴れ川”の水害(4月18日掲載)

第15回 1958年 地域紙「週刊東興通信」の創刊 ローカルメディアの草分け(4月11日掲載)

第14回 1955年 原子核研究所が田無に開設 ノーベル賞受賞者を輩出した先端施設(4月4日掲載)

第13回 1954年 小金井公園が開園 刻まれた戦争の歴史(3月28日掲載)

第12回 1953年 米軍輸送機、小平に墜落 戦場に向かう米兵129人犠牲(3月21日掲載)

第11回 1952年 東村山・正福寺地蔵堂が国宝再指定 地元の誇り、今も信仰と交流の場(3月14日掲載)

第10回 1952年 “ロボット博士”が保谷に研究所設立 昭和の子どもたちに夢を与えた相澤次郎さん(3月7日掲載)

第9回 1950年 東村山文化園オープン 時代の変化にもまれた西武の観光開発(2月28日掲載)

第8回 1949年 田無の仮装大会始まる 数万人の観客を集めた真夏のイベント(2月21日掲載)

第7回 1948年 小平霊園が開園 時代を映すお墓のスタイル(2月14日掲載)

第6回 1948年 津田塾大学の開校 時代を担う女性を育成(2月7日掲載)

第5回 1947年 清瀬に結核研究所付属療養所(下) 病と向き合い、交流する文学者の群像(1月31日掲載)

第4回 1947年 清瀬に結核研究所付属療養所(上)「亡国病」との闘い経て医療の聖地へ(1月24日掲載)

第3回 1947年 小平に養護施設「東京サレジオ学園」 子どもたちを守り育てる(1月17日掲載)

第2回 1946年 小金井カントリー倶楽部の接収 名門ゴルフ場を占領軍が独占使用(1月10日掲載)

第1回 1944~45年 北多摩の空襲 標的にされた軍事基地圏(2023年1月3日掲載)

 

 

 

 


 *毎週火曜日に掲載予定です。

 

【筆者略歴】(掲載順)
 片岡義博(かたおか・よしひろ)
 共同通信社の文化部記者として主に演劇、論壇を担当。福岡編集部、文化部デスクを経て2007年にフリーに。書籍のライティングと編集、書評などを手掛ける。2009年から小平市在住。

 飯岡 志郎(いいおか・しろう
 1951年、東京生まれ。西東京市育ちで現在は東村山市在住。通信社勤務40年で、記者としては社会部ひとすじ。リタイア後は歩き旅や図書館通いで金のかからぬ時間つぶしが趣味。

 中沢 義則(なかざわ・よしのり)
 1956年、田無町(現西東京市)生まれ。10歳で東村山市に転居。経済紙に就職して社会部や文化部で記者、編集委員を務めた。現在は雑文を書くほか、句会に参加したり、落語や講談を聴いたりしている。

 杉山尚次(すぎやま・なおじ)
 1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から毎月第4木曜日に「書物でめぐる武蔵野」連載中。

 

(Visited 770 times, 3 visits today)