特集 ひばりタイムスとわたし(市民ライターズ倶楽部編)

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年12月30日

 ひばりタイムスは年末にニュース更新を停止します。そこで読者に加え、記事を掲載してきた「市民ライターズ倶楽部」の常連執筆メンバー13人にも同じタイトル「ひばりタイムスとわたし」で原稿をまとめてもらいました。それぞれの末尾に、推しの記事と写真を載せました。(編集長・北嶋孝)(掲載は到着順)

 

<目次>

◎記者の原点 片岡義博
◎自分史と重なる「クロニクル」 飯岡志郎
◎「北多摩戦後クロニクル」連載を振り返って 中沢義則
◎時には国政の記事も、と寄稿しました 師岡武男
◎記事を書く楽しさを再体験 鈴木信幸
◎自己増殖するネタ 杉山尚次
◎地域をみる目が地域を耕す 卯野右子
◎ひばりタイムスとわたし 石田裕子
◎取材を通して「地に足がついた」実感 倉野武
◎ひばりタイムスを図書館に  川地素睿
◎ひばりタイムスとわたし 髙倉理恵
◎2度目の学生気分に胸躍らせた5年間  渡邉篤子
◎「この台を見よ!」で手応え 北嶋孝

 

 

記者の原点  片岡義博

 

 つい先日のことだ。子どもへのいじめをめぐって市に損害賠償請求訴訟を起こした父親が語った言葉が印象に残っている。

 「それまで市政や市議会のことは全然知らなかったんですが、市との交渉とか訴訟をきっかけに興味を持つようになって、『へー、こういう仕組みになっているんだ』と楽しくなってきたんです。楽しいという言い方はちょっと不謹慎ですけど」

 なんとなく分かる気がした。かつて転勤に伴って全国各地で暮らしたが、その地域がどんな仕組みで動いているかを深く知ろうとはしなかった。ひばりタイムスという地域報道に特化したメディアの記事を書くようになって、初めて自分が暮らす小平という地域について少しずつ知ることになった。

 どこに何があり、どんな人間がどんなことをしているか。地元でどんなことが問題になり、行政がどう対応しているのか。「北多摩戦後クロニクル」の連載を始めてから関心は小平から北多摩地域に広がった。地元のことについて古老や事情通と話していても、「ああ、そうらしいですね」とどうにか話についていける。以前より地元と仲良くなれたという感じだろうか。

 思いもよらなかった収穫は、自分が長年務めた記者という仕事を見直す機会になったことだ。ひばりタイムスの仕事は当事者取材にせよ行政取材にせよ、新人だった地方時代の記者活動と重なる。だがこのメディアはボランティアだから担当もなければノルマもない。締め切りも字数制限もない。功名心も競争意識もいらない。だから自分がより納得できる取材、執筆ができる。そしてじっくり取材していると、徐々に現場の姿が見えてきて驚いたり呆れたり感心したりする。それは記者という仕事の原点だろうし、リタイアした記者の老後の過ごし方としてありではないか――。

 仕事でもないのに、なぜ自分は市長会見に出ているのだろうと思うことがある。なぜ遠くまで出かけて取材するのか。それは少なくともひばりタイムスというメディアがあったからだ。
(片岡義博)

マスクを着けられない子どもを認めて(2022年2月28日)
担任教諭と同級生のいじめで不登校に(2023年11月28日)

 

小金井公園

小金井公園「いこいの広場」(2022年1月1日)

 

 

 

自分史と重なる「クロニクル」  飯岡志郎

 

 「『ひばりタイムス』というと、ひばりが丘の広報紙かなにかですか」。西東京市以外の地で取材しようとするとこんな質問に行き当たる。「いや、西東京で立ち上がった客観的な報道サイトで、周辺の地域もカバーしているんです」とひとしきり説明に汗をかいてからやっと本題へ…。

 私がひばりタイムスに出会ったのはほぼ2年前。この1年間は「北多摩戦後クロニクル」の企画に、大げさに言えば心血を注ぐ機会をいただいた。地域の戦後の歩みをまるで自分史を綴るようにたどることができた。5歳の時、当時の北多摩郡保谷町に引っ越して来て18年を過ごし、社会人となってからは地方勤務を除く30年余りを東村山市民として過ごした。先祖代々ではないけれど、この地は私にとって故郷そのものだ。貴重なサイト空間を個人的に利用してしまったような後ろめたさはあるが、ありがたいことである。

 共同通信の記者として社会と歴史の一端を目撃し、記事に表現してきた。しかしジャーナリストと言ってもあくまでも組織の一員、サラリーマンじゃないか。こんな思いは常につきまとったのは間違いないが「それならそれでいいや」と居直ってきた。

 おのれをむなしくして人の話に耳を傾け、咀嚼して人に伝える。そこにいくばくかの意味があると勝手に信じて駆け抜けた。自前の媒体を持たず、「闇夜に鉄砲を放つ」とたとえられる通信社にあって、自分の記事、報道がどう受け取られ、どう貢献しているのか(あるいは傷つけてしまっているのか)分かりにくいことも、ある意味で矜持だった。

 そんな「闇夜に鉄砲」記者が、リタイア後に思いっきりローカルでリアルな媒体に巡り合った。それも、慣れ親しんだ西東京、北多摩をエリアとする「非組織的」メディアだ。大先輩の北嶋孝氏や現役時代からの仲間である片岡義博氏らと共にわが故郷の来し方と今日を見つめ、多くの人々との交流ができる幸福をしみじみ感じてきた。

 「ひばりタイムス」を知った取材先や友人は一様に「貴重な存在ですね。頑張って」と励ましてくれる。新たな装いのもと、あらためて羽ばたくことになれば少しは力になりたい。
(飯岡志郎)

東村山の老人ホーム火事で17人犠牲(2023年8月29日)
早大ラグビー部が「さらば東伏見」(2023年10月24日)

 

松寿園火事

松寿園火事での救助作業(1987年6月、筆者撮影)

 

 

「北多摩戦後クロニクル」連載を振り返って  中沢義則

 

 「戦後の北多摩の歴史やトピックを振り返る連載を1年間、サイト上でやりたい」。そんな話をひばりタイムスのライター飯岡志郎さんから聞き「面白そうだな」と思って仲間に入れていただいた。「北多摩戦後クロニクル」は毎週、番外編を含めて計51本がアップされたが、私が書いたのはそのうちわずかに6本。すべて飯岡さんたちのサポートで脱稿した。だから大きいことは言えないけれど、とても楽しかった。

 新聞社に41年間勤めて、ずっと取材、執筆してきた。しかし10歳から50年もいる東村山を「記者の目」で見つめたことはなかった。この連載で愛着のある地元のことを取材してみて、いろいろな発見があった。正福寺、全生園、志村けん、近隣自治体では清瀬市の結核療養所、小平市の平櫛田中彫刻美術館。それぞれに物語があった。

 温故知新というと大げさだが、知らなかったことがたくさんあって多くを学んだ。全国紙に長年在職し「ローカルコンテンツだよな」と上から目線で眺めていた地域の出来事や話題など今に語り継ぐべきドラマや教訓を秘めていることに気が付いた。

 執筆には骨を折った。ロートル記者の通弊か、気楽にゆるゆると書いていた癖で軽い調子で面白く書こうとしたものの、重いテーマもあったので、うまくいかなかった。ささいな私個人の思い出を書き過ぎてしまった反省もある。

 それでも、拙い文章ながら読者の方々になにがしかのことをお伝えできたとしたら幸いだったと自己満足している。志が高い稀有なローカルメディア「ひばりタイムス」に、ほんの小さな足跡を刻むことができて誇りに思っている。

 私は10数年前に網膜色素変性症という進行性の目の病気を発症した。視力が徐々に低下していて日常生活が少々難儀になってきた。書くのも疲れる。2年前に65歳で定年退職してからは句作と落語鑑賞などの趣味を楽しむ「ご隠居」生活を決め込んでいたが、みなさんの協力で今回、執筆陣に加わって充実した日々だった。

 記者魂という格好のいいものは持ち合わせていないけれど、やっぱり取材して書くのは、わくわくして面白かった。これからも機会を見つけて地域に目を向けた活動を自分なりに続けたい。
 ありがとうございました。
(中沢義則)

東村山・正福寺が国宝再指定(2023年3月14日)
コメディアン志村けんが新型コロナで死去(2023年11月28日)

 

志村けん

ギャグ「あいーん」のポーズをとった志村けんの銅像(西武新宿線東村山駅東口)

 

 

時には国政の記事も、と寄稿しました  師岡武男

 

 私は創刊以来の筆者(コラム「百音風発」など)であり、同時に読者でもありましたので、休刊は大変残念です。

 私には、まず筆者としての感謝の念が先に立ちます。書きたいことを書かせてもらい、そのうえそれを『対案力養成講座』という本にして出版(言視舎、2021.2.25刊)してもらう幸運に恵まれました。

 書いたことは、経済問題が中心の「硬い」ものなので、どれだけ読んでもらえるか心配でしたが、ともかくもネットを通じて広く読まれる機会が得られました。こんな有難いことはありません。

 主に国政に関わる記事で、地域報道のメデイアにはふさわしくないかとも思いますが、地域社会を良くするためには、国政の在り方も大いに関係があります。特に私が強く念願している社会保障の充実は、国の財政政策そのものです。自治体の財政も国政の大枠に制約されています。

 なお日本経済は、相変わらず貧困化と格差拡大への衰退を続けていますので、書いた内容はまだ賞味期限があると思っています。

 読者としては、たくさんの面白い記事を集めて掲載し発信された北嶋孝編集長さんの力技に驚きます。何とかして再刊できないものかと、願っています。

・コラム「百音風発」(2015年2月~2023年12月)

 

 

記事を書く楽しさを再体験  鈴木信幸

 

 ひばりタイムスとわたしの関係は、2022年7月に元東久留米市議会議員・桜木善生さんの追悼記事を書いたことから始まった。それまでは一愛読者にすぎなかった。

 2本目の記事は今年の1月に書き、最後の記事は12月26日に掲載された。7~11月は多忙で執筆を中断していたので、ひばりタイムスでの執筆活動は約7か月とほかの執筆者のみなさんには比べものにならないくらい短い。それでも記事は15本、Photo歳時記は6本書いた。

 追悼記事以外は、子供、女性、障害者、福祉、文化、環境などに関する記事だ。ネタ元は、ジェンダー平等に取り組む西東京市周辺の女性たちだった。記事が掲載されると、情報提供者から「○○さんを紹介するから、彼女の活動も記事にして」と頼まれる。そして記事にすると、また新たな情報提供者が現れる、という繰り返しが続く。地域の女性たちのネットワークの凄さに驚かされた。

 東久留米市役所の男女平等推進センター内にある図書コーナーを紹介した記事(2月4日掲載)は、少なからぬ女性たちからお褒めの言葉をいただいた。書き手冥利に尽きる大切な思い出だ。

 記事を読むとき、「2度読む」ことを心掛けている。実際のところ2度は読まないが、読者の視点、記事の書き手としての視点で読むということだ。長期連載「北多摩戦後クロニクル」と「書物でめぐる武蔵野」を読むときは“2度読み”をしている。

 ペンで飯を食ってきた人間ならば、この2本の連載の執筆者のみなさんが相当の“手練れ”であることは一目でわかる。緻密な取材と洗練された文章には学ぶことが多く、知的好奇心を刺激させられた。いつか自分もこのような長い記事を書きたいと思っている。クロニクルは本になるとのことなので、じっくり読み返すつもりだ。

 ひばりタイムスは年末をもってニュースの更新を停止する。短い期間ではあったが取材・執筆活動の楽しさを再体験させていただいた主宰者の北嶋孝さんには感謝してもしきれない思いだ。足掛け10年のご苦労とご奮闘に敬意を表します。
(鈴木信幸)

立場の弱い人に温かい眼差し 東久留米市議桜木善生さんを偲ぶ(2022年8月18日)
便利な図書コーナーと交流スペース 男女平等推進センターが利用呼び掛け(2023年2月4日)

 

ニッコウキスゲ

ニッコウキスゲが咲いた(2023年5月)

 

 

自己増殖するネタ 杉山尚次

 

 当初「書物でめぐる武蔵野」という連載は半年、6回の予定でした。私の本業は編集で、ひとさまの文章を読んで編むことですが、まとまった文章を書くことはあまりありません。ですので、臨機応変にやるのは無理だろうから、ネタをあらかじめ用意しました。「ひばり」周辺にふれた鉄道の本、近年流行りの地形や川の本、小説などが思い当たったので、6回はなんとか持つだろうと考えたわけです。イメージは、地域の冊子や新聞的な刷り物によくある、地元の歴史コラムです。そういうのを私は偏愛していますが、最近は冊子じたい、見なくなりました。

 で、まあ、始めたところ、書いたものが自己増殖することに気づきました。書いたものが、自分の想定とはちがったものを呼んでくるのです。コロナ禍で酒席が激減し、書く時間ができたこともあり(なんだ、できるじゃん)、ネタがネタを引き寄せ、3年以上の連載となりました。

 それから気づいたのは、自分にはシステマティックな書き方ができないということでした。じつは本業では、文章や論文の書き方、創作の方法等の本をたくさんつくっています(本サイトでご一緒している片岡義博さんは、言視舎最初の本『文章のそうじ術』の著者です)。そういうノウハウを使えば、カチッとさくさく文章が書けそうなものなのに、結局、計画性のない書き方しかできません。連載最終回にも書きましたが、行き当たりばったりの「散歩」文章なのです。

 ひばりタイムスは、間違いなく〝公〟的なメディアであり、市民のいわゆるコモンズ=共有財なんだと思います。そういう媒体にワタシの勝手な文章を長い間載せてくださった幸運を喜ばずにはいられません。北嶋孝編集長に感謝申し上げるとともに、お読みいただいた方にお礼申し上げます。
(杉山尚次)

・連載「書物でめぐる武蔵野」(2020年10月~23年12月)

 

竹林公園

東久留米の竹林公園、暑い秋の記憶

 

 

地域をみる目が地域を耕す 卯野右子

 

 「アートみーるについて書いてみませんか?」が最初だったと思う。2015年から西東京市の「対話による美術鑑賞」事業の市民ボランティア「アートみーる」のメンバーとして活動していた。2016年に北嶋編集長にお声がけいただいたが、自分が書くなぞおそれ多いことと尻込みするばかりだった。

 2018年、少しでも書くことが上達すればと思いライター講座を受講した。とにかくやってみようと無謀にも市民ライターとして寄稿を始めたのが、その年の11月。放課後カフェの立ち上げに、「あそびの生まれる場所」の著者であり「ハンズオン!埼玉」理事の西川正さんをお招きしての勉強会を取材した記事だった。

 それから5年間、アートみーるの活動の一部である、多摩六都館でのイベント、小学生と一緒に訪れた練馬区立美術館、市民を招いてのパブリックアート鑑賞、にわジャムでのイベントについて執筆した。

 また多摩湖自転車道脇のミニチュアワールド、田無神社の特別拝観、東大農場の観蓮会、コロナ渦のコーヒー焙煎、ウクライナ避難民とのクリスマスイベントなど、ざっくり数えてみるとPhoto歳時記約20本を含む60本ほどに関わらせてもらった。

 報道文を書くことのいろはから教えてもらったのに、長文・修飾語が多い・タイトルがお粗末・リード文が体をなしてない・情緒的すぎるなど、突っ込みどころ満載で、北嶋編集長も毎回原稿が届く度に頭を抱えていたに違いない。

 何度注意しても同じ間違いをくりかえす。5年間の進歩はほぼない。これが仕事だったら、怒声が降りかかってくるどころか、向いてないのでこの業界からお引き取りくださいと、首になっていたところだ。

 編集長からは、記事の裏付けや関係者とのやりとりの助言も受けた。写真や歌詞の肖像権・著作権も難しかった。なっとらん!と叱咤するどころか、掲載後に必ずうれしい一言を付け加えてくれた。その励ましに支えられ続けることができた。ご自身が大変忙しいのに、落ちこぼれライターに時間と労力を厭わず差し出してくれた。

 一番の学びは「地域をみる目」を育ててもらったことだと思う。こんなことが記事になるのか! と驚くことも多かった。大手メディアがカバーできない地方政治から生活に関わる小さな出来事まで、何がニュースとなるのか、何を知らせるべきなのか、どこからどう見るかの視点や視座を、北嶋さんや他のライターから学ばせてもらった。

 報道記者としての目を光らせ、様々な人の声に耳を傾け、実際に現場に足を運んだ北嶋編集長の地域をみる目は、鋭くもあたたかい。

 北嶋さんが地域の記事を書き続けたことは、地域を耕し、種を蒔き、水遣りをし、そこに新たな風景を生み、果実をもたらした。どれだけ豊かな土壌となり、目に見えない恵みをもたらしたかは計り知れない。

 縁もゆかりもなかった西東京市、仕事の後に寝に帰るだけの場所に、志を持って活動している人々を目の当たりにし、地域の底力に触れることができたのも、ひばりタイムスのおかげだ。

 この地域に住まう人々が、ひばりタイムスで養われたみる目を持って、それぞれの活動を続けていくことが、北嶋さんの思いを引き継いでいくことに他ならないと思う。私たちが立っているここから始める。それがこの土地を耕し、生活を豊かにし、ひいては国や世界が良くなることに繋がると信じているから。
(卯野右子)

慣れ親しんだ木造の園舎を見送る 柳橋保育園、建て替えでお別れ見学会(2023年2月20日)
ミニチュアワールドにようこそ! 動物や小人がお出迎え 街と心にあかりが灯る(2020年7月16日)
・「わたしの一冊」第5回 レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳、森本二太郎写真『センス・オブ・ワンダー』(2021年3月22日)

 

モクレン

シデコブシの一種、マグノリアロイヤル 開く(2020年3月11日)

 

 

ひばりタイムスとわたし 石田裕子

 

~この人誰やねん。北嶋編集長との出会い~

 北嶋さんと初めて会ったのは、2015年の3月西東京市役所の議会事務局の前である。わたしが以前に人前でした挨拶を聞いていてくれたとのことで、ニコニコしながら話しかけて来てくれた。その当時、あることで傷ついていた私は人をなかなか信頼できず、「きゃー、この人一体何者? 敵? 味方?」と、後退りして逃げ帰ったのをはっきりと覚えている。その後、議会の傍聴や市民活動の際に、見かけるようになった北嶋さんはいつも黄色のリュックを背負い、ジーンズを履き、熱心に取材をしていた。その彼が書く記事を読んで「この人は信頼できる」と思うようになっていった。

 

〜書いてみますか? 子ども条例、議決の日に〜

 2018年に、西東京市に子ども条例が制定されると決まったその日。私も北嶋編集長も議会を傍聴していた。泣きながら、傍聴していたわたしに「(記事を)書いてみますか?」と編集長は言った。条例制定に舞い上がっていた私は「書きます! 書きたい!」と返事をして、その日のうちに原稿を送った。

 

〜ただの作文好きの私が、市民ライターの端くれに〜

  小学4年の時に書いた「ひよこ」という、20円でひよこを買ってきた私を父がからかう話しを書いた作文を、担任の先生に褒められて以来、私は作文を書くのが好きだった。でも還暦近くなって「市民ライター」になるなんて。なれるなんて。自分が活動している団体の記事や、子ども食堂関係の記事はその後の活動を大きく支えてくれた。つい先日も、小学校の施設開放の仲間に以前音楽家の友人のことを書いた記事を、グループLINEに載せて読んでもらった。何日かして会った人に、(プロフィールにある)障がいの人と共に踊る「やぎさわディスコ」に興味があります、と言われて感激した。拙い文章であっても「ひばりタイムス」に載る、と言うことで、たくさんの人たちに市民活動を知ってもらうことができた。市民ライター仲間となったメンバーの中には、新聞記者の方も何人もいて、たくさん勉強させてもらった。

 

〜大好きだよ、ひばりタイムス。編集長、ありがとうございました〜

 ひばりタイムスに出会って、私の人生はとても豊かになった。ひばりタイムスと同じ時期に始めた「子ども食堂」も、今は市内小学校の数18校を優に超えて28カ所になった。子ども食堂支援のNPO「むすびえ」の理事長の湯浅誠さんの記事も、「むすびえ」ができるより前に、ひばりタイムスに書いている。湯浅誠さんに直接電話をすることになった時に、編集長に「私が電話しても良いんですかね」と相談したことも、懐かしい思い出だ。

 実は、ひばりタイムスが終わる、ということを私はあまり受け入れることができない。私にはひばりタイムスが必要で、ひばりタイムスがお守りで、ひばりタイムスが誇りだった。毎週木曜日に配信される「週刊ひばりタイムス」の編集後記で編集長の考えを読むのが好きだった。現実を受け入れられず、ぼんやりと他のことにかまけているうちに年末が来てしまった。今年の思いは、今年のうちに。ひばりタイムス、ありがとう。北嶋編集長、市民ライターの皆さん、ひばりタイムスを読んでくれた皆さん、ありがとうございました。

 北嶋さん、ゆっくりなんかしませんよね⁈ また違う形でのご活躍を期待しています。大変お世話になり、ありがとうございました。
(石田裕子)

涙がこぼれる「子ども条例」誕生 紆余曲折の18年を振り返る(2018年9月22日)
湯浅誠さんが語る「子ども食堂の現状と課題」 意外な人たちが全国で始める(2019粘1月16日)

 

子ども食堂

今年から、ひばりが丘児童センターでも子ども食堂を始めました。一回にお米が8キロなくなります

 

 

取材を通して「地に足がついた」実感 倉野武

 

 西東京市に居を移したのは2002年、サッカーワールドカップ日韓大会が行われた年の夏だった。とはいえ、都心の会社への往復に追われ、数年は単身赴任の地方勤務もあり、地元を顧みることはあまりなかった。よくある話だが、2021年春、定年を迎えるころになって、急に地域の出来事、人とのつきあいに関心が出てきた。そんなとき、以前知人を介して知り合ったひばりタイムスの北嶋孝編集長と再会し、記事を書かせていただくようになった。

 地域の繁栄と安寧のよりどころとなっている田無神社、かりんとうの旭製菓や時計のシチズンなど地元の老舗企業、独創的な教育方針で社会を創る人材を育んでいる自由学園…。これまで名前程度しか知らなかった施設、企業・団体、自治体などへの取材を通じて地域に対する視野が開けた気がした。

 2022年夏、半世紀以上にわたり営業し、個人的にも愛着があった西武新宿線田無駅近くの喫茶店「フジカフェ」が閉店することになり、オーナーに取材する機会に恵まれた。若い頃はカーレーサーとして鳴らしたオーナーの店への思いなどは、胸に迫るものがあった。2023年夏、100年前の関東大震災での田無、保谷の状況を伝える西東京市在住の大学名誉教授による講演会で防災意識を新たにした。今年秋には、イベント「西東京市歩け歩け会」にも初めて参加し、13キロを歩く経験も。

 2年余で35本程度の記事しか書けなかったが、それでも取材を通じて地域の方々と接することで、少しはこの地に足をつくことができたような気がする。月に一度の編集会合(コロナ禍でほとんどオンラインだったが)で他の執筆者とも交流でき、コロナ禍明けに皆さんと初めて「一杯」やれた時の感激もひとしおだった。北嶋編集長、執筆陣の諸先輩方とは、できれば今後も「一杯」を含めておつきあいいただき、機会があれば情報も発信し続け、さらに地域に根をはっていきたいと思っている。
(倉野武)

田無・フジカフェが58年間の営業に幕(2022年8月29日)
田無神社が御遷座三五〇年大祭記念誌を刊行(2023年2月1日)

 

伊藤信行・万里子夫妻

閉店直後の「フジカフェ」前で撮影したオーナー夫妻の伊藤信行さん・万里子さん。おつかれさまでした。

 

 

ひばりタイムスを図書館に  川地素睿

 

 12月半ば、コロナに感染した。自宅静養しかないので「ひばりタイムス」でコロナ関係の記事「特集 私たちのワクチン接種体験」を改めて読み、不安な気持ちを思い出した。さらに掲載記事では、先が見えない感染の推移を統計を活用し、また町の声を丁寧に伝えていて、良質のドラマのようだった。

 私は都心に勤務していたが、地元に戻りたいと帰ってきた。が、町の事情がわからない。そんな時、大きな力になったのは「ひばりタイムス」だった。まずは自治体の課題を知りたいと思った時、目を引いたのが議会報告だった。その町で何が問題になっているのかをわかりやすく分析していて、うなずくことが多く、書く人の知識の深さと見識と努力に感心した。そういう出会いもあって、市民ライター養成講座募集を見てすぐに申し込んだ。そこで北嶋編集長の教えを受け、市民ライターとして記事を掲載することができた。

 まずは身近なことをと、自分が参加している滝山農業塾の記事や子どもたちの居場所の駄菓子屋、癒しの喫茶店などを取材した。私の書いた記事を見て、「ありがとう」との声にも励まされたが、北嶋編集長の加筆削除訂正の指摘があってこその完成原稿だ。

 もっと地域で活動するアートやアニメの制作現場や歴史散歩などの記事も掲載したかったが、それも年内に終わることになる。膨大な蓄積を「ひばりタイムス」図書館のような形で残すことができないものか。北嶋編集長、本当にお疲れさまでした。
(川地素睿)

滝山農業塾、15年目の春が始まる 資金、作業、収穫も協働で(2018年4月5日)
弾痕残る「戦災変電所」一般公開  「西の原爆ドーム 東の変電所」(2018年4月12日)

 

滝山農業塾

滝山農業塾から「来年もよろしく」

 

 

ひばりタイムスとわたし 髙倉理恵

 

 ちょうど去年の今頃、「市民ライターになる講座」に参加していた。きっかけは「市民ライター」になるためではなく、タイトルを勝手に「市民向け、ライター講座」と勘違いし、文章を少しでもうまく書けるコツを教えてもらえたら、という軽い気持ちからだった。

 そこではじめて、実際に職業としての記者経験が豊富な「市民ライター」の方々がたくさんいらっしゃることを知り、「ひばりタイムス」の歴史を知ることになる。

 「まずい、これはムリ」。率直な最初の感想はこれだった。取材して記事を書く、なんてとてもできない。私が知りたかったのは、「上手な文章の書き方」だ。しかし、途中で講座を投げ出すわけにもいかない。回を重ねるうちに、先輩方が実際に書いた記事の解説の聞き、「記事ができるまで」の裏舞台を知ると、自分の身の回りのことなら記事にできるかもしれないという気持ちと、こんなに贅沢な環境で学べるなんて、この機会を逃したらないのではないかという気持ちになった。

 あれから一年。今回、ひばりタイムスが年内で更新を停止することを知り、とても残念に思った。

 まずは自分の体験したことを文章にすること、それを北嶋編集長に見てもらいながら、記事としての体裁を整えていく。これを数回繰り返して、今年、5本の記事を仕上げることができた。どれもまだまだ「自分事」の記事である。毎月の編集会議でもうしばらく、先輩方の取材の話を聞き、出来上がった記事を読みながら勉強したい、書ける記事の幅を広げたいと思い始めた矢先だったので、ひばりタイムスの編集会議もなくなるのは寂しい限りである。

 わずか一年だったが、ひばりタイムスに参加させていただき、たくさんのことを学ばせていただいた。ありがとうございました。
(髙倉理恵)

「高尾山ハイク」を楽しむ がん経験者とボランティアがともに(2023年6月11日)
まちライブラリーでがんサロン開催 好きな本を一冊持ち寄り心をつなぐ(2023年12月23日)

 

まちライブラリー

まちライブラリー

 

 

2度目の学生気分に胸躍らせた5年間  渡邉篤子

 

 「ひばりタイムス」最後の特集「ひばりタイムスとわたし 市民ライター倶楽部編」の文章を書かねければ、と思いながらなかなかとりかかれない。どうしよう、どうしよう、何を書けばよいのか定まらない。

 編集長からの「遅れても送ってください」という言葉が書かれたメールを受け取った。励まされた。諦めないで書こうと思った。この気持ち、前にも経験したことがある。

 学生時代を締めくくる卒論が提出日までに書けなかった。5部構成のうちの3部までしか提出できなかった。担当の先生から電話がかかってきた。「よく書けているよ。卒論審査の日までに続きを書きなさい」。おそらく前代未聞の分割提出で予定どおり卒業できたのだった。

 よく考えるとこの気持ちは今だけではなかった。市民ライターとして関わった時から、ずっと学生に戻ったような気分だった。北嶋さん、柿本さん、市民ライターのメンバー、投稿、寄稿された記事の筆者、みんなが先輩であり、先生でもあった。私は30年以上の歳月を飛び越えて青春時代のワクワクした気持ちを再び味わっていた。

 初めて全く知らない場所へ取材に向かった日のことを思い出す。2018年6月。日の出町谷戸沢処分場で行われた見学会を取材した。「報道」と書かれた腕章をつけた人の後を追いながら写真を撮ったり、主催者の説明を聞いたりしていた。広大な敷地をうろうろしているうちに、気がつくといつの間にか「参加者」となって、子どもたちとオオムラサキの後を追っていた。記事を書きながら「あの写真を撮っておけばよかった」「あのことを聞いておけばよかった」と反省することがいくつも出てきた。こんなことではダメだな、と思った。

 学んでもなかなか実行できない5年間だった。2度目の学生時代はダメなまま終わりそうだ。でもワクワクする気持ちは持ち続けていた。諦めないで「市民ライターとして書くこと」に向き合っていきたいと思う。身近なできごと、身近な人の営みを知ることが、こんなにも楽しいということを知った。感謝の思い、これ以上の語彙が見当たらない。編集長、助けてください!
(渡邉篤子)

国蝶オオムラサキが里山に育つ 日の出町谷戸沢処分場の見学会(2018年6月28日)
書店内に地元産の野菜並ぶ 東久留米駅前の野崎書林が「FRESH & LOCAL」に挑む(2020年8月16日)

 

オオムラサキ

手のひらにオオムラサキ((西多摩郡日の出町谷戸沢処分場))

 

 

「この台を見よ!」で手応え  北嶋 孝

 

 ひばりタイムスを始めた当初、取り上げる対象も切り口も、さらに文体もなんとなくしっくり来なかった。創刊してほぼ2ヵ月後に掲載した「この台を見よ! 買い物後の一工夫」(2015年4月16日)でやっと手応えを感じた。

 西友ひばりヶ丘店のリニューアルから1ヵ月ほど経ったころだろうか。手押しの台車(カート)と品物を袋詰めする台(サッカー台)が変わったことにあらためて気付いた。すぐに最寄りの他店も見て回った。そのあと西友本社の広報部に食い下がり、根掘り葉掘り聞いて出来上がったのがこの記事だった。言葉はあとから、すんなり湧いてきた。

 いま似たような工夫は他店でも見かける。当時、目に映る光景から、肝心の「細部」が欠けていた。暮らしの匂いを嗅ぎ分ける感度が試されていたのかもしれない。

 後日譚がある。コロナ禍で西友の店舗従業員に感染の疑いがかかった。問い合わせの電話口に出たのは、数年前に対応してくれた広報部スタッフだった。珍しくぼくの取材を覚えていた。「あのような切り口があるのだと、私たちの間で話題になりました」。なるほど、ホウホウ、エッヘン。気分が少し昂揚した。その夜、柄にもなく少量のアルコールで楽しく酔っぱらった。まんまと乗せられたかもしれないのだが、まあ、許してほしい。

 何がニュースか手探りしながら、取材の手法や暮らしに馴染む文体の試行錯誤が続いた。
待ってました、交番」( 2015年10月3日)、「田無ツツジ」を追いかけて(2017年5月1日)の2本は、映画の「ロード・ムービー」の手法にならった。勝手に「追っかけドキュメント」と名付けている。写真に凝ったり(「ひばりヶ丘駅周辺に雪景色」2018年1月23日)、写真説明で遊んだり(「いまが見ごろのうめまつり」2016年2月19日)したこともある。

 もちろんオーソドックスな視点と手法も威力があった。「『好き』と『楽しい』が導きの糸」(2017年7月19日)、「委員会審査の『議事録ない、録音、メモもない』」(2018年5月31日)、「ケヤキ、クスノキいまいずこ」(2019年4月11日)なども記憶に残る。

 しかし2020年からコロナ禍に襲われた。文字通り疾風怒濤。対応するだけで手一杯になってしまった。文体や技法などは探索途上でストップ。手近な仕様に従った。地域報道メディアはあくまで、1本1本の記事の集積が実態であり大本になる。そこをおろそかにしたくないという思いは強いのだが、これはこれでまた別稿を起こさないと語れない。

 コロナ禍はとりあえず一段落したようにみえる。地域の出来事も賑やかになってきた。ひばりタイムスもこの1年、大型企画やイベント報告が掲載できた。個人的には取材、執筆がほぼ出来なかったけれども、多くの書き手が入れ代わり立ち代わり登場して、地域メディアとしての活動は続いた。年明けにそれぞれ散開しても、その人たちの活躍が止むことはないだろう。取り組む出来事にふさわしい手法と文体を見つけ、書いた記事が至る所に現れることを期待したい。
(北嶋孝)

 

西友ひばりヶ丘店

カゴをカートに置いたまま袋詰めできる(西友ひばりヶ丘店)

 

 

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特集 ひばりタイムスとわたし(市民ライターズ倶楽部編)」への3件のフィードバック

  1. 鎌田 節
    1

    2021年の3月から購読をはじめました。たまたま地元の火事を取材しておりその火事の場所まで記載されており、お!流石地元新聞だなと思い興味を持ち購読を始めました。そのようななか年内で記事更新停止とのこと。誠に残念です。しかしながら450号までご苦労様でした。ありがとうございました。今後のご活躍とご健康を祈願してます。重ねて、ありがとうございました。

    • 2

      谷戸町の火事でしょうか。この年の第1回定例会初日だったと思います。午後になって現場に行きましたが、道路が狭く入り組んでいて、一時探しあぐねました。到着したときは、消防署などの検証もほぼ終わっていました。警察のルートが利かず、東京消防庁と市の危機管理課から得た情報でまとめました。事件事故の際の対応は後手に回ることが多く、思うようには動けません。課題のひとつです。(編集部)

  2. 都丸亜希子
    3

    5年ほど前、こちらの記事の髙倉理恵さんのように「市民向け、ライター講座」と勘違いし、講座に参加させていただきました。実際は、市民でもなく、時々、東久留米図書館での「よもあそ(科学絵本のよみきかせ「ほんとほんと」)」とか、近郊の小金井の科学系のイベント(ガリレオ工房)へ会員として行くから、身近に感じる地域だし…、という図々しさで受講。講座では、特に、スポーツや芸能関連の記事のつくり方(視点)に、ハッとさせられました。機会あれば、私もライターとして…、と思いつつ、月日は流れ…、となってしまいました。
    地域に根付いたニュースは重要だという気持ちもあり、いつまでも、あると思い込んでいただけに、終わるとは想像もしてなかったので、終わるということを見た時はびっくりしました。
    北島編集長をはじめ、みなさま、本当に、お疲れ様でした。
    (やっぱり一言言いたくなり、今頃となりましたが…)

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