第3回 序章 新川暗渠道春景色 残春初夏篇
蝋山 哲夫(西東京紫草友の会会長)
筆者をハッとさせた「暗渠道雑草二選」。
左の雑草は自然の色彩美とともに、凛としたデザイン美を感じた。これらの雑草は暗渠道散策の意外な発見をもたらした。二つとも、ひょっとしたら園芸種の脱走組かも知れないが、花の名前はわからない。雑草とも思えぬ「美のチカラ」が本エッセイのナビゲーターとなった。
~めッーぐるー、巡る季節の中で、あなッーたはー何を見つけるだろう~
きょうは5月30日。暗渠緑道の草叢は思いのほかグローバル化が進んでいた。この連載の開始にあたり、注目した3種の雑草のうち〈ムラサキハナナ:中国原産〉と〈ムラサキカタバミ:南米原産〉は外来種だった。もう一つのケシ科の雑草〈ムラサキケマン〉は日本や中国に繁茂する野草とされているが、もともとは室町時代に中国から渡来し、仏具の意匠となった〈ケマンソウ=華鬘草〉の仲間であり、「高山植物の女王」といわれる〈コマクサ*〉の仲間でもあるという。
今となっては、これは日本固有種だの、あれは外来種だのと、草花の出自を問うことにどれほどの意味があるだろうか。植物界にレイシズムなんか存在しない。一律的な雑草駆除主義や植物国粋主義はそのまま受け入れるべきではない。自分だけが生き延びたいと願う本能=エゴイズム、共生を含む生存競争こそが植物界の掟=常識なのである。生物多様性の世界とは、敵と味方が同在する非条理のストラグルの輪廻である、と植物学者のリンネは言ったかどうか。(*「コマクサ」はネット検索して下さいネ)
5月。暗渠緑道の万緑・百花繚乱の風景はもうそこにはなかった。わずか2カ月で暗渠緑道の風景は一変してしまった。まさしく季節は巡るのである。豊かな色彩王国の雑草はわずか一年サイクルで遺産相続をする。80年もヘイチャラで生きてしまう人間どもと比べ、生から死への時間が物凄く短い。雑草の80年分の輪廻転生をだらだら不平を垂れながら過ごす人間は、植物の再生の繰り返しを目の当たりにして、どのような教訓を得たのか。傲岸な不死再生の夢ではなく、せいぜい生老病苦の懊悩を客観的に認識しただけではなかったか。
植物は何億年も人類の食を賄ってきた。食物連鎖の「最底辺」は植物系の生き物に支えられている。そのような植物の中から、稲や麦や雑穀を選別し、食料とし、あまつさえ魚介類や鳥獣類の肉を貪り喰ってきた。こうして、人類は食物連鎖の「頂点」に立つ一方で、常に食糧危機にさらされている。
もっといえば、わたしたち人間が足を踏みだす大地には、一足ごとの面積に6億だか8億だかの微生物が生息しているといわれる。その微生物の働きによって土中の循環が保たれ、動植物も人間もその上に乗っかっていることを忘れちゃイカンね。食物連鎖の頂点はヒトにほかならないが、真の王者は地下帝国の微生物だろう。
暗渠緑道を歩くようになって、そのわずかに限られた両岸の草叢に注目するようになった。草叢は生き物の小宇宙であり、そこには命をかけた代々にわたる争闘があり、ひるがえって共生もある。植物世界は動物世界でもある。万葉の時代にその名が知られ、紫根染に活用されてきた紫草(むらさき)だって、もともとは山野の自然界に自生していた野草・雑草だったはずだ。
人間は自然界に学び、植物の特性を生かして紫根染なんていうモノ・コトを発明してきた。物の本によれば、山野に自生する紫草の根元の土壌は「赤紫色に染まっている」(?!)そうである。紫草にも「敵と味方」があり、1500年以上も野生世界で生き延びてきた知恵があるに違いない。紫草はススキなどに「寄りかかりながら」持ちつ持たれつの混生をし、ススキの「アレロパシー」(他感作用)によって生存を守られてきたかも知れない。「アレロパシー」のことは後段で触れることにする。
~〈ムラサキハナナ〉はラッキーな雑草~
人や動物に踏みつけられ、引き抜かれて、これでもかとやっつけられる「宿命」を持つのが雑草である、と解釈するのは人間の偏執である。何回も引っこ抜かれても、いささかもへこたれず、再生する生命力がもの凄いでしょ。でもね、雑草にも引っこ抜かれるものと、引っこ抜かれないものがあるんだな、と気づいたとき、「何~でかな?」と考えざるを得なかった。私見によれば、花を見る者の多数派の色彩感覚によるものだと思うがいかがであろうか。あえて言えば、「ピンク」「青」「紫色」系統の色の花を咲かせる雑草は特に引っこ抜かれにくく、花の色の彩度が低く、濁った色の小さな花を咲かせる雑草は引っこ抜かれやすい傾向にある。また、見事な花の群落をつくる「数の陶酔」を誘う雑草は引っこ抜かれにくく、見る者に寛大な厚遇心を与えるのかも知れない。
自然界の花の色は「白」がおよそ30%。「白」は飽きのこない清純な色で嫌われにくい。「赤」や「紫」には特別な感情と意味付けを持たせる心的な何かがあり、「青」は人を思索に誘う。「黄」は平凡だけども活力を感じさせる「一般性」があるように思える。薔薇・百合などの園芸種は「白」も「赤」も「黄」もあれば、それらの中間色のものも豊富にあるけれども、雑草となると「赤」い花、特に「深紅」の花が少ないのではあるまいか。ワタクシの思い込みかも知れないが、暗渠緑道や公園や空き地や道端をざっとみても、そのような気がするのである。雑草・植物図鑑を見ても、「赤」や「深紅」の花を咲かせるのは多数派ではない。
思い出した。昔、お婆ちゃんが言ってたっけ。「てっちゃん、春の草はね、ピンクや黄色の花が多いけど、梅雨どきになると白い花が増えるんだよ」と。60数年経ったいま、思うのは「ちがうよー、お婆ちゃん。冬を除くどの季節にも、文字通り“色んな色”の花盛りオンパレードだよう」ってこと。でも、レンゲはピンクで、菜の花は黄色だ。でもでも、5月中旬になると道端やそこら中にはびこるのは、〈ドクダミ〉の白い花だらけ。まだ梅雨入り前の5月なのにね。結論をいうと、雑草の花は地味で中間色が多いと思うのであるね。虫媒花の場合、虫の眼に映る色彩は、人とは異なり、違って見えるのであるなあ。
ところで、〈ムラサキハナナ〉「紫花菜」Orychophramus violaceusは昆虫たちに好まれるラッキーな虫媒花である。なぜ、ラッキーかって? それはね、特別の親近感で人間から厚遇されているからさ。〈ムラサキハナナ〉は、暗渠緑道に限らず、人家の庭でも道端でも、確かに引っこ抜かれない雑草の代表格だ。「ハナダイコン(花大根)」や「大紫羅欄花」「諸葛菜)」の別名を持つ中国原産で、江戸時代に輸入された。菜種油とお浸しなどの食用として生活を潤してくれる親しみやすさもあってか、今でも身近な雑草である。しかしまあ、その圧倒的な大群落はほとんど感動ものですね。菜の花の黄色のカーペットと並んで、春の風物詩として、全国的に有名で親しまれているんだから、〈ムラサキハナナ〉はラッキー・ハッピーな雑草である。
~〈ムラサキケマン〉は湿地の毒草だってさあー~
「ムラサキ〇〇〇」の最後の雑草は〈ムラサキケマン〉Corydalis incisa。漢字では「紫華鬘」と書く。「華鬘」とは仏堂の荘厳さをかもしだすために、欄間に飾る金属製の装飾飾りである。ラッパ状の花房を垂れ下げ、紫色を中心に淡いピンク色から濃い赤紫色の花の種類がある。でも、この花はどことなく目立たない。直射を避けた日陰や半日陰のちょいとばかり湿った草叢にまぎれ込んでいるせいもあるだろう。おまけに背が高くないので、春の終わり頃になると、他の雑草に追い越されて隠れてしまう。花言葉は「従順」「失恋」「恋心」「冷め始めた恋」「流れに身をまかせて」という、なにやら主体性のなさそうなイメージだ。ところがどっこい、これがとんでもない曲者なんであーる。毒素「プロトピン」を全身に持ち、誤食すればたちまち嘔吐・呼吸麻痺・心臓麻痺におちいるという危険きわまりない毒草であり、ケシ科イケマン属の仲間だ。
ケシ科と聞くだけでヒトは危険を感じるけれど、〈ムラサキケマン〉はウスバシロチョウ(アゲハチョウの仲間)の幼虫の食草である。このためウスバシロチョウも有毒物質を持っている。雑草も昆虫も他者から喰われまいとして、「プロトピン」の毒矢を放ち、自己防衛しているのだろう。こうした毒を自分の植物体の中に持つ雑草は案外多く、それも自己防衛と自己増殖のためである。雑草がコロニーを形成するのも、鱗茎や塊茎のすさまじい増殖力のみならず、何か特殊な分泌物を浸透させるのではないか。同属同種のコロニーには他の雑草の同居がほとんど見られないのはなぜだろうか。そこには秘密の匂いが漂っている。
~わが紫草も無縁ではない?! アレロパシー現象って何だ?~
植物が地下茎から特定の分泌物をだし、その化学物質が他者の成長を阻害することを「他感作用」(アレロパシーAllelopathyという。アレロパシーで一躍名を馳せたのは、キク科虫媒花の〈セイタカアワダチソウ〉である。昭和30年代から40年代に爆発的に繁殖し、全国へ拡散。一時は花粉症の「真犯人」の嫌疑をかけられたこともある。黄金色の豊かな花穂であたり一面を染める、あの〈セイタカアワダチソウ〉がアレロパシー物質を土中に放ち続けていた。それが他の植物の発芽や生育を阻止する「ポリアセチレン化合物」だったことが判明している。
その後、〈セイタカアワダチソウ〉背高泡立草の暴走は弱まったが、その理由がポリアセチレン化合物による「自家中毒症」だった、というのである。なんとも皮肉なしっぺ返しのオハナシでありますね。あるエリアに繁茂していた群落がいつのまにか「消える」のである。でもある日、突然じゃあありませんよ。「そういえば、あのあたりにゃあ、黄金の海の煌めきのようだった」と白昼の幻の声が聞こえる。
紫草はといえば、「山野向陽の草中に生じている宿根草」(牧野富太郎『植物知識』講談社学術文庫1981年刊)で、「根は肥厚していて地中に直下し、単一、あるいは枝分かれがしている。そしてその肥皮が、生時は暗紫色を呈している。茎は直立して六〇~九〇センチメートルに成長し、梢はまばらに分枝している」。(*印は筆者/ルビは原文どおり)。
もう一つ引く。「紫草はやや山地の、薄(かや=イネ科)の生い繁る群落に多い。これは紫草の特性として、生育すると梢には日光を求め、反対に根元は直射日光を嫌うため、このように他の植物との混成群落によってうまく生育する」(竹内淳子『ものと人間の文化史148 紫 紫草から貝紫まで』法政大学出版局2009年刊)
むむむ、〈ススキ〉との混成群落だってッ! 実はアレロパシー物質を出す植物には〈ススキ〉も含まれており、〈セイタカアワダチソウ〉のライバルが〈ススキ〉だという。他の植物の発芽や生育を妨げる「ポリアセチレン化合物」あるいは同類の化合物を出す植物は、イチョウ・ヒマラヤスギ・ヒガンバナ・ヒマワリ・ブタクサ・ヨモギ・ヒメジョオンなどである。ということは、ススキと混生し、庇護されてきた紫草は、ススキが発するアレロパシー物質に対して耐性のDNAを保有しているのか?! 紫草の極めて低い発芽率(=20%程度)の真因はアレロパシー物質にあったのか?! あるいはアレロパシー物質を取り込みながら次第に馴れて、耐性DNAを持つようになったのだろうか。でも、これは実際の山野で自生する紫草だけの遺伝体質なのではないか。
では、栽培種の子孫はどうなのか。1500年間も栽培種であり続けるける紫草といえども、自らアレロパシー物質の中毒患者になりつつ、かろうじて耐毒性の繁殖を残した、ということなのか。言い換えれば、1500年経ってアレロパシー物質が「体内」に残っているのだろうか。そうであれば、「紫草よ、弱々しいおまえは王者か殉教者だ」……。〔暗渠緑道の草叢の声〕:「なあーに言ってんの。そんなこたぁ俺たち雑草属だって大昔から知ってるよ。紫草だけを持ちあげるなんて気に入らねェッーつうーの」
~これからどうなる? 暗渠緑道の雑草・植物相~
孟春から初夏にかけての暗渠緑道の散策もこれで一旦終わりである。序章が三回も続くなんてクドイかも知れない。しかし、この序章は「幻の紫草紀行」への欠かせない準備体操だった。植物、とりわけ雑草の自然生態を観察し、その生命力や環境適応能力の理解を通じて、さまざまなことを学んだ。その学びの成果はまだカタチにはならない。けれども、栽培種の紫草の「繊細なひ弱さと生き延びる逞しさの両方を合わせ持つ性質」にどのように向き合うべきかといった課題が見えてきたのである。
万葉の時代であろうが、平成の時代であろうが、植物の生きる自然環境は猛々しく、紫草も雑草も動植物も人間もその中にいる。安直な「共存」なんてありえない。適度に人の手が加わってはじめて「人と自然の関係」が生まれる。暗渠緑道には里山思想の野放図な姿があり、雑草の品種交代のなすがままに放置された「原野」の縮図がある。願わくば、暗渠道の近隣市民が程よい手入れを行い、季節ごとの野生美・雑草美を発見できる魅力的な散歩道をつくってほしい。
初夏を迎えた草叢は雑草たちの呟き、不平、怒り、叫びの肉声が渦巻いていた。「ひだるい」沈黙の声だ。生物多様性だとか、持続する自然環境だとかを唱えるのは、自然界の生き残り大競争の実態を見ようとしない「2V」人間様のタワゴトじゃあないのかい……。次回はいよいよ「わが紫草奮闘記」を綴ります。〈了〉
〔草叢の小咄ひとつ〕
〈カラスノエンドウ〉が言った。「おい、ブタクサよ、おめぇの重てぇ尻の葉をどけてくんな。お天道様は拝めねぇーから、筑前屋のやきとんみてぇーに喰っちまうぞ」。〈ブタクサ〉が答えた。「うるせぇーな。おめぇーのちょろ髭みてーな蔓がよう、俺っちのあそこをくすぐってるんだよおッー」と。
1947(昭和22)年群馬県高崎市生まれ、池袋育ち。早稲田大学第一商学部卒業後、ディスプレイデザイン・商業空間設計施工会社を経て、株式会社電通入社。つくば科学万博、世界デザイン博、UNEP世界環境フォトコンテスト、愛知万博などの企業パビリオンをプロデュース。その他、企業・自治体のコーポレート・コミュニケーション、企業・団体の国内外イベントで企画・設計・映像・展示・運営業務に携わる。現在、西東京紫草友の会会長、地域文化プロデューサー、イベント業務管理士。西東京市中町在住。「古文書&紫草ライフ」が目下のテーマだが早期引退を模索中。