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第12回(最終回)紫草 into the Future

 


蝋山 哲夫西東京紫草友の会会長


 

 ~それは、終わりが始まりだった~

 3月6日は「啓蟄の日」だった。幼稚園児の頃、早春を迎えた庭の地面をしばしじっと眺めた。陽当たりのよい場所と日陰の場所では、地面の様相が異なることに気がついた。土中の「世界」はいったいどうなっているんだろうと思った。土や枯れ葉の中の世界を想像した。でも何も見えなかった。

 4月半ばの頃だったか、登園のとある朝、川越街道で飼い犬が交通事故で死んだ。鎖がはずれて、ボクを100mばかり追いかけてきたことに全く気づかなかった。気がつけば、そのチルという名の小型雑種犬は横断歩道の2列目の白線まで飛び出し、右から走って来たクルマに轢かれたかに見えた。目の前でキャーンという悲鳴が聞こえた。すぐ歩道の縁石までヨロヨロ戻ってきた。「チル、チルっ!」と叫ぶボクの足元にチルは斃れた。どこからも血は流れていなかった。チルは無傷だった。轢かれたんじゃない。今でいう「外因性ショック死」だったろうと思う。ボクは泣きながらチルを抱いて家まで帰った。100mは実に長く、チルの亡骸は重かった。ボクの5歳の春の出来事だった。奇しくも幼稚園の名はタンポポ幼稚園だった。

 いつまでも泣いてなんかいられない。庭の角地のユスラウメの近くに穴を60㎝ほど掘り、そこにチルの遺体を埋葬した。崇高な気持ちだった。それは世界の終わりが別の世界の始まりだった。終わりが始まりであるという輪廻転生が「生命の繋がり」を意味するとは、幼時にはとても理解できなかったけれど、それ以来、しょっちゅうユスラウメの根元を見つめた。しばらくすると暖かくなり、ユスラウメの周りの地面に雑草が芽吹きだし、小さなアリが這い出てくる巣を見つけた。季節の移ろいとともに、植物が囁き、虫たちが蠢きはじめたのである。否、自然は枯渇しているように見えるけど、大地は豊かで、想像以上に強靭で、しなやかで、地中の生き物も蘇るんだね。蘇生、再生、循環。山川草木悉皆成仏。見るたびに様変わりする庭の表情は豊かだった。「土」=大地と生命の循環を知り、ボクは次第に植物少年になり、昆虫少年になり、ついでに原っぱ野球少年になっていったのである。

 

 ~自然の営み、光と土と水のバランス~

 四方を海に囲まれ、四つの季節が巡る温暖湿潤の島嶼国家がわが日本である。南北に弓なり型に伸びる列島は水資源に恵まれている。昨年はゲリラ豪雨が各地を襲った。台風が来るごとに激甚な被害を受けた。その雨量たるや、世界の砂漠地帯の万倍もの規模である。しかも、この数年間はダブル台風がやってきて、山間部だけではなく都市部の住宅地で崖崩れや土砂崩れが頻発している。マンホールの蓋を持ち上げるほどの凄まじい雨量をTVニュースで目撃するたびに、水の恵みどころか、水の脅威を感じるのである。

 このような雨台風や気候変動のもと、ワタクシは、日本列島の山間部に自生しているかも知れない「幻の紫草」が土砂崩れに巻き込まれて本当に絶滅してしまわぬかと大いに危惧している。紫草栽培初年度の昨年は、梅雨時は凌いだけれど、夏場の超高温多湿に耐えられず、また10月の超長雨に負け、多くの鉢植えの紫草が犠牲となった。もっとも春先の発芽直後の「水害」による黄変死もあった。愛情過多による水の遣りすぎが原因だとわかった。わたしたちの無知ゆえの悲劇である。「水の犠牲」となった昨年の紫草に改めて合掌。

 文献によれば紫草は「水に耐えず」と書かれているように、水はけのよい土壌と陽当たりのいい場所が適しているのである。鉢植え栽培の場合、その数が50鉢も越えると移動に難儀する。日照時間を満たしつつ、水はけが良ければ紫草は安定的に成長するのであるが、陽当たりがよくても鉢の中に「滞水層」ができると「水害」が起きて、立ち枯れ死してしまう。ゲリラ豪雨も雨台風も自然の営みそのものなので致し方ないけれど、紫草栽培の水遣りの頻度とタイミングに気配りが欠かせない。露地栽培には部分的にどうしても雨除けのビニールがけが必要で、風通しも大事なことがわかったが、こんなことは当たり前である。要は、光と土と水のバランスのよい生育環境が植物の生命線であり、栽培種の紫草の生育には硝酸系窒素の施肥をちゃんと行えば、夏場の超高温多湿にも耐えられるとのことである。

 われわれの初年度は、発芽時の水遣り過剰と夏場の施肥不足でコケタたのだった。これには懺悔。栽培種の紫草は人のチカラを必要としているのだから、昔通りの「人智」や科学的な栽培管理が大切なのであり、植物の生育実態に寄り添わないといけない。生半可な知識や「思いやり」だけでは、紫草は「幸せ」にはなれない。栽培種であるがゆえに、土壌・施肥・防虫そして栽培の前提条件である日照と水はけの良さが最も大切である。

 ひと口に土壌といっても意味をなさない。土壌の成分・水分・養分の3つの「分」がキーポイントである。土壌のペーハー値も6前後がいい。アルカリ性が高すぎても適さず、スギナが生えるような酸性も適さない。ここで、庭木好きの園芸ファンならば紫陽花の色の七変化を連想するかも知れない。一説には、酸性土壌ならば青色系の色、アルカリ土壌ならば紫色系の色の花が咲くという。じゃあ「白い花の紫陽花はどうなってんの」との声が聞こえる。「すると、白い花のpH値は7だな」なんて思っちゃあイケマセン。ついでに言うと、紫陽花の花は「花」ではなく、アレは萼なんですね。花の色の変化=違いはアントシアニン系色素のデルフィジニンが土壌のアルミニウム・イオンと結合すると青い花になる。アルミニウム・イオンと結合しないと紫色(桃色)系になる。

 ワタクシは「化学的な知識」をさほど持ち合わせていないが、アントシアニン系色素による化学現象は染色の世界と似ていますね。紫草の染色には生地の媒染が不可欠ですが、媒染のpH値が変わると紫色の発色が一瞬のうちに変わりますね。稲藁を燃やしてつくった灰汁を紫根の染液に加えると途端に紫色の濃度が色濃くなるのも、どうやら化学物質同士の結合現象なのでしょう。「染色知識の習得は今年度からの課題といたします」とアナウンスが聞こえました。連載最終回のタイトルは「紫草 into the Future」なので、未来の課題といたします。

 

 ~紫草ガーデニングのAI管理は可能かを問う~

 

栽培種の紫草(上)もニオイスミレ(下)も開放花とともに閉鎖花も持ち、自家受粉する共通の遺伝子を持つ

 

 デジタル技術の波が急速に押し寄せている。1980年、米国の未来科学者アルビン・トフラーは名著『第三の波』を著した。第一の波は「農業革命」、第二の波は「産業革命」、そして第三の波は「情報革命」であり、この情報革命(脱産業社会)の進展によって地球環境の未来も含め、人類社会のシステムも暮らしのありかたも大きく変化していく、と予言したのである。それから38年経って、A・トフラーの予言が現実になってきた。彼の未来予測は世界各地における政治・経済・社会・テクノロジーに関するデータの解析をもとにしている点に「世界性」がある。

 たとえば、AI技術の急速な普及によって産業の垣根を越えはじめ、いまやIoTというカタチで暮らしの中に浸透している。コアとなる情報技術が「組む相手」を探して蠢いている。GoogleをはじめITのグローバル巨人が情報テクノロジーの裾野を拡大し、「情報家電」にとどまらず、EVやモビリティ分野にまで事業を多角化している。AI技術は航空機や列車の空いている座席を探して自動的に予約できる商用サービスにも及んでいる。人間の共通価値である時間の効率化を実現し、余剰時間をつくり、活動領域を広げてくれる。これらのことは、人智と人工知がミックスされる結果、個人の判断力や能力をこえて、最適ライフステージの新しい提案がなされるかも知れない。

 AI技術応用の試みは今後ますます広く、データ解析によってモノ&コトの運用面でのソフトウエア領域を拡大すると思われる。農業分野の栽培管理の情報化によって、消費者ニーズとの合致を予測し、市場メカニズムを活性化させているのは衆知のことである。ひょっとしたら、養殖クロマグロにセンサーを付けたり、超微細の医療カメラを餌に練り込んだりして、希少種クロマグロの生育状況や産卵予測や運動力向上や肉質の栄養価までもがAIでコントロールできる時代がやってくるかも知れない。このようなAI技術を紫草栽培に応用できないだろうか。紫草栽培染色のAIプラットフォームの形成は、紫草の未来の一つではあるまいか。気候変動や疫病を乗り越えて、絶滅危惧種紫草の生命の持続をはかることが生物多様性を守る本道である。

 支え棒の「介護」なしにスクッと自立できる性質に改良できないか。茎の丈が1尺ぐらいで、紫根の量を増やせないか。立ち枯れ病などに罹らない免疫力の向上はできないか。切れにくい丈夫な細根ができないか。シコニンの含有量を栽培中に測定できないか。バクテリア・ファージに打ち克つ防疫力を向上できないか。高温高湿に耐える遺伝子形成ができないか。花のサイズを大きく変えられないか。日陰にも強い性質にできないか。健康状態に応じた的確な水遣り量と施肥量が把握できないか。薬効成分の計測ができないか。花の色を紫色に変えられないか……などなど、栽培が比較的容易で手軽にできる紫草ガーデニングが可能な未来は訪れるのだろうか。このようなバイオ技術・AI管理栽培技術を応用した「品種改良」は人間の根強い願望なのか、それとも自然への冒瀆なのかをワタクシは知りたい。これらは夢でもなんでもない。ワタクシの純粋なニーズなのである。「ないものねだり」では決してない。

 以上のようなことは、すでにどこかの製薬会社の研究所で行っているかも知れない。それは企業のビジネスであるので当然であろう。けれども、ワタクシが思うのは1500年間生き延びてきた栽培種紫草を「野生種・自生種」に戻すことなど不可能だろうということである。古来、紫草は紫根染や皮膚軟膏を目的とした農業産品であり、栽培換金作物だった。でも、ワタクシの「幻の紫草」は日本のどこかの山中に自生しているかもしれないと想像するだけで十分であり、その一方で、紫草栽培の「園芸キット化」と服飾小物・アパレル素材小物のホビークラフト的な「手加工化」を願っているのである。

 現状では広い農地も資金もないわれわれの行く手は限られている。われわれはできることから始めるのみである。同時に、もっともっと多くの人びとに紫草の存在を知っていただき、身近な環境の中で、コンパクトに確実に育てられる具体的な「解決策」を導き出すのがミッションである。それでは、みなさまご機嫌よう。See you in the Future.
(了)

 

 

【筆者略歴】
蝋山 哲夫ろうやま・てつお

 1947(昭和22)年群馬県高崎市生まれ、池袋育ち。早稲田大学第一商学部卒業後、ディスプレイデザイン・商業空間設計施工会社を経て、株式会社電通入社。つくば科学万博、世界デザイン博、UNEP世界環境フォトコンテスト、愛知万博などの企業パビリオンをプロデュース。その他、企業・自治体のコーポレート・コミュニケーション、企業・団体の国内外イベントで企画・設計・映像・展示・運営業務に携わる。現在、西東京紫草友の会会長、地域文化プロデューサー、イベント業務管理士。西東京市中町在住。「古文書&紫草ライフ」が目下のテーマだが早期引退を模索中。

 

 

 

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