第12回 如意輪寺の鐘


絵筆探索_タイトル
大貫伸樹
ブックデザイナー

 


 

水彩画・如意輪寺の鐘©大貫伸樹 (禁無断転載 クリックで拡大)


 

 毎年、大晦日は、全国のお寺の除夜の鐘の音がテレビから流れてくるのを聞きながら、去りゆく年の早いことに嘆息し、新しい年に心新たにしていました。

 今から30数年前、旧保谷市に引っ越してきたときから、そんないつものテレビからの除夜の鐘に加えて、どこからともなく生の鐘の音が聞こえて来るようになりました。

 ほどなく、その鐘の音は、家から徒歩5分ほどのところにある如意輪寺の梵鐘の音であることが判明しました。6歳と4歳の息子を連れて剣道の稽古に通う道筋にあり、植え込みの間からいつも眺めることになったからです。

 そんな如意輪寺の鐘の音について「明治の頃、保谷の文学者住人によって伝えられている保谷八景といわれるものがある。その6番目に“如意輪寺曉鐘”があり、『何時の頃初めけん百八の煩悩を憧殺すとて、除夜の夜半過より曉にかけて鐘撞くことをこの寺もするなり。正月は冥土の旅の一里塚とは言え、併しながら新年は待たるるものぞかし、夜のほのぼのと白む頃、東天紅の一声に我も和せんとてか、〈ボーン〉との曉鐘戸隙を破りて耳朶に達する時の心よさ、何かたとえん。』と。保谷の四軒寺の中、如意輪寺の除夜の鐘について描写したものである。百八の煩悩とは四苦八苦といって、…4×9は36、8×9は72、合計108をいうのである。」(『多摩の歴史1』(武蔵野郷土史刊行会・雄峰書店、昭和51年)と記されているのを知り、ますますこの鐘の音が愛おしくなってきました。

 如意輪寺梵鐘についても「本堂に向て右にあり。楼は2間四面、鐘の径り2尺余。高さ3尺7.8寸、銘なし。安永7(1778)戊戌年9月9日、…と刻みたり。(『新編武蔵風土記稿』〈1804〜1829年〉より)」との記述を見つけたが、梵鐘には昭和30年11月20日奉鉦と刻印されているのを確認しました。太平洋戦争のときに古い梵鐘は供出してしまったのだろう。それでも、戦後、新しい梵鐘が造られ、約240年もの間、この地に変わらずに鐘の音を鳴り響かせていることに敬意を表し、今年こそは自らの手で除夜の鐘を打ち鳴らし、伝統ある鐘の音の歴史に私の一打も加えて、継承させたいと思っています。
(了)

 

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装幀書籍
【筆者略歴】
大貫伸樹(おおぬき・しんじゅ)
 1949年、茨城県生まれ。東京造形大学卒業。ブックデザイナー。主な装丁/『徳田秋声全集43巻』(菊池寛賞受賞)、三省堂三大辞典『俳句大辞典』『短歌大辞典』『現代詩大辞典』など。著書/『装丁探索』(ゲスナー賞受賞、造本装幀コンクール受賞)。日本出版学会会員、明治美術学会会員。1984年、子育て環境と新宿の事務所へのアクセスを考え旧保谷市に移住。

 

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