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第23回 わが家の防災対策点検


  富沢このみ(田無スマイル大学実行委員会代表)


 

 台風、地震、大雨と大きな災害があちこちで続けざまに起きている。ひと月前の台風24号では、西東京市でも、大きな木が倒れるなどの直接被害をこうむった。亡くなられた方、行方不明の方、長引く避難所生活を送られている方、後始末に途方に暮れている方……心が痛む。次々に災害が起こるので、ニュースでは、新しい災害が主に報道されるものの、1つ1つの被災地では、引き続き日常の暮らしを取り戻す苦労が続いているに違いない。

 

「まさか!」

 

 テレビで見ていると、災害に合われた方も、「まさか自分が…」と言っている方が多い。私も含め、災害を自分ごととして考えられないきらいがある。
 私の所属している任意団体が中学生向けに「避難所運営ゲーム(通称HUG)」を実施している。災害を自分ごととして考えてもらうゲームだ。このため、自分自身があまりにも防災に無頓着なのは問題があると思い、ここ数年、俄かに防災対策を行った。

 最初に、そもそもわが家は、耐震基準を満たしているのか心配になり、市の無料相談に出かけた。わが家は、昭和57(1982)年8月に建てたので、ギリギリ、新耐震基準(震度6~7)を満たしているとのことで、まずは、ほっと。しかし、大きなガラスを多用していることが心配になり、外に面した全てのガラスを衝撃ですぐに割れない(ヒビだけ入る)タイプに取り換えた。これ自体は、防犯ガラスとのことで、このシールは、わざと泥棒に見えるように貼ってあるのだという。もっとも暴風で尖った鉄板などが飛んできた場合には、無力かもしれない。内部の戸棚や扉のガラスには、「ガラス飛散防止フィルム」を自分で貼り付けた。

 

外側に面したガラスを防犯ガラスに取り換え

 

 築36年も経っていることから、外壁の塗り替え、屋根の吹き替え、雨戸の取り換えのついでに、ガラスを取り換え、高齢で電球の取り換えが大変なので、この際全てLED照明にしてもらった。居間には、厚さ4センチくらいの一枚板のテーブルがあるので、この下に潜り込めば、なんとか生き延びられるのではないかと思っているが、実際には、思いもかけないことが起こるのだろう。

 

防災グッズいろいろ

 

 「避難所運営ゲーム」では、「ブレーカーを落とし忘れたので家に戻りたい」という人が現れる。私は、当初この意味が分からなかった。逃げる時にブレーカーを落としてこないと、停電が復旧し通電した際に、火事になる可能性があるとのこと。そんなことも知らなかったのだが、分かっていたとしても、急いで逃げる際に、出口と反対の方向にあるブレーカーのところにまで行く自信がない。最近では、地震があると自動的にブレーカーが落ちるお宅もあるそうだが、「揺れがあると玉が落ちてブレーカーを落とす簡単なグッズ」があると聞き、早速取り付けた(写真左上)。

 

ブレーカーが自動で落ちるグッズとエネファームのコンセント

 

 また、わが家の食器棚は、取り付けなのだが、スライドドアのものと観音扉のものがあるため、後者については、市役所でもらった「扉ロック」を取り付けた。

 

観音扉に扉ロック、ガラスには飛散防止フィルム

 

 パソコンや大型テレビ、母の遺影などは、「耐震マット(プラスチックで粘着性の強いもの)」で固定してある。わが家の一番の問題は、本棚がボックスを組み合わせたものということだ。私なりに、ボックスとボックスを「金具」で止めたものの、これだけでは、おそらく弱いと思われる。さらに、読みもしない本が一杯入っているので、これがバラバラと落ちてくるに違いない。終活の意味も含め、早急に捨ててしまおうと思いつつ、全然捗っていない。もうひとつ懸念されるのは、部屋や階段に額が飾ってあることだ。寝る向きは、額と逆にしているので大丈夫と思うが、階段が危ないかもしれない。でも、外したら相当殺風景だ。

 

ボックスの本棚に金具

 

 「ヘルメット、軍手、LEDの懐中電灯、笛」は、用意してある。懐中電灯は、ベッドのすぐ傍に置いてあるが、ヘルメット、軍手、笛は、別の部屋に置いており、早急にベッドの傍に置き場を作らなければならない。ところで、この笛は、かなり優れものだ。先日、私の所属している自治会で、小金井公園の防災担当の方に講演をしてもらった折、参加者にくれたもの。ボールペン、懐中電灯、笛が一体化している。アマゾンで検索したら100円で売っている。笛は、家屋が倒壊して下敷きになっている時などに、吹くと見つけてもらいやすいという。

 

LEDライト、ヘルメット、軍手、笛付きボールペン

 

水と食料と薬

 

 水は、2Lのケース(6本)を必ず予備に置くようにしている。問題は、食料だ。レトルトカレーぐらいはあるが、非常食は、置いていない。冷蔵庫が使えなくなったら、食べるものに困るだろう。カップ麺とか、置いていたこともあるけれど、普段食べないため、すぐに賞味期限が切れてしまう。消費期限ではないから大丈夫とは言っても、食べる気がしない。非常食は、普段食べるもので入れ替えて行けばよいといわれるけれど、これがなかなか難しい。そうだお餅はある。冷凍庫にごはんを小分けしているので、これらが解凍されるのを見計らって食いつなぐことになるだろう。

 私は喘息持ちなので、現在沢山の薬を飲んでいる。1週間分くらい飲み残しがあるので、これでしばらく持たせられるだろう。避難するとなった場合、嵩張るので持って行くのは大変だ。いざとなった場合には、朝晩の吸入だけでも持ち出すことにしよう。

 

トイレ

 

 避難生活をするうえで、一番の問題は、トイレだと思う。このため、2ℓのペットボトルに水道水を入れてトイレ周りに置いている。防災の日の前後に使って、水を取り換えようと志したのだが、実際に使ってみると、2ℓでは、トイレが流れない。TOTOのHPによれば、8ℓくらいをバケツで一気に流すようにとしている。

 

トイレの周りに2Lの水の列

 

 しかし、最近の防災の常識では、下水道管が破損している場合があるので、水で流さない方が良いのだという。そこで、ダンボールで箱を作り、ビニールを敷いて、凝固剤で固める方法を用意した。写真の袋で50回分入っている。買い物の折にもらったビニール袋の大きいものを畳んで用意している。トイレットパーパーは、必ず予備に1セット余計に購入している。

 

トイレの代わりのダンボール箱と凝固剤

 

エネファーム

 

 東日本大震災の後、東電の電気を使うのは嫌だなぁと思っていた折、東京ガスがセールスに来たので、電気を変えた。しばらくしたら、東京ガスがエネファーム(都市ガスから取り出した水素と空気中の酸素を反応させて電気と熱を作る)にしないかと言ってきた。家族がいないので、自家発電によるコスト低減で初期投資を回収するのはムリのようだが、床暖房が魅力的だったのと、停電から4日間、最大500wの電力が使えるというのが気に入って導入することにした。先のブレーカーの写真の下にあるのが、停電の時に差し込むコンセントだ。

 

しっかりした土台の上のエネファーム

 実は、これで冷蔵庫が使える(食料備蓄しなくて済む!)と思ったのだが、この認識は甘かった。冷蔵庫は、1時間で300wくらい使ってしまうので、使えるのは、せいぜい灯りや携帯電話の充電程度のようだ。それも、コンセントをエネファームにつなぎ直さなければならないので、延長コードが必要だ。良く考えたら、わが家の照明は、全部壁についているので、コンセントにつながるスタンドが無いと灯りも使えないのだ。

 もちろん、ガスや水道が供給されなければエネファームは動かない。結構立派な土台を作ってあるが、地震の折、水素発電が爆発したりしないのだろうかと、内心、少々怖い。最近では、太陽光パネルと蓄電池を組み合わせた住宅が建てられており、こっちの方が良かったかなぁと思っている。

 

ブロック塀

 

 先日の大阪での事故を受け、自治会で道路から見える範囲でブロック塀の点検をしたところ、なんと普段全然気に留めていなかったのだが、結構ブロック塀が多い。わが家では、道路側は、鉄柵になっているので、逃げる人に迷惑をかけないと思うのだが、隣家との間は、ブロック塀で仕切られている。お互いの家には、結構樹木が生い茂っているので、塀が崩れても大丈夫だとは思うけれど、大きな地震だと、木ごと倒れる可能性もある。

 

隣家との間はブロック塀

 

避難経路と避難計画に疑問

 

 一口に災害といっても、地震、風水害、それに伴う火事など、いろいろあると思う。私は、南町5丁目、田無庁舎の近くに住んでいる。この辺りは、どちらかといえば高台で、これまで浸水の覚えはない。西東京市が平成15年に作成した浸水ハザードマップでみても、わが家のある下宿地区会館あたりは、問題ない色になっている。

 

 

浸水ハザードマップ(クリックで拡大)

地震の危険度で総合危険度(建物倒壊と火災の危険度)を示した地図でも、危険度2と相対的に低い。確かに古い住宅地なので、火災が起きると類焼は、避けにくいかもしれない。

 

 

総合危険度マップ(クリックで拡大)

 

 いずれにしても、わが家は、相対的に危険度の低い場所に位置している。ところが、市で決めている最初に避難する「ひなん広場」は、浸水マップでは濃い紫色の向台運動場であり、次に避難生活を送ることになるのは、わが家からみると反対側の向台小学校とされている。どちらに行くにしても、坂を下って石神井川を渡らなければならない。向台運動公園には、歩いて15分くらいかかり、向台小学校にも15分くらいかかるので、「ひなん広場」から避難施設にいくには、30分くらい坂道を上がり降りしながら歩くことになる。

 市の防災計画では、総合体育館や南町スポーツ・文化交流センター(きらっと)は、避難施設になっていない。せめて、向台運動場に一時避難した場合、総合体育館か都立田無高校を避難施設にしてもらえないものだろうか。田無高校も避難施設に指定されているのだが、都の持ち物なので、市の計画には、入れられていないようなのだ。そんなこともあって、右に行ったり左に戻ったりするくらいなら、出来るだけ自宅に居た方が安全なのではないかと思った次第だ。

 また、向台小学校の通学地域の人口は1万6000人、7000世帯だが、学校に避難できる人数は、1221人とされている。対象人口の8%に満たないのだ。もちろん、市内全域がひどい状況になるとは限らないから、相対的に被害の少ない避難施設にも回されるかもしれないが、いずれにしても、災害が起きたら、避難施設に入れると安易には思えない。

 まぁ、実際には、どんな状況が起こるかは、分からないけれど、ともかく自分なりに出来るだけ自宅で待機しようと、いろいろやってみたご報告だ。ボックスに置いた本、階段の額、備蓄食糧、ブロック塀と問題は、多い。ちなみに、私は71歳、戸建でのひとり暮らし。家族の居る方は、また違う対応になるだろう。私なりの対応をみて反面教師としてもらえればと思う。
(写真・画像はすべて筆者提供)

 

 

05FBこのみ【著者略歴】
 富沢このみ(とみさわ・このみ)
 1947年東京都北多摩郡田無町に生まれる。本名は「木實」。大手銀行で産業調査を手掛ける。1987年から2年間、通信自由化後の郵政省電気通信局(現総務省)で課長補佐。パソコン通信の普及に努める。2001年~2010年には、電気通信事業紛争処理委員会委員として通信事業の競争環境整備に携わる。
 2001年から道都大学経営学部教授(北海道)。文科省の知的クラスター創成事業「札幌ITカロッツエリア」に参画。5年で25億円が雲散霧消するのを目の当たりにする。
 2006年、母の介護で東京に戻り、法政大学地域研究センター客員教授に就任。大学院政策創造研究科で「地域イノベーション論」の兼任講師(2017年まで)。2012年より田無スマイル大学実行委員会代表。2016年より下宿自治会広報担当。
 主な著書は、『「新・職人」の時代』』(NTT出版)、『新しい時代の儲け方』(NTT出版)。『マルチメディア都市の戦略』(共著、東洋経済新報社)、『モノづくりと日本産業の未来』(共編、新評論)、『モバイルビジネス白書2002年』(編著、モバイルコンテンツフォーラム監修、翔泳社)など。

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