第5回 御門訴事件関連石碑-玉川上水と千川上水の遊歩道-狭山・境緑道-小金井公園


  萩原 恵子(屋敷林の会、下保谷の自然と文化を記録する会)


 

御門訴事件関連石碑(一部武蔵野市)

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 ここは上水に沿った遊歩道が多いが、そこに入る前に立ち寄ってほしいのがこの石碑。

 御門訴事件は1869(明治2)年に始まる。凶作で苦しむ農民に、当時の役所の品川県が社倉という備蓄米の供出を命令。反発した近隣12カ村の農民が日本橋の役所の門前に歎願に行くが、役人は不当に50人を逮捕、拷問・迫害を加えて、獄死や病死に追いやる。

 犠牲者には上保谷新田の人も多く、現武蔵野大学の南西の共同墓地に招魂塔、大学の南の道を武蔵野市へ向かって数分の左手に、事件を記録した倚錨碑(いそうひ)が建てられた

 

玉川上水と千川上水の遊歩道

 五日市街道の境橋付近に、玉川上水から千川上水に水を分水する堰がある。上水はどちらも遊歩道でたどれる。

 玉川上水(多摩川の羽村取水堰~四谷大木戸・43km)は江戸の飲料水として1653年開削、千川上水(境橋~江戸城城北部・約22m)はその43年後に分水され、1707年には農業用水としても使用許可に。

 1971年以後流れは途絶えていたが、1989年に都による清流復活事業で、昭島市の玉川上流水再生センターの処理水を利用して流れがよみがえった。

 現在水衛所跡の案内板が分水堰付近にあり、流れを覗くと大きなコイが泳いでいる。

 上水の堤は、江戸時代、飲料水を清潔に保つために山桜など(小金井桜)が植えられて名所に。現在の遊歩道も、車の往来が激しい街道とは対照的な緑の空間を保っている

 

  • 1 御門訴事件。共同墓地北側にある、犠牲者を悼む招魂塔

 

狭山・境緑道(西東京市新町~東大和市10.5km)

 現在の東京の飲料水の一部は、多摩湖から武蔵野市の境浄水場まで、地下に水道管を敷設して引いている。その上がこの緑道。サイクリングロードと遊歩道として整備され、入り口は五日市街道沿いにある。

 緑道には、中高木・彫刻・ベンチなどが点在し、目と心を和ませる。この緑道を歩き、小金井公園に北口から入るというのは、北側に位置する西東京市民ならでは

 

 

小金井公園(約80ha・一部西東京市)

 戦中、紀元2600年記念事業とされた小金井大緑地が前身で、1954年都立公園として開園。玉川上水の堤に植えられた小金井桜の伝統を受け継ぎ、以来桜の名所となるよう公園に植えられた桜は約50種、1700本あまり。春、桜の園では430本の桜が次々に咲き誇る。

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 野鳥や昆虫の生息できる雑木林をもつ。秋は落ち葉や木の実が園内あちこちに。

 スポーツ施設・子供の遊び場もある大規模総合公園、防災拠点でもある。

 北西にある「たてもの園」は、昔の建物を移築保存し映画のセットのよう。それを活用して、食事ができる実際のお店が入っていたりする。それは、かつて保谷で渋沢敬三や高橋文太郎が目指した野外展示物付き博物館を実現した姿のようだ。

 この園の西の端に、当時保谷の民族学博物館にあって、唯一残った野外展示物「奄美の高倉」があるが、西東京市の市民でどれくらいの人が知っているだろうか。

 

 

【筆者略歴】
 萩原恵子(はぎわら・けいこ)
 宮城県石巻市出身。校正者。屋敷林の会代表。下保谷の自然と文化を記録する会会員。かつて保谷に渋沢敬三や高橋文太郎がつくった日本初の民族学博物館の歴史を掘り起こし、広報活動を継続中。ブログ「西東京市・高橋家の屋敷林」その他。著書『タヌキの伝言』(けやき出版)。

 

【関連リンク】
御門訴事件(武蔵野市観光機構)
小金井公園(東京都公園協会)
・連載 西東京市の散歩道>>目次
・下保谷四丁目特別緑地保全地区(旧高橋家屋敷林) (西東京市Web

 

 

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