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第7回 武蔵国を歩く 調布篇その1


蝋山 哲夫西東京紫草友の会会長


 

 ~武蔵国の原風景、調布市野草園の紫草を見た~

 2017(平成29)年10月11日。西東京市中町から調布市野草園までは存外、時間がかった。バスを3回乗り換え、辿りついた先は思わぬ場所だった。以下の写真をご覧いただきたい。ほとんど東京とは思えない山と田畑とわずかな住宅が織りなす日本の「原風景」にいきなり出くわし、驚きとともに戸惑いの感情を隠しきれなかった。「稲架はさ掛け」を肉眼で見たのは、これが初めてだった。「TVで見たのと同じだなあ」と妙な感動を覚えながら、「エッー、こんな道でいいのかな」と一抹の不安を抱きつつ、山路をめざしたのであった。こうして、武蔵国調布篇の「道さがし」が始ったのです。うーむ、やたらと歩く一日となった。

 

この奥の山道を不安な面持ちで歩いて行った

稲架掛けの光景を見て感動する

 

 東伏見から吉祥寺までバスに乗り、南口の丸井の前から調布駅北口行のバスに乗り換えるまではよかった。だが、乗り継ぎの時間帯が噛み合わず、待つことしばし。おまけに、調布駅北口にあるはずの14番バス亭がどこにあるのか見えない。北口駅前広場はまさしく再開発中であった。折しも、衆議院選挙活動のしょっぱなの日で、候補者のラウドボイスが凄い。およそ反省の念がない自民ゼミが吼えていたっけ。

 交番で14番バスの停留所を尋ねた。「ほら、向こうにパルコのPの字が見えますね。パルコの建物前にバス停があります」。「ハイッわかりました」と返事をするものの、そのパルコまでグルッと迂回するので、ざっと100メートルの距離だった。バス停に着き、行先表示板の隅っこにミニバスの時刻表を発見。〈上の原循環〉あるいは〈深大寺住宅行〉に乗り「柏野小学校前」で下車する予定だった。行先の異なるバスが同じ停留所から発着することを知った。しかしである。バスの路線マップもない。2列の待ち客を誘導していた係員に尋ねた。「柏野小学校前」には停まりますか」「えッどこですか」「カシワノショウガッコウマエです」と発声練習のごとく伝えるワタクシ。そして、ともかく「赤〇印」の山道の暗がりを目指して進んだのである。

 昼なお暗き山路を歩き、ようやく「調布市野草園」のサインらしきものに遭遇した。だが「深大寺自然広場 野草園 ホタル園」と書いてある。「あれッえー、どうなってるんだ。調布市野草園って書いてないじゃないか。深大寺自然広場の中に調布市野草園があるという訳か」と、また(いぶか)しんだ。「行け行け、進め、戸惑っている場合じゃないぞおー。もう正午だ、急げ」とおのれを励ます。途中、道の脇の草地にススキの群落があった。一瞬、「幻の紫草」が脳裏をよぎった。ワタクシには紫草とススキを結びつけたがる習性があるのである。

 「おお、こんな場所に紫草の株を地植えしたらいいだろうなあ」。そんなことを思いながら、さらに進むとなにやら表示板が見えた。しかし、路面に並行しているので、文字がよく見えないのであった。

 このように実に廻りくどく、かつ不安気に「その場所」を探し求めること自体にげんなりするうちに、「あったッー」。ようやく目指す「調布市野草園」にたどり着いたのだった。なんと気を揉む日なんだろう。

 

名称を統一してもらいたいッ!

調布市野草園の入口。金網の色を変えなさいネ

こんな案内図じゃ、とても辿りつけない

 

 ここまでくどくどと、場所探しの「苦難」を書き記したけれど、みなさま、御免ごめんゴメンなさい。入口のフエンスの扉が開いていた。3メートル先の左側に「東屋(あずまや)風の受付カウンター」に80歳直前かと思われる係員が出迎えてくれた。もう昼をまわっている。いきなり尋ねた。「紫草を見に来たんですが、どこにありますか」。すると、カウンターから身を乗り出して「そこです」と、ワタクシの視野に入らない場所を指してくれるではないか。そこはワタクシの右足元だったが、カウンターの陰で見えなかったのである。でも、少し下がって足元を確認すると、何やらモジャモジャでヨレヨレの植物の間口45センチほどの木製の鉢植えがあった。「おお、これだッー、紫草だ」と心の中で叫ぶワタクシ。けれども快哉を叫ぶといった感じではない。調布市野草園の紫草は手入れがよくなく、正直いって、とても「お疲れのご様子の紫草」だったのである。

 

 ~嬉しかった、調布市野草園の良き人との出会い~

 「紫草のパンフレットはありますか」「いえ、ないんですよ」「ああ、ないんですか」。こんな会話を重ねるうちに、(すだれの垂れ下がった奥の「作業場」から、眼鏡越しに一瞬するどい光を発する50代と思しき作業着を着た男性職員が現われた。あとで分かったが、そのお方は「山花さん」というお名前だった。山花さんと一緒に紫草の鉢植えの前にしゃがんで、いくつか質問をした。「これは何年株ですか」「多分2、3年株だとおもいますが…」。しかしまあ、なんという虫食い状態なのだろうか。これまで視察した東京都薬用植物園(小平市)のようによれよれの虫食いだらけの葉を見て、愕然とした。とにかくひどい穴だらけで、葉の端が(ただ)れているのである。「害虫駆除はやっているんですか」と尋ねると、「あまりやっていないんですよ」と率直すぎる回答。しかし、よく見れば、茎や脇枝には健気な結実があるじゃないか! 虫食い状態は哀れさを誘うけど、それにもめげず、しっかりと()をつけている現()を直視して、あらためて紫草の「健気な野性のチカラ」に逞しさを感じたのだった。拡大写真を見つめてほしい。白い種が並んでいるのが見えるでしょ。
 
 ワタクシの質問癖が首をもたげた。「ところで、紫草の地植えはやっていないんですか」。山花さんが答えた。「以前はやってたんですが、枯れました」。その後、時期は不明だけれども、譲り受けた種を蒔いて育てたそうである。やっぱり、栽培種の種でもちゃんと育つんだ、やればできるんだ、という思いを強くした。われわれも健全な1年株の採種をして、2年株へと丈夫に育てようと決意を新たにしたのだった。

 

受付カウンター右横下の紫草プランター

おお、レミゼラブル!まさしく満身創痍の紫草だが、健気に実を連ねているのがお判かりですね

 

 そこで、思い切って図々しくも山花さんに尋ねた。「あのう、この種を10粒ほど譲っていただけませんか」。「いやあ、それはわたしの立場では何ともご返事できません」と、市の業務に携わる人としての「全き意思」を感じさせてくれた山花さんの表情が軟らかくなってきた。そして、「この紫草はどこ産ですか」という定番質問をしてみたところ、「それはわかりませんが、神代植物園のそばの浅田さんという方が紫草の鉢を持って来てくれたように聞いています」との回答だった。その浅田さんはもう二代目になっていますが、たしか、神代植物園の近所でいまでも花屋をやっていると思いますよ」といった耳寄り情報をくださった。一瞬、その花屋さんを訪ねてみようかと思ったが、結論をいうと、時間的に無理なので断念した次第である。

 山花さんに御礼を述べて、ワタクシの名刺を差し上げ、一旦別れて、野草園を一巡することにした。園内は野趣に富んだ地形を活かして設計したことが手にとるようにわかった。なんと清い小川が野草園のまん中に流れていた。迫りくる山間部ぎりぎりまでを巧みにゾーニングし、高低差を登り下りする小道のある野草園だった。観覧順路が判りにくかったものの、風景が変わる楽しい自由散策路となっており、花が咲き誇る野草との出会いが素敵である。おそらくGW前後の季節に訪れたら、美しい野草園だろうな、と感慨に浸った。

 

 

 

 園内の一巡後、再び受付に戻った。受付の対面といめんの掲示板に貼ってあった、すっかり退色したパンフレットを撮影していると、そこへ山花さんが再び現れた。彼は、受付で「ないんですよ」と言われたはずの、調布市野草園のパンフレットをくださった。レタリング文字で『幻の花 ムラサキ』と題するB4判三つ折りのフルカラーの印刷物だった。題名の下に英文のキャッチコピーがあった。

 The Precious and Rare Flower ― Murasaki

 直訳すれば「貴重で希少な紫草」という意味だ。裏面を見た。発行日/平成2年6月20日 編集/企画調整部広報課・環境部公園環境課 発行/東京都調布市。その下部に「ムラサキ」出展にご協力をいただいた方が記されている。その中に、「浅田耕一(野草研究家)」とある。山花さんとの会話を通じて、「浅田さんのご子息が神代植物園のそばで花屋さんをやっているはずです」「じゃあ、神代植物園に行って花屋さんのこと聞いてみよう」と、その時は思った。

 「ここは地形がいいですね、あの小川は自然の流れなんですか」「いや、ポンプで地下水を汲み上げて流してるんです。もともとはここら辺には小川が流れていたんです」と、山花さん。「周囲を山で囲まれていますが、この山は何というんですか」というワタクシに対して、山花さんが詳しく教えてくださった。「この山はカニヤマというんです」「えッ、カニヤマ、どんな字を書くんですか」「(かに)です、横に歩く蟹ですよ。ここら辺は沢蟹が結構たくさんいて、下流には藻屑(もくず)蟹もいます」。なーるほど。そういえば、西武池袋線の横手(よこて)の小川にも青い色の沢蟹がいっぱいいたっけ、と納得したのである。

 山花さんとの会話はさらに続いた。「途中、ジュウニヒトエ(十二単)だけがネットに囲まれていましたが、あれは何のためですか。鳥除けですか」「いやあ違うんです。猫が来て、土を荒らしたり糞をしたりして、野草をダメにするからです。周りには野良猫もいて、住みついているのもいます」とのご回答。「ここら辺は周囲を山に囲まれていて、盆地なんです、だから夏場は暑いですよ」。ドローンのカメラであたりを俯瞰できるといいな、と思った。最後に「これを見てください。ウマノスズクサです。麝香(じゃこう)アゲハの食草となり、ここで孵化して飛び立っていくんです」。このウマノスズクサを見学するために植物の専門家が訪れてくるそうである。ウマノスズクサを見た途端、西東京いこいの森公園でもこの野草を大事に育てていることを思い出し、親近感をもって観察したのだった。

 

右の丸鉢の植物が「ウマノスズクサ」

 

 神代植物園への近道を訪ねたところ、山花さんは野草園の端っこまで案内してくださった。篤実で丁寧なお人柄だった。金網の出口の真上には高速道路の巨大な腹が覆いかぶさっていた。カタクリの名勝地をちらり見てから、「多分、あの人の跡について行けば神代植物園に着くと思いますよ」とおっしゃる山花さんに再会の約束して、ワタクシは山の坂道を登って行ったのである。山花さんに守られてあの紫草は幸せだろう。〈了〉

 

 

【筆者略歴】
蝋山 哲夫ろうやま・てつお

 1947(昭和22)年群馬県高崎市生まれ、池袋育ち。早稲田大学第一商学部卒業後、ディスプレイデザイン・商業空間設計施工会社を経て、株式会社電通入社。つくば科学万博、世界デザイン博、UNEP世界環境フォトコンテスト、愛知万博などの企業パビリオンをプロデュース。その他、企業・自治体のコーポレート・コミュニケーション、企業・団体の国内外イベントで企画・設計・映像・展示・運営業務に携わる。現在、西東京紫草友の会会長、地域文化プロデューサー、イベント業務管理士。西東京市中町在住。「古文書&紫草ライフ」が目下のテーマだが早期引退を模索中。

 

 

 

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