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第4回 文理台公園-碧山森緑地保全地域-武蔵関公園


  萩原 恵子(屋敷林の会、下保谷の自然と文化を記録する会)


 

文理台公園(1.667ha)

散歩地図

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 意外に古い歴史のある公園。この地は1915(大正4)年の武蔵野鉄道(現西武池袋線)創設に関わった高橋源蔵家のものだった。沿線の開発と発展のため、東町に安い借地料で文化人を誘致したとき、資生堂が社員のための野球場を造ったのが成り立ち。

 源蔵のひ孫の文太郎は、その南東の土地を寄付する形で、1937(昭和12)年渋沢敬三たちと日本で初めての民族学博物館を開設。

 同年、野球場は東京文理科大学・東京師範学校(現筑波大)付属農場と陸上競技のできる運動場になる。運動場には当時の有名アスリート、「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳や金原勇なども練習に来ていた。ここで練習して、世界に伍する記録を出した。

 1984(昭和59)年、国・都・市の三分割で買い上げて文理台公園開設。公園部分は、北側に遊戯広場と下水処理施設があり、南側に池とソメイヨシノの林がある。西側にはシダレザクラなどが一列に並んでいて、毎年春には多くの人が花を楽しむ。

 合併前は、ここが保谷市の祭りのメイン会場だった。施設が単純で、四角い敷地に真ん中が平面的にがらんと空いているのは、運動場だった名残だろう。

 ここで行われる行事で年々人が集まり盛大になっているのは、8月第一土・日曜日に保谷駅南口の商店会が行う納涼盆踊りと花火大会。市内で花火を打ち上げる祭りはここだけとかで、身動きできないほど人が出る。

 この公園の通りはクスノキの並木。木肌も葉の茂り具合も涼しげな緑陰の道になるのだが、道路側が一部強剪定され残念。

 

  • 1.文理台公園4月。公園入り口で、通り側が強剪定されているオオヤマザクラ。残念

 

 

碧山森緑地保全地域(1.298ha)

 文理台公園から南へクスノキの並木を通って進むと、果樹の相田園が左手に現れる。この畑の通りに面した生垣は各種のツバキやサザンカで構成されていて、長く楽しめる。

 この東側奥に、みどりが丘保谷幼稚園のこんもりした森が見える。その森と碧山森が、鳥や昆虫たちの活動の場として、畑や果樹のグリーンベルトでつながっている。

 通りの西側に広がる畑の奥が碧山森緑地保全地域。農家の薪炭のための雑木林だったので、コナラやクヌギが多い。

 林の中を車も通れる道が東西に1本通っているが、ここでは人間より鳥が大きな顔をして林の中を闊歩している。冬はいつもキジバト、ムクドリ、ツグミがあちこちで落ち葉を突いている。今のところ畑が保全地域内にもあるので、農作業する人にくっつくように近くにとどまるジョウビタキ、モズが見られる。アオゲラ・コゲラも常連。

 鳥の観察やドングリと遊ぶ所と考えればここは最高だが、森の周りがぐるりと住宅に囲まれているので、見通しの悪いのが欠点。

 

 

武蔵関公園

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武蔵関公園(4.896ha)【練馬区】

 ここは練馬区で西東京市内ではない。しかし東伏見の下野谷遺跡と連続する縄文時代の富士見池遺跡群がある。石神井川の流れもひょうたん形の池と直結している。早稲田の運動場と道一つ隔てただけなので、自分の町の一部と思って楽しまなければ損。池の周りの樹木の種類も多いし、水鳥も各種見られる。

 カワセミが営巣していて、レンズを向けている人たちがいつも何人かいる。その巣のある「あしの島」のラクウショウの木の上には、オオタカの巣がある。都市部でこの2種が、それも同じ池の小さな島に生息するのは極めてまれなこと。もし見られたら、最高に幸運。

 実のなる樹木も多いので、落ちる季節を覚えておいて拾うというのも贅沢。樹名板がきっちり付いているのがいい。ここは自然の贅沢を味わえる、都会のオアシス。
 ボート場の営業は3月15日~11月30日。

 

【筆者略歴】
 萩原恵子(はぎわら・けいこ)
 宮城県石巻市出身。校正者。屋敷林の会代表。下保谷の自然と文化を記録する会会員。かつて保谷に渋沢敬三や高橋文太郎がつくった日本初の民族学博物館の歴史を掘り起こし、広報活動を継続中。ブログ「西東京市・高橋家の屋敷林」その他。著書『タヌキの伝言』(けやき出版)。

 

 

 

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