~紫草✕エコ ⇒江戸期の自然農法・エコロジーとエコノミーの共存~

 冒頭の絵は19世紀の農学者大蔵永常の著書『広益国産考』三の巻における紫草栽培の挿絵を切り取ったものである。春に紫草の種を播き、夏に肥料を与え、秋に種と紫根を収穫することが伝わってくる。左側の「秋」の絵を見ると、掘りあげた紫草のさばき具合がよくわかる。この挿絵の3つの書き入れを翻刻すると、①「折りわけたるじくむしろに入れて種を叩き落とす図」(上段左の棒を持つ男)、②「根を筵に入れて干す図」(中段の縞模様の上着の男)、③「紫草の根と茎とを折りわけている図」(下段の夫婦)となる。これらの挿絵によって、往時の農民の分業による共同作業の手順を知ることができる。しかし、作業の流れと絵の配置が一致しないのがやや気にかかる。

 ~紫草栽培の試験場、エコキヤンプ~

 1年はあっという間に過ぎる。11月半ば、いつものように街中のホウキグサが赤く色づきはじめた。人と紫草のライフサイクルも終盤にさしかかると決まって期待と不安が入り混じる。1年間の紫草栽培の仕上げの時期を迎えるからである。

藍染、空気に触れると青に変わる瞬間芸術~  Indigo Dyeing makes life more Exciting !

 セミの大合唱が最終楽章となる頃、9月5日(日)、9名の老熟年男女(1名を除き元気な老齢男女)が西東京市柳沢公民館の工作室に集まった。午前9時スタート。12時までの濃密な3時間を楽しく過ごした。名付けて『 Enjoy! ひと足お先に藍染体験塾』を開催した。冒頭の写真は実は「洗濯物」を干している情景。染めたての藍染の木綿ハンカチを水洗いし、脱水後にハンガーに吊るして自然乾燥させているシーンなのである。 (写真は「青のカンバス」。2021年9月写真制作、サイズ≠縦2m×横3.5m。自然界の魔術、インディゴの奇跡)

~生態系の循環、多様な植生は人がつなぐ~

 近隣の人びとはこの森を「碧山森(へきざんもり)」と呼んでいる。親しみを込めて「おやま」と呼ぶ古老もいる。ここはいわゆる「公園」ではない。ベンチも遊具もトイレもない。何もないけど自然がある。これが素晴らしい。

 ~6・7月、新川暗渠緑道に梅雨到来の第2メッセンジャー~

 四方を海に囲まれた温暖湿潤の日本列島。毎年、梅雨の訪れを告げるお馴染みの「草」がある。でも紫陽花を思い浮かべる人が多いだろう。だがアジサイは落葉低木であって草ではない。冒頭の写真はハンゲショウである。漢字で「半夏生」、またの名を「半化粧」と書く。そのほか「片白草」(カタシログサ)とも書く。この名称がこの植物の特徴と不思議さを一番よく示している。(写真:「あれッ、あの紙吹雪は何だろう」。10m先に突然現れたこの群落。その白い正体はまるで魔術師だ。)

 ~「2核2モール方式」、エコキヤンプの旅立ち~

 西東京紫草友の会は、2021(令和3)年4月にエコプラザ西東京の一郭に活動拠点を移した。この拠点は西東京市と5年契約を交わし、名称を「エコプラザ西東京むらさき協働キヤンプ」(略称:エコキヤンプ)と呼んでいる。実際には前年の2020年2月に紫草の種播きをしたので、今季2年目を迎えた。(写真は、2年目を迎えた紫草エコキヤンプ全景/ミニハウス1号棟(右)と2号棟(左)=2021年5月29日現在)

 ~さらば谷戸育成場、されど紫草は死なず~

 2017年2月、わたしたちは西東京紫草友の会を発足させ、谷戸公民館の前庭裏手に育成場を設け、絶滅危惧種・紫草栽培をスタートした。栽培を始めてから生育環境があまり恵まれていないことに気づいた。隣接する高層の都営住宅が朝日を遮った。好天の時は頭上から日が射したけれど、午後には西日があたる立地だった。高層ビルと生垣に囲われた谷底のような育成場で4年間、「間借り」なりにも仲間とがんばった。気候不順も影響し、紫草栽培の目標である紫根は太く育たず、背丈も伸びず、ひょろひょろの痩せた姿だった。それでも毎年、愛くるしい発芽を迎えると一同よろこびの声を上げ、数か月後、純白の花が咲くと心が和んだ。(写真は、谷戸公民館前で陽射を浴びるムラサキ)