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「紫草・エコ・キヤンプ・残日録」第1回 有為転変の真っ只中へ

投稿者: カテゴリー: 環境・災害連載・特集・企画 オン 2021年5月20日

 ~さらば谷戸育成場、されど紫草は死なず~

 2017年2月、わたしたちは西東京紫草友の会を発足させ、谷戸公民館の前庭裏手に育成場を設け、絶滅危惧種・紫草栽培をスタートした。栽培を始めてから生育環境があまり恵まれていないことに気づいた。隣接する高層の都営住宅が朝日を遮った。好天の時は頭上から日が射したけれど、午後には西日があたる立地だった。高層ビルと生垣に囲われた谷底のような育成場で4年間、「間借り」なりにも仲間とがんばった。気候不順も影響し、紫草栽培の目標である紫根は太く育たず、背丈も伸びず、ひょろひょろの痩せた姿だった。それでも毎年、愛くるしい発芽を迎えると一同よろこびの声を上げ、数か月後、純白の花が咲くと心が和んだ。(写真は、谷戸公民館前で陽射を浴びるムラサキ)

 

紫草

育成場のひょろひょろのムラサキ

 

 生育の途中で突然横死(黄変して枯れる萎凋病など)した株が現われた。まだ植物学的知識・経験不足のために紫草を数多く死なせた。鉢植えの数こそ揃ったものの、その生育ぶりはお世辞にも褒められるものではなかった。時折、他の団体の栽培視察や紫根染体験会に参加した年もあった。我々の会の遣り方は根本的にどこか間違っているのだろうか。絶滅危惧種の保護育成はまだしも、生物多様性維持や生態系の循環という大きな概念とはかけ離れているようにおもう日々がずるずると続いたのである。それは、中途半端な自己満足と解決できない課題の山を前にして地団太を踏む思いだった。なんとかしたい。課題解決の光がほしい……。このような中、「ある事件」が起こった。それが谷戸育成場を離れる真因の一つであるのは確実である。しかし谷戸公民館の当時の館長のご厚意によって無償で場所をお借りしたこともあり、余所に移転する旨を告げるのが憚られた。それから1年経って拠点を移したのだった。

 

 ~虫との遭遇、意外な展開~

 現在のエコプラザ西東京の敷地の一郭への移転を早めた真因は二つある。その一つはチャドクガ(茶毒蛾)の突然の発生であり、もう一つは積年の悩ましき害虫ヨトウムシの存在である。二つとも虫の幼虫なのだから、これらは今後とも要注意なのだ。特にヨトウムシは昼間は葉の裏で動き、夜間は土中に潜って隠れるタチの悪い忍者なのだから、見つけしだい直ちに殺生すべし。ためらえば栽培者として失格である。これに対してチャドクガとなると先ず「何だこりゃあッ」と叫び、全身鳥肌が立つ。身の毛がよだつ瞬間、気の弱い人ならすぐに逃げ出すであろう。

 

 紫草の食害の代表的な大敵はキスジノミハムシだといわれている。しかし栽培に携わってこの方、この害虫を見たことがない。紫草の関連書で写真を見ただけなので、関東地方にほんとうにいるか否かはわからない。名前に「ノミ」がついているので、跳躍力のある昆虫なのだろうとおもう。ダイコンやハクサイなどアブラナ科の野菜栽培の大敵である、とネット検索情報が教えてくれる。すると西東京市の農地にも生息しているかも知れない。いくら都市と自然の環境共生をアタマで理解しても、カラダとココロが「こんなのヤダッー」と反応する。

 

ヨトウムシ

ムラサキの若葉を喰う忍者ヨトウムシ

チャドクガ

人を恐怖に陥れるチャドクガの群れ

 

 このような虫たちを敵と見るか、仲間と見るかは作物を育てる人間の立場の価値観に基づく。我々の育てているムラサキ(註:植物学名の正式表記は片仮名)は実は栽培種の子孫。おそらく7世紀頃には統治者の農地で大量生産された染料植物であり、朝廷に貢納された歴史文化的背景を知ることが大切だとおもう。しかも朝廷や武家政権の独占的な囲い込みによる大量生産が行われ、江戸時代の農地開拓でもムラサキは換金農作物として奨励された。しかし、である。現代にいたるまで連綿と生き抜いてきた絶滅危惧種・紫草も、自然界の生き物たちと無縁だったはずがない。風土への適合はもとより、種播きも、生育も、害虫・益虫の発生も、施肥も、その季節のタイミングを知っていたからこそ紫草栽培を続けることができた。紫根染は明治以降、化学染料に取って代わったけれども、先人たちの知恵と技術はその地域文化として伝承されてきた。

 

 万物照応の摂理を知り、有為転変の自然界の掟の示すところを実地で知ることが基本中の基本であろう。紫草だけを特別視してはならない。地上の生き物との相関関係の中で、紫草固有の生命循環をイメージングすることが何よりも大事。紫草は植物であり、草叢の中で周囲の植物と共生しながら同時に激しいバトルを繰り返してきた。だから生存環境の変化に応じて、常に適応できるよう自己変革してきた。これを進化と呼ぶが、人間も例外ではない。持続的に生存するためには、いち早く環境変化を察知し、意識改革を通じて自分自身を変えること。これが適者生存への道であろう。

 

 連載第2回はメインテーマを「紫草の新天地、東部開拓へ」と題し、エコキヤンプの最新の姿をご紹介しますよおー。ではごきげんよう、再見。

 

蝋山哲夫
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