想像上の世界旅行へ by  山川 恒平

 

 読書嫌いの少年だった。作文も好きなはずがない。その二つを足し算すると、答えは読書感想文といったところだろうか。夏休みに出されるこの宿題が大嫌いだった。1960~70年代の田舎の少年としては、ごく普通ではないだろうか。そんな私が、小学生のころから手元に置いているのが地図帳である。理由やきっかけは思いつかない。学校の教科書とは縁が薄かったが、社会科の教材だった地図帳は私にとって、鉄道少年の時刻表のようなものだったのだろう。

1.知らない間に巻き込まれる戦争

 

 ウクライナの情報に触れ、「戦争」が遠い昔の事ではなく、いつ自分の身に起こることかもしれないと感じ、鳥肌が立つ思いだ。

 子どもの頃、母親に「どうして戦争に反対しなかったの?」と素直に聞いたことがある。戦後生まれの自分にとって、学校のホームルームなどで意見を述べることは特別なことではなく、戦争が嫌なことなら、何故反対しなかったのか不思議だったのだ。

親子の土台を育む by 道下良司

 なかなかご飯を食べてくれない。仕上げの歯磨きをさせてくれない。そんな悩みを感じながら小さな子を育てる親は多い。本書は、子育ての悩みに対し、万人にあてはまる「正解」はないと言い切る。観察力を磨くことで親子関係を育み、自分の子にとってベストな接し方をみつけることが大切だと教える。

100winds_banner01 第30回

師岡武男(評論家)

 

基本的な仕組み

1:経済とはモノ(財・サービスの実物)を生産して利用する活動であり、人類発生以来の営みである。 2:モノの生産にも利用にもカネ(貨幣)が必要であり、金融経済の制度の役割は大きい。 3:カネは国(政府、日銀)が発行して供給(貸付と給付)する法定貨幣が基本となる。 4:カネは必要なだけ供給できるが、モノには供給力の限度がある。 5:豊かで安心・安全な福祉経済実現のために、これらの基本的仕組みを有効に活用して供給・需要の量的・質的な向上(成長)を図ることが必要。当然ながら完全雇用。

 桜の季節は終わったと早合点してはいけない。種類の多いサクラだけに、遅咲きの品種が西東京市内でも咲いている。ひばりが丘団地の東側に、淡い黄緑色の花びらが特徴のサトザクラ「鬱金」(ウコン)がいま満開だ。(写真は団地に咲く鬱金。4月13日午後撮影)

 目の雨に広がる色鮮やかな花々に圧倒された。国営昭和記念公園(立川市・昭島市)のチューリップが見ごろを迎えている。小平市から五日市街道を車で約40分。園内のレンタサイクルで緑の中を走って、公園中央にある渓流広場の「チューリップ・ガーデン」へ。242品種22万球という花々が池を囲むゆるやかな斜面に咲き誇っていた。(写真は、見ごろを迎えるチューリップ。4月13日午後0時45分)

「古いもの」好きに導いてくれた by 中村晋也

 ぼくは西東京市の西武柳沢駅の近くで駄菓子屋を営んでいる。若い時から古いものが好きで、なにか商売を始めるときに駄菓子屋を選んだこともその流れからである。そんな、僕の古いもの好き・昭和への憧れを形成したのが、藤子不二雄によって描かれた「まんが道」である。(写真は、何度も読み返してボロボロになった『愛蔵版 まんが道』)

 トピックス的なことから始めたい。  2月のはじめ、来年春の NHK連続テレビ小説の発表があった。神木隆之介主演で「日本の植物学者の父」と呼ばれる牧野富太郎博士をモデルにした『らんまん』に決まったという。  この牧野博士、大泉学園に縁が深い。氏が1957(昭和32)年、満94歳で没するまで研究生活を送ったのが、大泉学園駅からほど近い場所だったのである。現在その地は「練馬区立牧野記念庭園」となっている。練馬区は張り切って区報の「号外」まで出した。その模様を2月17日の東京新聞が「地元沸く」と報じている(写真)。

すみっこに置かれてきた被害者 by 時田良枝

 本を読むことは、自分にとってダイスキなことのひとつです。ご飯でもありオヤツでもあるような存在です。その中から一冊、というのは、なかなかの難題でしたので、去年読んだ本から、印象に残っている一冊を紹介したいと思います。(写真は、『ホロコースト最年少生存者たち』口絵)


  富沢このみ(田無スマイル大学実行委員会代表)


 

 コロナ禍も足掛け3年に渡り、少々ウンザリしている。報道では、度重なる緊急事態宣言で飲食店が苦しんでいるニュースが流れ、さまざまな経済活動に支障が生じている。医療現場の奮闘、生活困窮者の増大といった厳しい状況は、確かにある。しかし、この間、成長した業種もあるし、次につながるような新しい変化も生まれている。戦争、大震災、パンデミック…こうしたショックを糧にして、生き延びる。これが人類なのではないだろうか。

杉山尚次(編集者)

 前回に続き、国木田独歩の「武蔵野の発見」に関する議論をみていきたい。そうすることによって、近隣の見え方が変わってくるのではないか、そのヒントがあるのでないか、という期待をこめて考えたいと思う。今回、ちょっと理屈っぽいです。(写真は、冬枯れの武蔵野 西東京市の旧東大農場にて)

子どものおかげで読んだ本 by 白井真純

 「人の子はかわいい。でも親になったら本が読めない」  アメリカの詩人エミリー・ディキンスンが主人公の海外ドラマ「ディキンスン」を見ていたら、そんなセリフがあった。私は3児の親であるが、もし3人がいなかったら、どれだけの本が読めただろう。親にならなかった自分は親になった自分より量は読めたかもしれない。しかし、3人がいるおかげで読むことになった本もあるし、今では一緒に絵本を読んだり、図書館へ出かけたりという経験もさせてもらっている。エミリーと話す機会があったらそんなことを話してみたい。(写真は、子どもの噛み跡でぼろぼろになった『MELODY』)

100winds_banner01 第29回

師岡武男 (評論家)

 

30年前と同じ課題

 日本経済にはかつて「生活大国5か年計画」というものがあった。それを振り返ってみると、今や日本は大国どころか「生活小国」になってしまった、と思わざるを得ない。

 晩冬の小金井公園を歩くと、冬枯れの木々と落ち葉のなか、ひときわ鮮やかな黄色が目を引いた。満開のソシンロウバイ(素心蝋梅)だ。(写真は、満開のソシンロウバイ。1月27日午前10時半)

杉山尚次(編集者)

 国木田独歩の『武蔵野』は武蔵野を描いたもっとも有名な書物である、といって異論はでてこないだろう。あまりに典型なので、これまで触れてこなかったのだが、ここらで真打にご登場いただくことにする。  写真は、筆者が所有する1967年改訂版の新潮文庫『武蔵野』。晩秋の雑木林と農家。ここに描かれている風景は「これぞ武蔵野」といえるもので、このイメージは「武蔵野の面影を残した」というフレーズとともに、いまも紋切り型として生きている。