碧山森

「紫草・エコ・キヤンプ・残日録」第4回 循環、紫草と人のライフサイクル

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年8月19日

~生態系の循環、多様な植生は人がつなぐ~

 近隣の人びとはこの森を「碧山森(へきざんもり)」と呼んでいる。親しみを込めて「おやま」と呼ぶ古老もいる。ここはいわゆる「公園」ではない。ベンチも遊具もトイレもない。何もないけど自然がある。これが素晴らしい。

 

 朝夕の光景は美しく、心が洗われるおもいがする。はじめて碧山森を訪れた人は「ああこんな所が残っている」と感じるであろう。昭和・大正を知る人は「国木田独歩の『武蔵野』の雑木林はこれなのか」と連想するかもしれない。正式名称は「碧山森緑地保全地域」。平成5年3月に東京都の緑地保全地域に指定され、東京都環境局が管理している武蔵野の景観をおもわせる場所である。総面積は12,981㎡、約3,927坪。碧山森の生態系が長いスパンで循環している様子が見えるのが最大の特徴である。

 

 地元の老若男女にこよなく愛され親しまれているこの森の樹木相を見ると、コナラ、クヌギ、エゴノキ、イヌシデなどの中高木の落葉広葉樹が圧倒的に多い。このような樹々に混じって常緑のカシや大輪のツバキがあったり、何故かたった1本だけヒノキもあったりする。自然の生態系の変遷を観察できる緑豊かな混生ゾーンなのである。関東のセミの種類もひと通り揃っている。ニイニイゼミ、アブラゼミ。ミンミンゼミ、ヒグラシの合唱にはじまり、ツクツクボウシが加わってやがて夏のオ・ワ・リを迎える。盛夏にはカブトムシやクワガタも樹液に群がるので、夏休みの子供たちに大人気の昆虫(甲虫)をお目当てに、朝5時から日没まで碧山森は大賑わいである。

 

 寸暇を惜しむような蟬しぐれのシャワーに打たれながらふとおもう。武蔵野の面影が漂う碧山森はかつての武蔵野の雑木林だったのは間違いないが、江戸時代に遡れば、武州農民の入会地(いりあいち)だったようにおもわれる。西東京市に数カ所残っている屋敷林とは異なり、碧山森はただ純粋に入会地だけが残った結果なのであろう。郷土の成り立ちを知らぬのを恥じるけれど、現在でも碧山森の隣地で畑作を続ける農地がある。老犬〈花〉の散歩の道すがら、顔見知りの老農夫たる大地主から碧山森のルーツとその後の変遷の聞き取りをしたいものだ。

 

~朝の光が射しこみ、森の一日がはじまる~

 

雑木林

碧山森の朝の光が射しこむ。林床(土壌)改良と次世代の植生を育てるため「木柵」で囲っている

 

 昨年、2020年のとある日のこと。チェーンソーが唸り声をあげた。鬱蒼と茂る碧山森の「木立の屋根」にポッカリ穴が穿たれた。美しい青空が見えた。日が射しこみ、あたり一帯が明るくなった。東京都が突如樹齢100年近い老木や虫喰いの高木を伐採したのである。同時に樹肌に群がって泣き続けるセミたちや小さな生きものの運命が目に浮かんだ。

 

 さらに今年の8月20日から1ヶ月かけて、人家に接する5mの範囲内の森の木々を伐採する計画の告知ビラが貼られた。その理由は「倒壊する樹木から近接住宅と生命財産を守り、あわせて伐採による日射し効果によって陽射を好む植物も生え、結果的に生物多様性の維持がはかられる」という主旨だった。鬱蒼とした森には藪蚊がぶんぶん飛んでいるし、今夏にはスズメバチが多く発生するなど、森の文化は人にとってのデメリットもあることは承知している。ビラ告知の直前に東京都は協議を行った。碧山森の維持管理に協力するボランティア団体の西東京木の子会も招かれたが、東京都環境局の説明は一方的な通達だった、と木の子会会員が嘆いていた。

 

 実際問題、碧山森の樹々は体長わずか5㎜の甲虫・カシノナガキクイムシ(樫の長木喰い虫)の被害を受けて、老木だけでなく年輪の浅い中高木まで伐採してきた。通称「カシノナガ」による虫被害の痕跡は見ればすぐそれとわかる。被害樹木の根元に「おが屑」が降り積もっている様子が見て取れるからである。カシノナガキクイムシの被害告知もスズメバチ発生警報ビラも木の子会の皆さんが協力して作成したものだ。この告知によって、碧山森にカブトムシ採集で遊びに来る父子連れ、母子連れもスズメバチに注意を払うようになったとおもわれる。

 

~人の知恵と協力が循環を支える~

 

案内板

「碧山森緑地保全地域」の案内板 街なかの森なので、さすがに「炭焼き」と「榾木(ほだぎ)」は現在ない

 

 上記の案内板に「もやわけ」という聞きなれない用語がある。これは「間引き」のことを指す。植物や作物にこの間引きは必然的である。年柄年中、間引きの一種である剪定を行う盆栽は別として、森や雑木林の樹木にも盛衰があり、発芽から成長過程における間引きは避けられない。伐採した切り株の断面から5㎝下からの萌芽を2~3株を残して切り株を再生させることが典型的な森の循環方法なのである。古来農民は、入会地で落ち葉を集め堆肥をつくったり、「もやわけ」を通じて樹間を整え太陽光の照射を均等にうけさせ雑木林の有効活用を図ってきた。また土壌を活性化させるために、落葉や枯葉を集め、微生物パワーで腐葉土の発酵をうながし、それらを土壌に漉きこんで雑木林全体の栄養・栽培管理を行ってきたのである。人力を土台に太陽エネルギーを活用するしかなかった時代、人びとは大地の、土壌の循環を促進させる術を知っていた。このように絶えず人の手を加えて、季節のリズムに適合しながら、春夏秋冬の自然の循環とともに生きてきた。焦っちゃイカン、循環は人と共にゆっくり廻るのだから。

 

 

~人と共に育つ紫草の性質~

 紫草栽培はいつも人と共に歩んできた。「紫」という漢字は「此(この)糸」の合成語。紫草に限らず染料植物は人類が発見した宝物だといえる。太古の昔から色素をうみだす染料植物のひとつとして、また病を治癒する薬効植物のひとつとして、古代人の生活圏になくてはならない貴重なものだった。布は糸で織られ、糸は染料植物で染められた。多くの草木染は花・葉・茎を染色素材として活用するが、植物から色素を抽出する典型的な染色技術である。なかでも紫草こそは〈根〉の応用化学の典型だといえよう。染料植物は薬効植物でもある場合が多く、薬効植物の発見は古代人の知恵の結晶である。そして薬効植物の紫草の〈根〉を原材料にした「紫草自然薬効化学産業」ともいうべき製薬企業が現代でも厳然として存続していることも注目に値する。

 

 維管束植物の特長は〈根〉と〈茎〉のパワーにある。紫草の場合、〈根〉は染料源・薬効源のタンクであり、〈茎〉はミネラル吸収ポンプだといえる。一方、〈葉〉は太陽エネルギーの受け手に過ぎないようにおもえる。紫草の根はまっすぐ直下に伸びるといわれるが、これはどうやら「通説・俗説」であるようだ。まっすぐな〈主根〉もあるけれど、結構ぐにゃぐにゃ曲がっている。〈茎〉はどうかというと、自立するものもあるが、これまたぐにゃぐにゃ曲がってまるで「横死」したかのように寝そべる傾向が見られるのである。二葉から若苗に育つ春から初夏の5、6月頃までは普通にまっすぐ伸びて自立している。しかし夏場の7、8月頃になると次第に葉茎が寝そべりはじめるのである。尤もこれは紫草の品種の違いによる性質なのかもしれない。

 

~カタチさまざま、紫草栽培における推論~

 西東京紫草友の会で現在育てている紫草は概ね7、8月頃から葉茎が寝そべりはじめる。だからといって支え棒(垂直を保つ添え木)を敢えて立てない。寝そべったまま放任している。鉢植え単品で見ればあまり見栄えはしないけれども、寝そべる直前には枝茎のつけねに種を実らせ、秋を迎える。長い畑のレーンならば生育場所の余裕もあろうが、鉢植えの場合はおもいのほか場所を取るのが難点である。「群れる」は「蒸れる」に通じる。そこで鉢植えの間隔をあけて寝そべる葉茎に隙間を設ける必要が生じる。この時期はまだ紫根の収穫の前なので、葉茎が寝そべったままの状態で〈根〉=紫根に悪影響しないかと気にかかる。葉茎の根元を指で触って観察すると、根元は茎の2.3倍の太さに成長しているのがわかる。

 

 ここからは推論である。葉茎が寝そべる原因はなんだろうか。それは紫草の品種によるとすれば説明しきれていない。植物は「天に伸びる」習性がある。でも植物にとって常に「光を求める」性質も光合成があらかたゆきわたると弱まり、葉よりも種に太陽光があたるように変化するのではないか。紫草は多年草でも、発芽→成長→結実の循環(ライフサイクル)は1年周期を繰り返す。一方、〈根〉の成長は発芽と同時にはじまり、結実前期から〈紫根〉も色素シコニンの蓄積期を迎えるために生命力の主要な発揮どころを葉茎から根に少しずつ移行させていくのではないかとおもうのである。結実した種が緑色から茶褐色に変じて白色に近づけば、もう光合成の役割は主要でなくなり、「成長能力」のエネルギーを〈紫根〉にシフトさせる。そして種に太陽光をあてることによって種の熟成を促せばよいので葉茎が寝そべっても差し支えなく、あとは地上と地下世界が維管束で繋がっていればOKになる。と、このように推論するがいかがであろうか。

 

~紫草露地栽培の実験フォト・レポート~

 以下の写真を見ていただきたい。7号鉢植え方式ではなく、深さ30㎝ほどの耕作を施した畑に鉢植えと同じ用土を混ぜ込み、マルチシートで覆って「1穴5粒前後の種」を直播きした。鉢植えの容器の壁がない状態なので、おそらく根は広い土中を得たようなものである。当初は防虫幕を架けたが、背丈が伸びた時点でまくり上げた。発芽率は約50%位だった。5月過ぎにはグングン成長しはじめ、6月には防虫幕をはずして完全な露天栽培を続けた。結果的に今夏の猛暑と直射にも耐え、マルチシートによる保水効果があった。7月には元肥と化成肥料の追肥を行うと、脇枝のシュートは少ないものの結実がはじまった。鉢植えよりも成長が一段と早く、8月初旬には最初の種を収穫できた。連作は不向きだろうが、同じ栽培方式を来季も採用したい。但し、根を掘り起こしていないので、根の張り具合はまだわからない。

 

 こうした栽培方式の最大のメリットは水遣りをはじめ世話が比較的容易で、作業負担が圧倒的に軽いことである。しっかりした紫根さえ収穫できればよいのである。大分県竹田市の栽培グループが先行している方式に準じたけれども、秋以降によい結果が得られるかも知れない。もし結果が良好ならば、来季は「雨除け日除けのミニハウス内での鉢植え栽培方式」とこの「露天マルチ栽培方式」の併用を考えたい。デメリットは用土量が増えることである。

 

 

 連載5回目は「エコキヤンプの夢、想像力が拓く世界」と題してお届けいたします。

 

蝋山哲夫
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