酷暑である。夏といえばお盆とセットになって戦争のイメージがある。今年はいつ終わるともしれないウクライナ戦争やコロナ禍で、よけいに戦争が意識される。戦争を知らない世代にとってもそうなのだから、マスメディアには山ほどの問題があるにしても、この夏の定番をつくったことについては評価したい。夏はこれでいいのだ、と思う。武蔵野の戦争ついてはこれまでも何度か述べてきたが、今回はその敗戦後について少しふれてみたい。
昔といっても、明治初期のこと。いわゆる三多摩地区は神奈川県に属していたことがあった。その後はずっと「東京」に帰属するが、この歴史は、多摩地区の微妙な位置をあらわしているのかもしれない。
(写真は、ひばりヶ丘駅に入線した東急東横線の車両。「神奈川県」は意外に近い)
さる4月下旬、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」で「武蔵関」が取り上げられた。この街が特集されるのは「おそらくテレビ初」というのが、〝つかみ〟の文言のようになっていた。それくらいマイナーというか、地味な街ということなのだろう。(写真は、桐野夏生『OUT』に登場すると思しき小金井公園)
トピックス的なことから始めたい。
2月のはじめ、来年春の NHK連続テレビ小説の発表があった。神木隆之介主演で「日本の植物学者の父」と呼ばれる牧野富太郎博士をモデルにした『らんまん』に決まったという。
この牧野博士、大泉学園に縁が深い。氏が1957(昭和32)年、満94歳で没するまで研究生活を送ったのが、大泉学園駅からほど近い場所だったのである。現在その地は「練馬区立牧野記念庭園」となっている。練馬区は張り切って区報の「号外」まで出した。その模様を2月17日の東京新聞が「地元沸く」と報じている(写真)。
杉山尚次(編集者)
前回に続き、国木田独歩の「武蔵野の発見」に関する議論をみていきたい。そうすることによって、近隣の見え方が変わってくるのではないか、そのヒントがあるのでないか、という期待をこめて考えたいと思う。今回、ちょっと理屈っぽいです。(写真は、冬枯れの武蔵野 西東京市の旧東大農場にて)