書物でめぐる武蔵野 第36回(最終回)
西武池袋線で悪かったな 武蔵野「散歩」主義の試み

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年12月28日

 最終回である。3年以上のお付き合い、ありがとうございました。連載タイトルでいうと、文学散歩の趣きだが、実際はもう少し広い領域の〝散歩〟となった。歴史、社会問題、都市論ほかなんでもありのエッセイに勝手にしてしまったのだが、最後も〝鉄道もの〟のようなフリをして、いろいろ述べるといういつもの仕儀でいきたい。

 

西武池袋線

西武池袋本店。かつてセゾン美術館の噴水があったところに設置されているオブジェ

 

池袋の微妙さ

 

 そこでタイトルにある「西武池袋線」から考察をスタートする。「西武池袋線」ということば=イメージが、実に多くの微妙さを含意しているような気がするからだ。

 いうまでもないが、実際の「西武池袋線」は、池袋から東京の郊外を抜け、埼玉県にいたる私鉄である。

 まず、池袋という土地からして微妙な感じが漂っていないだろうか。ひじょうにでかいターミナルなんだけれど、どこか垢抜けない。かつて東口・西武百貨店にはセゾン美術館があり、その向かいには「音と映像」の専門ビルWAVEが建っていた時代があった。WAVEの本店的な存在は六本木にあり、映画館も併設、カフェは「雨の木(レインツリー)」(大江健三郎由来)という名で、要するに80年代から本格化する日本の消費文化を語るときには欠かせない象徴的な存在だった。いまから振り返ると、知的スノビズムにみえなくもない、そうした西武系の文化=セゾン文化の拠点のひとつが池袋だった。

 パルコ発祥の地も池袋だし、個性的な書店も揃っていた。西口には東京芸術劇場があり、その先には立教大学がある。東急系の文化+青山学院大学があるという渋谷の街の構成に対してもひけをとらない〝文化度〟ではないだろうか。にもかかわらず、池袋の「ポジション」は高かったとは思えない。

 なぜそうなのか。本当をいうと、その理由はよくわからない。よくわからないものの、百貨店文化の凋落はいかんともしがたく(これは池袋に限らないが)、西武池袋本店の売却をめぐって、従業員組合はストを打った。この店の変質は免れないだろう。

 そうそう、ちょっと前までセゾン美術館の痕跡たる噴水跡が西武の1階にあった。これはセゾン文化の消滅を物語っていて、しみじみとさせられたが、さすがにまずいと思ったのか、オブジェが置かれていた。

 

池袋

現代アート作品だろうが、「アレ」にしか見えない

 

 池袋の「凋落」は続いているのか、これは見方次第だろう。ただ、そういうもんだ、ということをひとまず認めたうえで、西武池袋線について述べようとすると、同じようなニュアンスを繰り返すことになる。

 

「好き好んで住む」まちか

 

 連載でもふれたが、ある歴史家が「好き好んで西武池袋線に住む人はいない」という意味合いのことを語っている(26回)。要するに、西武線は東急線や中央線より「下」ということだ。

 こうあからさまに言われると、いろいろ言いたくなる。西武池袋線はマンガ家と縁が深い。若き日の手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが住んだ「ときわ荘」が椎名町駅近くにあり、彼らがこの沿線に住んだおかげで、マンガ家がマンガ家を呼んだ。竹宮惠子、萩尾望都の大泉学園、あるいは高橋留美子の東久留米などは有名だ。

 椎名町には、自宅を出ないという生活スタイルがあまりに特異で、それが映画にもなった画家・熊谷守一をはじめとして、多くの芸術家が住んだ「池袋モンパルナス」と呼ばれた居住区もあった。「どうだ」と言いたくなる文化度ではないか。

 さらに、西武池袋線には団地や住宅地にとどまらず、いくつも遊園地があったり(豊島園は閉園してしまったが)、埼玉西武ライオンズの本拠地が存在する。東京近郊の鉄道沿線で、プロ野球の一軍の試合を恒常的におこなう球場があるのは貴重だ。おまけに最近は東横線・みなとみらい線と直通になったので、横浜球場にも乗り換えなしで行けるようになっている。ちなみに、これは戦前の話だが、西武新宿線の上井草には「東京セネターズ」(系譜的には北海道日本ハムファイターズの前身)のホームグラウンドがあった(現在は都営の野球グラウンド、プロ野球は開催できない)。

 

西武ドーム

西武ドーム(現在ベルーナドーム)の遠景

 

 といろいろ挙げることはできるが、果たしてこれが反論になっているかというと、微妙であることを認めざるをえない。

 西武池袋線の前身の武蔵野鉄道が、戦前と戦後直後、都心から人間の糞尿を郊外の農地へ運んでいたことがあるため、「汚穢電車」などいうありがたくない蔑称を与えられたことも、マイナスイメージに一役買っているかもしれない。なら、そんなことを書くなと言われるかもしれないが、歴史はきちんと伝えるべきだ。都心と郊外をむすぶ糞尿の循環ネットワークは、いまだったらSDGsの先駆けだ、くらいのことを言えばいい(鉄道で運ぶのはどうかと思うが)。本文でも述べたが、江戸時代から市街地と郊外は糞尿でつながっていて、荻窪あたりでもそういう話はいくらでもある。西武池袋線特有のことではないのだ。

 

郊外で悪かったな

 

 ということで、そうしたいわれなき不名誉をそそぐためこの連載を続けてきた、というとすっきりするのだが、「西武池袋線」をめぐる事態はそれほど単純ではない。

 最近はそういう言い方をしないが、西武池袋線を「郊外電車」と呼んで間違いはないだろう。この「郊外」が問題なのだ。「郊外電車」という言葉のイメージからは、どこかのんびりとした田園風景が思い浮かぶが、21世紀の現在、「郊外」にはそんな牧歌的な要素はない。

 日本中、どの地域の郊外に行っても、同じような風景、ファストフードのように均質で、画一的な街が広がっている。それが「郊外」なのである。

 たしかに合理的で、「安心・安全」だが、生活世界のすみずみまでシステム化されて息苦しく、生きづらい。どこか倫理性を欠き、それまでの「常識」は通用せず、とんでもなく禍々しいことが起こってもおかしくないような空間。たとえていうと、歯止めが利かなくなったAIが悪さをするイメージといったらいいだろうか。

 こうした事態を、何回か紹介した社会学者たちの説にならって「郊外化」と呼ぶなら(23回)、日本社会全体が「郊外化」しつつあるといえるだろう。「郊外」は西武池袋線と田園都市線との差異を呑みこみ、その均質性を広げているということだ。

 これはいまに始まったことではない。戦後の高度経済成長と同期する「団地化」⇒消費資本主義の象徴のような「コンビニ化」⇒近年の著しい「ネット化」という流れは、社会のシステム化の進行過程であり、「郊外化」の歴史といっていいだろう。

 だから、そんな「郊外」には住まない、という人もいる。それは収入や趣味の問題であり、その人の勝手だが、そこには「貧乏人は郊外に住め」という考えが含意されているようで、主流になってほしくない考え方だ。しかし、「格差」は自己責任とする昨今の風潮と合致している。それに対抗する方策はあるのか?

 それはまたしてもよくわからないのだが、「郊外で悪かったな」と開き直るしかないと思っている。そのうえで、「郊外」として一括りにされている街について、一つひとつ固有の歴史を掘り出すしかないのではないかといいたい。

 なんにもないと思われている土地にも歴史はある。それをちょっと知るだけで、街が違ってみえることだってあるはずだ。微力ながらこの3年、その試みをやってみた。

 起点を武蔵野のどこかに置き、散歩のようにあちこちを探索した。地域は広がり、古代史に言及したこともある。ただ、とりあげた問題は、現在の日本の底流にふれていると思っている。

 この姿勢を武蔵野「散歩」主義と言いたい気分はある。しかし、筆者は歴史や社会学や地域活性論の専門ではない。使っているのも二次資料ばかりだ。いわば素人なのだが、ここでも「素人で悪かったな」と開き直ってみたい。素人流の気軽さで、あちこちを横断しているからこそみえるものがあるのではないか、という言い分である。

 どうも、開き直りこそが自分のやり方なのだ、と思えてきた。機会があれば、続きも書きたい。

 

ひばりが丘団地

何度も取り上げたひばりが丘団地の小公園。団地らしからぬ風景になっている。「まち」は勝手に変貌する

※連載のバックナンバーはこちら⇒  

 

 

杉山尚次
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