私たちが暮らす地域は戦後、どのような道をたどって現在に至っているのだろうか。連載企画「北多摩戦後クロニクル」は、北多摩北部(東村山・清瀬・東久留米・西東京・小平の5市)を中心とする地域の戦後の歩みをトピックごとにたどることで、地元を見つめ直し、東京郊外が映す戦後日本を点描する(毎週火曜掲載)。第1回は北多摩地域が第2次大戦時に経験した空襲を取り上げて戦後への導線としたい。(写真は、焼夷弾で消失した農家。1945年5月24日、現西東京市芝久保町。西東京市図書館所蔵)

杉山尚次(編集者)

 前回「鉄道忌避説」について書いたら、つい最近1月7日の東京新聞が、《JR目黒駅が目黒区ではなく品川区にあるのは、地元農民の反対によって位置がズレたため》という説があることを最終面でほぼ1ページ使い、イラスト風の古地図まで入れて記事にしていた。「真相は謎のまま」とは述べているものの、「忌避説」定番の「煙害」や「古老の話」がもっともらしく紹介されている。伝説がウイルスのように伝播していく見本のような記事だといえなくもない。伝説は知らないうちに感染うつってしまうのだ。

 東大和市の旧日立航空機株式会社変電所(戦災変電所)で4月8日、建物内部が一般公開された。昭和20年(1945年)、3度の空襲で工場は壊滅。変電所は奇跡的に残った。建物壁面は月面クレーターのように無数の弾痕で穿たれ、すさまじい空襲の様子を伝えている。空襲の跡が鮮明に残るのは全国でも珍しいことから、「西の原爆ドーム 東の変電所」として注目を集めている。(写真は、弾痕が残る建物の外壁)

 

黙禱する参加者。手前は、1トン爆弾の模型。写真撮影©ひばりタイムス

黙禱する参加者。手前は、1トン爆弾の模型。(写真©ひばりタイムス)

 西東京市平和の日の4月12日午後、平和の意義を語り継ぐ記念式典が行われた。黙禱に始まり、主催者の挨拶があり、空襲の模様を伝える紙芝居「タイムスリップ」が上演された後、あらたに制作された短編記録映画「忘れてはいけない記憶~西東京にもあった戦争~」が上映された。会場は、71年前のこの日、50人余りの犠牲者が出た西武新宿線田無駅前、いまは賑わいの中心になっているアスタビル2階のセンターコートだった。

1トン爆弾の模型

【空襲で投下された爆弾の実物大模型】

 昭和20年(1945年)4月12日。西東京市の旧田無駅付近は米軍の空襲に遭い、約50人の死者が出た。それから70年。「西東京市平和の日」の4月12日、西武新宿線田無駅北口前のアスタビル2階センターコートで、戦争の記憶を刻み、平和を願うイベントが開かれた。