西東京市平和の日

死者約50人、模擬原爆投下も 空襲70年の「西東京市平和の日」

投稿者: カテゴリー: 市政・選挙暮らし オン 2015年4月13日

 昭和20年(1945年)4月12日。西東京市の旧田無駅付近は米軍の空襲に遭い、約50人の死者が出た。それから70年。「西東京市平和の日」の4月12日、西武新宿線田無駅北口前のアスタビル2階センターコートで、戦争の記憶を刻み、平和を願うイベントが開かれた。

 午後1時過ぎ、黙禱のあと挨拶に立った丸山浩一市長は「戦後70年が経って、戦争と戦災の事実を伝える方々が年々少なくなっている。こういう催しを通じて、空襲の被害、多くの方々が亡くなられた事実と記憶を、後々に伝えていきたい」と述べた。

 空襲の狙いは、隣接する武蔵野市の旧中島飛行機武蔵野工場だった。関連の会社、工場があった旧田無、保谷市も爆撃されて多くの被害が出た。当時、田無駅付近に住んでいた濱野敏郎さんが、1トン爆弾がいくつも投下された空襲体験をつぶさに語った。

 約3ヵ月後の7月29日午前、市内柳沢一丁目(旧北多摩群保谷町上保谷柳沢)に模擬原子爆弾が投下された。広島の原爆投下に先立つ8日前、長崎投下の11日前だった。報告した「西東京に落とされた模擬原子爆弾の記録を残す会」事務局長の西田昭司さんによると、模擬原爆は1945年7月20日から8月14日まで計49発が日本各地に投下され、死者約40人、負傷者約1200人が出たという。柳沢に投下されたのはそのうちの1発。現在しじゅうから第2公園になっている当時のジャガイモ畑で、収穫中だった女性3人が亡くなり、11人が重軽傷を負った。

 

西東京市平和の日平和のリング

 

 この日はほかに、西東京の空襲を題材にした絵本「タイムスリップ」(高橋宏幸作)を基にした紙芝居が上演され、フルートアンサンブル「ピッコロ音楽館」のメンバーによる演奏も披露された。

 この催しは11日から開かれ、西東京市出身のシンガーソングライター、和/NAGOMIさんのミニコンサート、沖縄や田無の戦災体験を基にした朗読・語りの会、女性アンサンブル「こーろ・ふぁーら」によるコーラスもあった。

 会場には空襲の記録や当時の田無付近の写真などを記録したパネルが展示され、多くの人たちが見入っていた。

 主催したのは、非核・平和をすすめる西東京市民の会と西東京市。同会の鈴木治夫会長は当日出席出来なかったが、代読されたメッセージで、西東京市が2000年に誕生と同時に「西東京市平和推進に関する条例」を制定し、4月12日を「西東京市平和の日」に定めたと述べ、1年後に市民参加で「非核・平和都市宣言」を作った意義を強調していた。

 

【関連情報】
・西東京市の平和推進の取り組み(西東京市Web
・「非核・平和都市宣言」について(西東京市Web

 

 

 

北嶋孝
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死者約50人、模擬原爆投下も 空襲70年の「西東京市平和の日」」への4件のフィードバック

  1. 神谷文彦
    1

    模擬原爆投下については、投下された場所の破壊規模からして1トン爆弾ではないことは、後日、米国の情報公開のなかで5トン爆弾であったことが判明、当時日本の情報に5トン爆弾の存在情報は無かった。確認されたし。

  2. 2

    模擬原子爆弾の規模についてのコメント、ありがとうございます。
    ただ、この記事にでは、いわゆる通常タイプの1トン爆弾投下の話を紹介し、実物大の写真も掲載しました。しかし、模擬原爆の規模については触れていません。機会があれば紹介したいと思います。(北嶋)

  3. 3

    生活と自治12月号に模擬爆弾投下の記事が載っています、旧田無市に投下されたことを聞いていました。取り急ぎお知らせします。

  4. 4

    「生活と自治12月号、模擬爆弾投下の記事」の許可を得ましたので「パンプキン」の写真をブログ・https://16915802.at.webry.info/202011/article_9.htmlに転載しました。お知らせします。

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