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市民と共に犠牲者を悼む 西東京市平和の日式典

投稿者: カテゴリー: 市政暮らし オン 2016年4月16日

 

黙禱する参加者。手前は、1トン爆弾の模型。写真撮影©ひばりタイムス

黙禱する参加者。手前は、1トン爆弾の模型。(写真©ひばりタイムス)

 西東京市平和の日の4月12日午後、平和の意義を語り継ぐ記念式典が行われた。黙禱に始まり、主催者の挨拶があり、空襲の模様を伝える紙芝居「タイムスリップ」が上演された後、あらたに制作された短編記録映画「忘れてはいけない記憶~西東京にもあった戦争~」が上映された。会場は、71年前のこの日、50人余りの犠牲者が出た西武新宿線田無駅前、いまは賑わいの中心になっているアスタビル2階のセンターコートだった。

 1945年(昭和20年)のこの日、米軍のB29爆撃機の空襲で1トン爆弾が田無駅前や保谷町などに多数投下され、100人以上の犠牲者が出た。旧保谷市と田無市が合併して西東京市が誕生すると同時に、4月12日を平和の日と定める「西東京市平和推進に関する条例」も成立した。第2条では「平和施策を市民の協力と参加のもとに推進する」と市民協働の具体化を謳っている。主催は西東京市と、非核・平和をすすめる西東京市民の会。市と市民が共同で企画を進めてきた。

 丸山浩一市長は挨拶で「空襲体験を伝えてきた語り部の方々が相次いで亡くなっている。いまこそ体験を語り継ぎ、平和の意義を伝えていかなければいけない」と述べると、非核・平和をすすめる西東京市民の会の鈴木治夫代表は「あとで上映する記録映画で、最近亡くなった方々が登場します。貴重な最期の証言になってしまいました」と記録映像の意義を説いた。

 記録映画の上映時間は約30分。戦争末期、武蔵野市にあった旧中島飛行機武蔵製作所などの空爆が相次ぎ、4月12日には近かった田無駅北口付近だけでも50人以上の犠牲者が出た。戦後、戦災者慰霊の観音像が建てられた。その後、駅前再開発で少し離れた総持寺境内に移され、今年もこの日の午前、慰霊祭が行われた。

 

駅前から移された戦災者慰霊塔(平和観音)と石碑(©ひばりタイムス)

駅前から移された戦災者慰霊塔(平和観音)と石碑(©ひばりタイムス)

 

 映像の中で、駅ロータリーにある平和のリングの由来などの説明と共に、高齢になった空爆体験者や、救助に駆けつけた人が惨状を証言。その3ヵ月後の7月末に、長崎に落とされたと同型の模擬原子爆弾が市内柳沢地区に落とされ、農作業に出ていた住民3人が死亡、11人が重軽傷を負った事実も明らかになる…。

 映画の企画・制作は西東京市と非核・平和をすすめる西東京市民の会。撮影・編集は、市民団体の西東京シネマ倶楽部が担当した。

 市の協働コミュニティ課によると、今回上映した映像をさらに整備した後にDVD化を予定。図書館を通じて、夏以降にも市民に貸し出しできるよう検討しているという。

 平和の日のイベントは4月9日から始まった。空襲体験を語り(9日)、直撃弾を受けて生徒4人が死亡した市内の武蔵野女子学院の戦時下の様子を報告したり(10日)。戦時下の生活や空襲の事実を伝えるパネル展示と記録映画の上映は期間中続いた。

 アスタセンターコートで式典が行われと、通りかかった人たちも立ち止まり、ともに黙禱していた。
(北嶋孝)

 

【関連リンク】
・4月12日は西東京市平和の日(西東京市Web
・西東京市平和の日2016(西東京市Web

 

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