東京都の文化事業「東京文化財ウィーク2021」の一環として、西東京市郷土資料室の特別展「渋沢栄一が生きた時代 田無・保谷 歴史のあゆみ~西東京にのこる渋沢栄一 ゆかりの人々の志を追う~」が10月30日(土)から11月28日(日)まで、市内西原町4丁目の西東京市郷土資料室で開かれている。(写真は、郷土資料室)

杉山尚次(編集者)

 前回、大泉学園を舞台にした竹宮惠子と萩尾望都の若き日の確執の話から、永島慎二の阿佐ヶ谷に飛んだりしたため、この地について書き足りない感が残った。そこでもう一回、大泉学園を訪ねてみたい。まずは「練馬区立牧野記念庭園」から。(写真は、練馬区立牧野記念庭園 展示室の入口)

杉山尚次(編集者)

 ちょっと前のことになるが、意外なところで「大泉」の名前を目にした。  少女マンガ家・萩尾望都の『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)である。この本が4月に刊行されると、5月の「東京新聞」の匿名コラム「大波小波」が、続けざまに取り上げた。「もう一つの聖地の真実」(5.12)、「「大泉サロン」の亀裂」(5.19)。なにやら意味深である。(写真は、大泉学園駅北口にある看板)

ポスター

中止になった「盆踊りまつり」のポスター

杉山尚次(編集者)

 8月に取り上げる本は『盆踊りの戦後史——「ふるさと」の喪失と創造』(大石始、2020年、筑摩選書)にしようと前から決めていた。「盆踊り」は、これといって特徴のない町でも、かろうじて「地元」を感じさせるイベントだと思っていたからだ。ところが、コロナ禍2年目の夏で思惑が狂った。日本を代表する大規模な夏祭りのほとんどはとりやめとなり(五輪は強行されたが)、武蔵野近辺の町の祭りも2年連続で中止になってしまった。右に掲げたイラストは、昨年の東村山市自治会「南萩会」が用意した盆踊り用のポスター。20年ぶりに盆踊りが復活する予定が、幻になってしまったそうだ。今年も中止。せっかくの作品なので、描いた工藤六助氏のご厚意で掲載させていただく。

杉山尚次(編集者)

 「書物でめぐる」というわりには、新しい本を取り上げていないな、と思っていたところ、東京新聞の書評で『武蔵野マイウェイ』(冬青社)を見つけた(とはいっても4月のことだけど)。著者は『モダン都市東京 日本の一九二〇年代』など、ユニークな都市文化論で知られる海野弘。この連載8回で取り上げた陣内秀信が時を経て、郊外論を加え『東京の空間人類学』の続編を書いたように、海野弘も〝郊外〟なのかしらんと思いながら、読んでみた。(写真は「境浄水場」の隣を流れる玉川上水。隣にあるからといって、現在の玉川上水の水がここで浄化されているわけではない)

杉山尚次(編集者)

 前回の記事に詳しいコメントをいただき(有難いことです)、渡来系のひとびとが武蔵国にやってくるルートについて、筆者が記述した太平洋ルートだけでなく、日本海側からの経路も考えられるのではないかというご指摘があった。その根拠として東久留米には4社ある氷川神社の存在を挙げられ、この神社はそもそも出雲の国に由来し、その伝達の経路は日本海経由であるとされている。筆者は素人ゆえ、その当否を判断できるわけではないが、一古代史好きからすると、おっしゃる通りだろうと思った。このことについて、もう少し考えてみたい。(写真は、南沢の氷川神社)

杉山尚次(編集者)

 前回、「地形」が一種のブームになっていることを書いた。その盛り上がりは2013年あたりから確かなものになったと考えられる。というのもこの年、『日本史の謎は「地形」で解ける』(竹村公太郎、PHP文庫)というそのものずばりの書名をもつ本がベストセラーになっているからだ。この文庫は同著者が書いた『土地の文明』(2005年)と『幸運な文明』(2007年、両書ともPHP研究所刊)という本を再編集してなった、と記されている。つまり、「地形ブーム」という時流を読んだ著者もしくは編集者(たぶん後者)が、編集技術で見事にベストセラーをつくりあげた、ということになる。(写真は、新座市を流れる黒目川。古代の渡来人はこういう水路をさかのぼって来た?)

杉山尚次(編集者)

 もしも「ブラタモリ」がひばりが丘に来たら、という設定でこの回をスタートしようと思ったら、すでに同じ狙いの企画が「ひばりタイムス」に掲載されていた。それも3回。キーワードは「スリバチ(地形)」、つまり窪地。ひばりヶ丘駅周辺から東久留米を流れる黒目川、その支流の落合川、立野川などを経巡り、高低差のある地形とか暗渠といった特徴的なポイントを探る、研究者の解説付きの散歩イベント。タイトルは以下のとおり。どの回もきれいな写真が多数掲載されているので、ぜひ参照を。

杉山尚次(編集者)

 前回、この武蔵野地域(主に東久留米)に、外国の無線をこっそり傍受する旧日本陸海軍の2つの施設があったことにふれた。そして、海軍の「大和田通信隊」に注目し、関連する阿川弘之の戦記小説を取り上げた。今回は、陸軍の「北多摩通信所」が登場する吉村昭の戦記小説『大本営が震えた日』(新潮文庫)を読んでみたい。

杉山尚次(編集者)

 最近、東久留米市の北東のはずれ、新座市と境を接するあたりに温泉施設「スパジアム ジャポン」ができた(もちろん「ふんばり温泉」ではない⇒連載第3回ご参照を)。高台にある団地と航空管制施設(赤いアンテナ)が印象的だった場所に〝温泉〟という組み合わせが意外な感じがした。(写真は、米軍大和田通信所。フェンスには立ち入り禁止の札がかかっている=筆者提供)

杉山尚次(編集者)

 前回「鉄道忌避説」について書いたら、つい最近1月7日の東京新聞が、《JR目黒駅が目黒区ではなく品川区にあるのは、地元農民の反対によって位置がズレたため》という説があることを最終面でほぼ1ページ使い、イラスト風の古地図まで入れて記事にしていた。「真相は謎のまま」とは述べているものの、「忌避説」定番の「煙害」や「古老の話」がもっともらしく紹介されている。伝説がウイルスのように伝播していく見本のような記事だといえなくもない。伝説は知らないうちに感染うつってしまうのだ。

杉山尚次(編集者)

ふんばり温泉

 

 11月下旬のある日、東京メトロ有楽町線の駅から西武池袋線直通電車に乗ると、ちょっと異様な光景にでくわした。同じ絵柄のキャラクターのポスター類が車内を席巻している。「ふんばり温泉」という文字が目につく。西武電車にはよく登場する秩父の温泉かと一瞬思ったが、「ふんばり」??? キャラクターの絵柄はいまどきのタッチで、筆者のような〝古老(連載1回参照)〟にはなじみがない。よく見るとアクセス案内風に「ふんばりが丘」と駅名があり、その左には「南南東久留米」、右には「保々谷」とある。やっと、パロディなのね、と腑に落ちた。

『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東(2)京王・西武・東武』

杉山尚次(編集者)

 前回、井の頭線には昭和20年代、吉祥寺から北へ、田無を経由して東久留米に至るという幻の延長計画があった、という話を書いた。それはどういう経路だったのか ?  仮説を述べてみたい。推理の材料となった本を挙げておこう。

竹内正浩著『地図と愉しむ東京歴史散歩』(中公新書)

杉山尚次(編集者)

 いきなり私事で恐縮だが、筆者はひばりが丘に60年ほど住んでいる。100年前だったら間違いなく古老である。だからこのような原稿は、いってみれば〝古老の語り〟だということに気づき、愕然とした。しかし21世紀版のそれとしてやってみたいと思う。書物を〝散歩〟しながら、「ひばり」やその周辺の武蔵野散歩を楽しんでみたい。

発掘現場見学会場

 東久留米市のスポーツセンター近くにある「川岸かわぎし遺跡」の発掘現場見学会が1月25日(土)、午前と午後の2回開催された。めったに見られない発掘現場の公開とあって、午前の部には100人を超す人々が集まり、意外な賑わいを見せていた。