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牧野記念庭園

書物でめぐる武蔵野 第13回 大泉はなぜ「学園」なのか ?

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年10月28日

 前回、大泉学園を舞台にした竹宮惠子と萩尾望都の若き日の確執の話から、永島慎二の阿佐ヶ谷に飛んだりしたため、この地について書き足りない感が残った。そこでもう一回、大泉学園を訪ねてみたい。まずは「練馬区立牧野記念庭園」から。(写真は、練馬区立牧野記念庭園 展示室の入口)

 

日本植物学の父・牧野富太郎の庭園

 

 大泉学園と書物というテーマでいえば、牧野富太郎はトップクラスの〝大物〟になるだろう。牧野は1862(文久2)年、高知県生まれ。独学で植物研究の道に入り、採集と分類と著述に生涯の過半を費やした。発見・命名した植物は1500種類以上にものぼる。「日本植物学の父」といわれるゆえんである。

 

図版

『牧野日本植物圖鑑(初版・増補版)』デジタル版から

 

 大泉学園駅から徒歩5分のところに、牧野の住居と庭をベースにした練馬区立の「記念庭園」がある。1926(大正15)年、牧野は渋谷から東大泉のこの地に移り住み、1957(昭和32)年、満94歳で没するまでここで研究生活を送った。関東大震災以後、多くの人や施設が武蔵野地区に移動するが、牧野もその流れで移住したようだ。

 つい最近、テレビの「アド街ック天国」が大泉学園を特集、当然のことながら「牧野記念庭園」はランクインしていた。解説の山田五郎が「一家に一冊『牧野日本植物図鑑』」と述べていた(ウチにはないけど)が、それくらい定番ということだ。この『牧野日本植物圖鑑(初版・増補版)』は、ネット上で読むことができる(無料)*。

*(このデジタルコンテンツは公益財団法人高知県牧野記念財団と株式会社北隆館が、 牧野富太郎生誕150年記念共同事業として作成したものです。このコンテンツには、牧野日本植物図鑑(1940)と同増補版(訂正版)(1956)の全頁が掲載されています。

 

日本人の哲学

日本人の哲学4』の表紙

 哲学者の鷲田小彌太は、『日本人の哲学』(全5巻)の「自然の哲学」で牧野を取り上げ、その図譜の重要性を強調している。「「図譜」は「自然誌」の生命源」「研究成果の是非をはかる点で、写真よりはるかによくわかる」「二一世紀の現在でも、手書きの「図」が、動植物全般について、視覚だけでなく人間の覚知全般によくよく反応する。わかりやすいのだ。牧野「植物記」の成功の大きな因だろう」という具合だ。(4巻p91~p92、言視舎)。

 先のサイトでは、その図版をじっくり確認することができる。

 「牧野記念庭園」は、大泉学園駅南口(昔の姿を知るものとしては驚きの変貌を遂げたと感じられた)を出て、昔ながらの武蔵関・吉祥寺へいたる細いバス通りを行き、自動車教習所の脇を入ったところにある。300種類以上の植物が植えられ、企画展示室・常設展示室も見学できる。ちょっとした散歩にはうってつけだと思う。

 

BARレモン・ハート

 

 街ガイドみたいな書き方をすると、”庭園散歩のあとは、しぶいBARでホッコリしたひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか”。

 大泉はマンガの街であることは前回にふれた。『ダメおやじ』で知られるマンガ家・古谷三敏がオーナーをしているBARが大泉学園にある。その名は「BARレモン・ハート」。80年代なかばから「漫画アクション」などに連載され、現在も同誌に連載中の超長寿作品と同じ名前である。

看板

BARレモン・ハートの看板

 この作品は酒のウンチク・マンガ、といったらいいだろうか。舞台は「BARレモン・ハート」。だいたい一話につきひとつの酒をめぐるマスターと常連客が交わすウンチクに、飛び込みの客が持ち込むエピソードが絡む「人間ドラマ」となる。ウンチク・マンガというとだいたい偉そうな感じがどこかに漂ってしまうのが普通だが、この作品にはそれがない。きっと作者がそういう人なのだろう。代表作が「ダメおやじ」だし。

 で、作品のBAR空間と、現実の大泉のBARが交差する。店の酒の棚は作品そのもののような感じがした。……というのは、20年以上前、この店を訪れたときの感想。事情通の友人につれてきてもらったのだった。ただ、大泉は自宅から中途半端な位置にあるため、その後この店に通うことはなかった。

 

 そして10月に入り、禁酒法みたいな「緊急事態宣言」も明けたので、店に行ってみることにした。前に行ったときは、たしか昔あったPARCOの近くだったと記憶していたが、2003年に線路をくぐって北口から南口にぬける道ができて街の様子がすっかり変わっていて、さっぱりわからない。地図で検索し直してやっとたどり着いた*。もっとも店じたい、少し移動していたのだが。

*「大泉学園駅入り口第一」という交差点のすぐそば。練馬区 東大泉 4-2-15 原田屋ビル B1F。

 

酒棚

酒棚

暑かったので頼んだ「ジン・リッキー」

 17時開店で、その日の最初の客となった。外の写真は撮ったから、一杯だけ飲んで帰ろうと思っていたが、客一人、店主も一人、酒場で飲むのは久々ということもあり、結局話し込んでしまった。

レモンハートの表紙

BARレモン・ハート35巻』(2020年、双葉社)

 ものすごい種類の酒が並ぶ棚は、相変わらず作品世界とリンクしているようだ。威圧感がないのは、店主のバーテンダー氏の性格だろうか。彼は、古谷三敏氏のお孫さんで、三敏氏のマネジメントもされているという。85歳になる三敏氏が月1回「BARレモン・ハート」の連載を現在も続けられている理由のひとつは、「漫画アクション」を出す双葉社のいい意味での「ゆるさ」にある、などという出版業界の話や昔の大泉の話で盛り上がったのだった。

 こうしたオーセンティック・バーの存在は、その街の成熟度を示しているような気がするが、いかがだろうか。

 

 

なぜ「学園」?

 

 ところで、駅名についている大泉学園の「学園」とは何だろうか?
 たとえば「成城学園前」や「玉川学園前」の場合、近くにその名の学校がある。「都立大学」や「学芸大学」は、いまその大学はないが、かつてはあった。しかるに大泉学園には、それらしき学校はない。学芸大学付属の小・中・高はあるが、それが駅名に反映されているとは思えない。

 その「学園」とは何かというと、それは一橋大学(正確には東京商科大学)ということになる。大泉は大学に〝逃げられた〟というわけだ(なにやら田無と中央線のよう=連載1回参照)。手元の資料を見るとこうなっている。

 《(この駅は)大正13(1924)年11月1日に「東大泉」として開業し、昭和8(1933)年に現駅名に改称した。駅名に「学園」と入れることで、東京商科大学(現在の一橋大学)の誘致を狙ったというが、その目論見は成就することはなかった。》(矢嶋秀一『西武鉄道 街と駅の1世紀』2014年、彩流社、p32)

 ネットなどのウンチクもほぼこの解釈だが、よく考えるとちょっとヘンなことがある。「駅名に「学園」と入れることで誘致を狙った」とあるが、東京商科大の移転は大正15年、駅名改称の前だ。ということは、駅名で誘致することはできない。……

 

猪瀬直樹『ミカドの肖像』と栄枯盛衰

 

『ミカドの肖像』

ミカドの肖像』の表紙

 この「大泉学園」については、もっと前に読んだ記憶があった。それは猪瀬直樹の『ミカドの肖像』(1986年、小学館)に違いないと思っていた。

 同書は80年代なかばに書かれた大作で、やがて東京都副知事から知事になったノンフィクション作家の出世作。87年第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。バブル前夜、成熟を迎えようとしていた日本の消費社会のなかでも、隠然と息づく「ミカド」=天皇制のあり方をさまざまな角度から描こうとした力作。ロラン・バルトの「この都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」という引用から始まり、海外取材もまじえて海外からの天皇への視点もいれ、哲学者中村雄二郎との対談で終わるというものすごく凝ったつくりの本で、当時の大衆消費社会と不気味さをもつ天皇制をめぐる日本人のメンタリティを描こうとしている。

 ただ筆者には、この本の1/3ほどが、皇族に擦り寄りそのイメージを借りながら巨大企業に成りあがってきた西武グループの裏面史になっていることが印象的であり、じつはそういう本として記憶していた。本の前半を総括する言葉を引用する。

 《(西武グループの創始者)堤康次郎は、…日本人がなにに支配され、なにを欲しているか、知悉していた。…彼においては天皇制とカネ儲けがみごとに一致しており、それゆえに大衆消費社会の帝王となりえたのである。/しかし、日本人はカネ儲けよりも自分自身を探すことのほうが緊急である、と僕は信じている。》(p234)

 80年代、西武グループは栄華を極めているようにみえた。プリンスホテルは都心からリゾート地にまで増殖を続け、西武ライオンズも常勝球団へ快進撃、セゾングループは文化的な香りのするデパートや音と映像のWAVEなどで「おいしい生活」を売っていた。

 そうした西武帝国の裏側を描いて猪瀬は名をあげ、やがて権力の座へ駆け上る(2012年、東京都知事)。しかし、2013年、政治献金スキャンダルで知事を辞職。政治家としては失脚した。

 西武グループの堤一族の栄華も永続しなかったようにみえる。堤義明は2006年、インサイダー取引の疑いで逮捕され有罪となり、表舞台から退いた。セゾングループも寂しい限りだ。池袋の「セゾン美術館」は消え、書店界で一世を風靡した「リブロブックセンター」は三省堂書店に替わった。本丸の主が替わったみたいなものである。

 そういう意味でこの本は、内容以上にさまざまな栄枯盛衰を伝えていて、なかなかに味わい深い。引用した最後のセンテンスは、日本はこの後、バブル景気に酔い痴れ、やがてバブル崩壊の憂き目に遭い、さらには「失われた20年」を経たいまも冴えない状態が続いていることを予見しているようだ。そして、この作家は日本人に「自分自身」を知らしめようとして政治家となり、東京オリンピックを招致したのだろうか。よくわからない。

 

「国立」の意味

 

 『ミカドの肖像』はそういう本なので、大泉「学園」が一橋大学にふられた経緯について詳しく書いてあるかと思っていたら、それは記憶違いだった。大泉学園については、そっけない記述しかない。堤康次郎の年譜を引くかたちで、堤は大正9年に「箱根土地株式会社」を設立(のちの国土計画→コクドとなり、さらにプリンスホテルと合併するが解散)、さまざまな開発を進めていく。関東大震災の翌「大正13年、十一月、大泉学園駅を寄付(注:建築して寄付の意と思われる、ただしこの年はまだ「東大泉駅」だったはず)。大泉学園都市開発に着手。小平学園都市開発着手。/大正15年、四月、国立駅を寄付建築し、国立学園都市成る。一橋大学を誘致す」とある程度だ(p213にも同内容の記述がある)。

 大正13年に、堤が学園都市を大泉につくろうとし、そのときから東京商科大(一橋大)を呼ぼうとしたのは確かのようだが、ではなぜ一橋大移転後の昭和8年に駅名を変えたのかがよくわからない。とにかく学園都市をつくろうとしたのか、イメージだけの問題か、モヤモヤが残っている。

 最後にもう一つウンチクを。BARで語ると盛り上がるかも。
 セゾングループのトップで作家の辻井喬(堤清二)が、父堤康次郎を描いた長編評伝小説『父の肖像』(2004年、新潮社)に興味深いシーンがあった。「国立」という駅名のいわれがわかる。

「国分寺と立川の間だから国立か、うん、いい名前だ」(主人公楠次郎=康次郎の発言、p163)

 *この連載のバックナンバーはこちら>>

 

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