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書物でめぐる武蔵野 第11回 地元の盆踊り・今昔物語

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2021年8月26日
ポスター

中止になった「盆踊りまつり」のポスター

杉山尚次(編集者)

 8月に取り上げる本は『盆踊りの戦後史——「ふるさと」の喪失と創造』(大石始、2020年、筑摩選書)にしようと前から決めていた。「盆踊り」は、これといって特徴のない町でも、かろうじて「地元」を感じさせるイベントだと思っていたからだ。ところが、コロナ禍2年目の夏で思惑が狂った。日本を代表する大規模な夏祭りのほとんどはとりやめとなり(五輪は強行されたが)、武蔵野近辺の町の祭りも2年連続で中止になってしまった。右に掲げたイラストは、昨年の東村山市自治会「南萩会」が用意した盆踊り用のポスター。20年ぶりに盆踊りが復活する予定が、幻になってしまったそうだ。今年も中止。せっかくの作品なので、描いた工藤六助氏のご厚意で掲載させていただく。

 

西東京市の盆踊り・夏祭り

 

 まことに残念な事態だ。これで命脈を断たれてしまう盆踊りもあるのではないか。
 東京都下のちいさな町々にも「盆踊り」(夏祭り)はある。たとえば、ひばりタイムスのバックナンバーをみると、2018年には「田無名物盆踊り」(100回以上の歴史)、「北芝夏まつり」、「東伏見夏祭り大会」(盆踊りは60回以上)、「東町商栄会夏祭り・花火大会」(文理台公園)、「伏見通り商店会のにこにこ地域祭り」などが紹介されている(2018.7.31「7月最後の夏まつり、市内各所で特色 踊りの輪も広がる」)。

 ひばりが丘でも、北口商店街の「納涼夏祭り盆踊り大会」が記事になっている(2016.8.19「小路、路地、横丁のにぎわい ひばりが丘北口商店街の夏祭り」)。この盆踊りはかなりユニークだ。商店街には櫓を組みそれを取り囲んで踊るスペースがない。それでも踊る。どうするかというと、踊り手が長細いキャラピー状になって細い路地を練り歩くのである。選曲は、後でふれるような「ダンシング・ヒーロー」とかではなく、定番の「東京音頭」など*だから(*筆者の記憶なので、違っていたらごめんなさい)、商店街は熱狂の空間と化すわけではないが、踊り手、観客、露店があいまって相当密集した状態となる。「コロナ禍」ではとても実行できそうにない。例年8月最終の週末におこなわれていたが、今年も中止。

 

夏祭り

ひばりが丘北口商店街の夏祭り

盆踊り

そろいの浴衣で盆踊り(ともに2016年8月26日)

 

 気になるのは、よさこい踊りなどをまじえ規模の大きかった田無の「西東京サマーフェスティバル」が2019年をもって終了していたり、ひばりヶ丘駅南口、西友駐車場を会場にして28回を数えた「ひばり祭」が2016年で終わっていることだ(最終回のレポート「ひばり祭が第28回で閉幕 フィナーレに「名残の雨」)。祭りには当然金がかかる。それを支える商店街等の力がなくなると、コロナ禍がなくても、持続困難ということになるのだろう。

 

盆踊りのベースには

 

 このような「盆踊り」の変遷を、戦前から現在までたどったのが『盆踊りの戦後史』である。

 盆踊りのルーツは、一遍上人が広めた「念仏踊り」であるとか、いやいやもっと古く古代からの「歌垣」の風習だとか諸説*あり、地方によっても独自の展開を遂げてきた。「阿波おどり」「郡上おどり」といったメジャーな伝統行事もあれば、名もない町内の盆踊り大会もある。大小問わず共通するのは、お盆の時期におこなわれる「祖霊信仰**」という一面だろう。(*国文学者の西郷信綱は「歌垣から念仏踊りへ」という説を展開しているようだ。**これは柳田国男の『先祖の話』だろう)。

 著者はこう述べる。

《お盆は仏教における伝統行事というイメージが強いが、仏教伝来以前から行われていた先祖祭祀が根底にある。それが仏教という外来文化と結びつくことによって、現在も行われているお盆となったのだ。》p16

 このベースには、死んだ人の霊は村の裏山あたりにいる先祖たちの霊に合体するが、お盆に帰ってきて、そのイベントが終わるとまた山に帰っていく、という素朴な祖霊観が存在していると思う。これは信仰の問題ではなく、漠然とした社会的な無意識のようなものだ。

 この時期になると、そうした日本人の無意識がイベントとともに顔をのぞかせるようなことがある。広島・長崎の原爆投下や敗戦の日、甲子園の高校野球、そして夏祭りや盆踊り、あるいは墓参り。これらが終わると「夏」が行ってしまう感覚。それらはどれも「お盆」であり、都会の真ん中で祖霊が帰る山が近くになくとも、われわれは「祖霊」にふれているのかもしれない。

 

「ふるさと」の創出

 

 本に戻ろう。『盆踊りの戦後史』は、近代以前の盆踊りには性の解放の側面があったこと(つまりフリーセックスの時空だった)や、近代の為政者たちが祭りを政治利用しようとしてきた歴史(いつの時代も同じだ)にふれつつ、戦後の高度経済成長期にいたる。
そして、今日まで続く歴史的な厚みとは無縁の「薄っぺらい盆踊り大会」(p15)、つまりわれわれの身近にある「盆踊り」に焦点を当てていく。

 高度経済成長期、地方から多くの人びとが都会に移住し、新しい住宅地が形成されていった。その典型例が団地だろう。やはり、というべきか、本書では当時の皇太子夫妻の視察(60年)によっていわば〝お墨付き〟を得た団地ライフの見本として「ひばりが丘団地」が挙げられている。そして各団地でおこなわれた盆踊りが紹介される。なぜかひばりが丘団地の盆踊りについてふれられていない(滝山団地の盆踊りにはふれている)が、その様子はなんとなく想像がつく。というのも、その時期ひばりが丘団地から遠くない筆者の住む町でも盆踊りがあったからだ。

 それは「ふるさと」を離れてこの地に移り住んだ住民が、かりそめでもここに「ふるさと」を創造しようとするようなイベントであったに違いない。筆者の町の「盆踊り」は、それを支えたはずの小さな小さな商店街がスーパーの進出によって衰弱したのであろう、長続きしなかったと記憶している。

 

盆踊り

かつてこの場所に櫓が組まれ、盆踊りがおこなわれたことがあった。東久留米市浅間町、立野川近く

 

 商店街の衰退については、さまざまな要因が考えられが、「規制緩和」の流れとは無関係ではないだろう。規制がなくなることによって、同じような大型商業施設が日本中を席捲し、そのあおりで「シャッター商店街」がいたるところに発生した。これが90年代あたりから現在にいたる日本の住宅地周辺の風景だ。ひばりが丘団地在住の超ベテラン経済ジャーナリスト・師岡武男は、この事態を次のように批判する。

 《規制とは公的なルールのことで、目的には経済的・社会的な弱者や社会正義を保護するためのものがたくさんあります。…強者本位の社会を目指す自由主義グローバリズムは、それらの規制の緩和や廃止を要求するわけです。…その結果が…国全体の経済成長や豊かさを生み出すことになるでしょうか。そうではないことを、平成不況30年と失われた20年の経済が証明しているでしょう。》(『「対案力」養成講座』pp158~159、2021年、言視舎)

 

東日本大震災と「盆踊り」ブーム

 

 いずれにしても、団地型の盆踊りは、新しいコミュニティーのひとつとして「高度成長期が終わっても一定の意義を持ち続けた」ということだ(p117)。

 昭和50年代の特徴として、巨大な住宅都市である「ニュータウン」(多摩、千里、千葉など)の「アニ(メ)ソン(グ)」を貪欲に取り込んだ盆踊り、昭和60年代から平成にかけての〝バブル期〟には、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」までもが盆踊りになっていく様が描かれている(「ダンシング・ヒーロー」は21世紀になって再ブレイクした)。なるほど盆踊りはDance Musicだし、その始原から外来文化を取り入れてきたのだから、こうした変容は不思議ではない。

 しかし、バブル崩壊を経て、90年代末期各地の盆踊りは、支える人間の高齢化、不景気、マンネリにより一度衰退したようだ。これはなんとなく想像がつく。栄枯盛衰は世の習いだろう。それが、2011年の東日本大震災以降、盆踊りは都市部を中心にまたも盛り上がりを見せるようになったという。

 著者は、「震災直後の不安定な世情において…盆踊りが人と人を結び、人と土地を結びつけ」たと書く(p186)。ただしこの盆踊りは、従来のフォーマットをアップデートした野外の音楽フェスに近いもののようだ。音楽家の大友良英が参加した2003年の「プロジェクトFUKUSHIMA!『納涼盆踊り』」、DJやミュージシャンがパフォーマンスを繰り広げる中野区の「大和町八幡神社大盆踊り会」、「中野駅前大盆踊り大会」などがその例として挙げられている。だから「企業や広告代理店が盆踊りのフォーマットを流用して企画した盆踊り風イヴェントが一気に増加した」(p233)。この流れがコロナ禍で止まってしまった、というのが盆踊りの現状だろう。

 

モヤモヤ感

 

 これは好みの問題だが、本書が取り上げるそうした「盆踊り」という名の音楽イベントに、筆者は興味がない。ただ、団地でおこなわれている埼玉の盆踊りのエピソードが気にかかった。

 本書によると、2015年の日本への外国人移住者は約39万人。日本は、ドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ世界第4位の移民大国である。各地の団地では外国人住人の割合が急増している。挙げられた団地では中国人が圧倒的に多い。摩擦もあるが、融和を図る動きも出てきて、そのひとつとして盆踊りもある。

 祭りは問題なくおこなわれたものの、参加はするが準備等を手伝わない中国人住民に対し、「モヤモヤ感」が残ったという。つまり、タダ乗りじゃないかという感情である。これはアメリカにおいては、移民排斥を訴えたトランプを支持するメンタリティーに通じているとする。ひじょうにわかりやすい例だ。この「モヤモヤ感」と無縁であると言い切れる人はいないのではないか。排外主義は、こんなきっかけからも生まれるのだろう。
それを乗り越え、その共同体への「帰属意識」を育むためにも「祭り」をおこなう意義かある、と著者(たち*)は述べている。
 *この団地のエピソードは、著者の取材ではなく大島隆著『芝園団地に住んでいます』(2019年、明石書店)を引用しているため、このように表記した。

 それを否定する気はない。そうなればいいと思う。ただ、こういう排外意識は簡単になくなりそうにない。最後に、哲学者・内田樹の言葉を引用する。

《共同体を作るというのは要するに不愉快な隣人の存在に耐えること》(『こんな日本でよかったね』p118、2008年、バジリコ)

 

 中国人だろうが日本人だろうが、隣人はそもそも不愉快な存在なのだということである。それくらい人と人がわかりあうことは難しい。でも、そういうところから始めたほうが、外国人を特別視しなくてすむのではないだろうか。外国人問題に対するひとつの有効な視点だと思う。

 ★本連載のバックナンバーはこちら

 

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