記者たちによる津波被害の真相究明 by 兼子義久

 東日本大震災の津波被害を受けた沿岸部の学校は少なくはない。しかし、この本の主題となった宮城県の石巻市立大川小学校では、児童108人のうち74人が、さらに児童を引率した教員も当時学校にいた11人のうち10人が津波に巻き込まれ亡くなっている。学校管理下で亡くなった児童数では、戦後最悪の事故とされる。

「3.11から10年」表紙

新刊『3.11から10年」の表紙(クリックで拡大)

 東日本大震災から10年。間もなくやって来る「あの日」を控えて、新刊『3.11から10年―東北被災者と西東京市の人びとが紡いだ日々』が発行されました。A4判、70ページ。郷里を離れて西東京市に避難した人たちの声、被災者・被災地をこの間支援してきた西東京市の市民、団体、社会福祉協議会、市職員らの交流と足跡が綿密、丁寧に記録されています。企画編集・発行したNPO法人生活企画ジェフリー理事長の渡辺美恵さんが、本書誕生の経緯や交流の記録を紹介します。(編集部)

 東日本大震災から9年たった3月11日夕、西東京市、東村山市、清瀬市の市民団体がそれぞれ西武沿線の最寄り駅前で追悼キャンドルの催しを開いた。2015年から6回目のイベント。多くの市民が火を灯し、手を合わせた。(写真:ひたすら祈る。田無駅北口、午後5時55分)

木蓮の一種、マグノリアロイヤルが開花した(西東京市新町)

 うららかな陽気となった3月11日、東日本大震災から9年。新型コロナウイルスの影響で政府主催の追悼式は中止となったが、日本のあちらこちらで心を寄せていた人も少なからずいただろう。季節の花々は変わりなく春の到来を知らせてくれる。青空に向かって咲いた白い木蓮の花も、犠牲者を追悼しているかのようだった。(卯野右子)(写真は筆者提供)

 東北大震災から8年。東久留米市東本町の成美教育文化会館で今月10日~13日に写真展「東日本大震災-その後の8年」が開かれた。撮影したのは市内に住む兼子義久さん。定年退職後本格的に撮りためた中から57点を選び、展示した。(写真は、震災の写真展を開いた兼子義久さん。筆者撮影)

 西東京市の西武新宿線田無駅北口前で3月11日、5回目になる「3 11追悼キャンドル」が行われた。市民ネット西東京の代表秩父誠さん(70)の「犠牲者の方々をしのぶ追悼キャンドルです。どうぞご参加ください」の呼びかけに応えて、通りかかる人たちが、小さなガラス瓶420個のローソクに点灯。駅前がゆらめく灯で彩られた。(写真は、点灯のあと、手を合わせる小学生)

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 東日本大震災から8年。多摩六都科学館は3月10日(日)午後5時30分から、震災特別プラネタリウム番組「星空とともに」(約40分)を投影する。これまで同館は毎年企画してきたが、今年は多摩地区のプラネタリウム4館がこの期間に合わせて投影することになった。 多摩六都科学館は、入館料・観覧料ともに無料。

キャンドルに火を灯す親子(田無駅北口広場)

 東日本大震災から7年。「3.11追悼キャンドル」の催しが3月11日夕、西東京市の西武新宿線田無駅北口駅前で行われた。ガラス瓶に入った約300本のローソクが駅前広場の平和のリング脇に並ぶ。やがて通りかかった人びとの手で小さな火が灯る。多くの人たちが次々に手を合わせていた。

お試し体験チラシ600

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 東日本大震災で被災、首都圏に避難している女性たちを対象に、撮った写真を手掛かりに思いを語り合う「フォトボイス お試し体験グループ」の催しが5月末と6月初め、西東京と渋谷の2会場で開かれる。言葉にしにくい体験や思いを、写真を見ながら一緒に形にする試み。震災直後の2011年6月に被災地で始まり、避難者が生活する首都圏でも輪が広がっている。

津波で家屋が流された

【津波で家屋が流された被災地】

 東日本大震災から4年。震災は現地だけでなく、西東京の私たちにも多くの影響と記憶を残しました。3.11を考えるために、西東京市在住、勤務の5人に、わがまちの震災体験をまとめてもらいました。最終の第5回は、被災後西東京市に自主避難したましこ・りかさん(前・福島県三春町)の「普通に、平穏に、暮らしたい 自主避難者の願い」です。震災の避難者は復興庁によると2月末で約23万人。西東京市には181人が移り住んでいます。(編集部)

 >> 特集・わがまちの震災2015 (全5回)