Print This Post Print This Post
「止まった刻」

「わたしの一冊」第14回 河北新報社報道部著『止まった刻―検証・大川小事故』

投稿者: カテゴリー: 環境・災害 オン 2021年10月14日

記者たちによる津波被害の真相究明 by 兼子義久

 東日本大震災の津波被害を受けた沿岸部の学校は少なくはない。しかし、この本の主題となった宮城県の石巻市立大川小学校では、児童108人のうち74人が、さらに児童を引率した教員も当時学校にいた11人のうち10人が津波に巻き込まれ亡くなっている。学校管理下で亡くなった児童数では、戦後最悪の事故とされる。

 同校は北上川河口から3.7キロの位置にあり、襲った津波は当時の2階建小学校を優に超える約9メートルに達していた。市の津波ハザードマップでは「浸水予想区域外」とされていた。

 地元紙の河北新報社は「大川小の悲劇」を「大川小の教訓」とすべく全国に情報を発信すると同時に、真相究明を求める遺族の期待に応えようと2018年1月からの半年間、計49回にわたる調査報道を連載した。新聞協会賞を受賞したその連載記事に加筆修正してまとめたものが本書である。

 

最大の疑問を丁寧に検証

 

 実は、私は東日本大震災を写真で記録しようと震災発生の翌年から6年をかけ、北は岩手県普代村から南は福島県いわき市まで、震災遺構を中心に撮影を続けていた。大川小の出来事は親たちの裁判闘争を紹介する新聞記事で知っていた。在校生の7割もの子どもたちが犠牲となったその大川小の現場は、ぜひ自分の目で見ておきたいと強く思った。と同時に、まだ学校がそのまま残されているその間に“遺構”として記録しておくべきだとも感じた。

 この現場で撮影した写真は、2019年1月10日から開催した写真展「東日本大震災―その後の8年」で何枚も使うこととなった。本書が発行されたのは、それから6カ月後だった。

 裁判の争点でもあり、親たちの大きな疑問でもあった「(津波から安全な)裏山に避難せず、なぜわざわざ川のすぐそばにある高さ5、6メートルしかない三角地帯(堤防の一部)に避難したのか」。記者たちはこのことを目撃証言など一つ一つ取り上げながら丁寧に検証していく。目次を見ると、「激震―14時46分から15時10分まで」「迷い―15時10分から15時25分まで」などと当時の時刻を追って推移をまとめている。

 

司法が認めた学校側の過失

 

 仙台地裁では、2016年10月、「1、2分で行ける裏山に避難させなかった」として教職員の過失を認めた。さらに2018年4月、仙台高裁は校長ら大川小の幹部と市教委に組織的な過失があったとした。事前防災をめぐり、学校の法的責任を認めた司法判断は初めてのものだった。

 現地で見た三角地帯の印象は、海の中の岩場程度のものだった。海からさかのぼった津波が、この三角地帯すぐそばの新北上大橋(橋長566メートル)に激しくぶつかり、数メートルの白波を上げる映像がインターネットに残されている。これを見ると、素人でもなぜこんな危険な場所を避難場所としたのかとの思いを持つ。しかも裏山はグランドに隣接し、同校の子どもたちにとってシイタケ栽培などで日頃から親しんでいた場所だったのだ。親たちが疑問に思うのも無理はない。

大川小学校跡

大川小学校跡。奥に新北上大橋が見える(2016年5月8日、兼子義久撮影)

 

取材で発覚したメモ廃棄

 

 二つ目の問題点、それは市教委が児童らから聴き取りをしたメモなどを廃棄していたことが河北新報社の取材で発覚したことだ。また、文部科学省が主導した事故検証委員会の行なった聴き取り調査資料が、4年間も宙に浮いたままとなっていた。この調査は石巻市が5700万円を支出している。同市の財政にとって少ない額とは言えないだろう。戦後最悪と言われた学校管理下の事故資料が、これほどずさんな取り扱いをされていたという行政の実態は恥ずべきことだ。

 東日本大震災では各地で検証委員会が設置され、報告書にまとめられている。これらの資料では、亡くなった多くの被災者のことを取り上げている。今後の課題として分析し、将来にわたり貴重な資料として保管・活用を明確に規定する必要があるのではないだろうか。

 本書の中で、気仙沼市の震災記録に携わった東北大学災害科学国際研究所の川島秀一シニア研究員は「検証の独立性と透明性のバランスが重要」と指摘したうえで、「一次資料は報告書にとどまらない事実に近づく上で貴重で、公的機関による一元的な管理など将来的な再検証にも活用できる仕組みが必要だ」と語っている。

 

災害列島日本への教訓

 

 本書には大川小とは対照的な話が記載されている。それは福島県浪江町にある請戸小学校の事例だ。同小は海岸まで300メートルでしかも標高は3〜4メートル、周辺は農地や宅地の平地だ。大津波が来ればひとたまりもない。同町を襲った津波は最大15.5メートル、請戸地区一帯は水没した。子どもたちなどはどうなったのか?  標高40メートルの内陸の大平山までは約1キロ。発災後職員駐車場に集まった子どもたちなど約90人は、校長の指示で即大平山方向に向かい、全員が助かっている。

 この請戸小周辺にも撮影取材に行った。大平山には現在町営墓地が造営されており、ここから海辺に向かって請戸地区が一望できる。かつて農地や宅地があった地区は津波がすべてを持ち去り、単なる平原と化している。復興に向けて盛んに土木工事が行われ、ダンプが土ぼこりを上げて走っていた。

 東南海地震など巨大地震の到来が言われるこの災害列島日本。本書では国内沿岸部の小中学校にアンケートを行い、現状の問題や対応策などを取りまとめている。学校関係者をはじめ、子どもを持つ親の皆さん、ぜひご一読いただきたい。また、綿密な取材等を積み重ね、地方紙としての矜持きょうじを示した同社の記者たちに心からエールを送る。

 

【筆者略歴】
 兼子義久(かねこ・よしひさ)
 1952年生。東久留米市在住。2013年から東日本大震災の震災遺構を中心に撮影開始。2019年1月、「東日本大震災―その後の8年」として写真展を開催。現在は福島県内、特に帰還困難区域の状況を中心に撮影取材中。2年後を目途に写真展の開催を計画。

 

【書籍情報】
書名:止まったとき―検証・大川小事故
著者:河北新報社報道部
出版社(発行年):岩波書店(2019年)

 

(Visited 111 times, 1 visits today)

「わたしの一冊」第14回 河北新報社報道部著『止まった刻―検証・大川小事故』」への1件のフィードバック

  1. 廣澤公太郎
    1

    東久留米市在住に驚きました。読んでみます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA