祈り

被災者を悼む火は消えず 西東京、東村山、清瀬で追悼キャンドルの夕べ

投稿者: カテゴリー: 暮らし環境・災害 オン 2020年3月12日

 東日本大震災から9年たった3月11日夕、西東京市、東村山市、清瀬市の市民団体がそれぞれ西武沿線の最寄り駅前で追悼キャンドルの催しを開いた。2015年から6回目のイベント。多くの市民が火を灯し、手を合わせた。(写真:ひたすら祈る。田無駅北口、午後5時55分)

 

【西東京市】
 午後5時30分、田無駅北口前で「3・11追悼キャンドル」が始まった。「市民ネット西東京」が主催するイベントで6回目を迎える。コロナウイルスの騒ぎで人の往来も少ないし、マスクの人も多い。代表の秩父誠さんが「東北大震災から9年。キャンドルに火を灯し、手を合わせてください」と呼びかけると、足を止めて小さな瓶の中の蝋燭に灯を入れる人も増え、450個のキャンドルの灯が闇に浮かび上がった。

 

「平和のリング」の下で『3.11追悼キャンドル」の夕べが開かれた(午後5時36分)

ろうそくに火を灯して献灯する(午後6時38分)

 

 点灯した後、無言でゆっくりと手を合わせる人も多い。キャンドルに灯を入れた青年に聞いた。「近くで仕事をしています。大震災の時、まだ学生だった。あの時の経験で人に役に立ちたいと思い、地域のつながりを考える仕事を選んだ」と話した。

 秩父さんは「こういう青年もうまれてきている。細々とでも続けることに意味があると思う。来年は10年。まだ終われない。志を同じくする団体・グループと共同でもう少し盛大にイベントをやりたい」と抱負を語った。

 こうしたイベントも広がっている。4月2日には女性たちが田無駅前でキャンドルイベントをやることになり、秩父さんたちも協力することになった。
(川地素睿)(写真は筆者撮影)

 

【東村山市】
 まだ明るい午後6時過ぎ。主催のNPO法人「PAGE 2」の副理事長、木下清さんがマイクを握った。「イベント自粛が続いていますが、東日本大震災の追悼キャンドルの催しはやはりやらないといけない。思いが届くように、やりましょう」。

 

募金箱の横に消毒液、スタッフはマスク姿(久米川駅南口、午後5時43分)

 

 西武新宿線久米川駅南口改札のすぐ目の前に、受け付けのテーブルがある。やって来た人、通り掛りの人もメッセージを書き込み、手のひらサイズのLED付きキャンドルを持って、ガラス容器に入れていく。やがて「3.11」と「ハートマーク」が浮かび上がる。すぐ脇のスペースで、チーム「まちジャム」に集う人たちが復興支援ソング「花は咲く」を演奏する-。闇が濃くなるとキャンドルが輝きを増し、一帯は追悼の雰囲気に染まっていった。

 

メッセージが書かれたキャンドルが並ぶ(午後6時5分)

 

 この日のキャンドルは600本。スタッフが用意した用紙に、復興に向けた思いが綴られている。「共に生きよう」「つながっています」などの言葉が続く。「この日本で希望を失わずに生きて、子ども孫たちの支えでありたい」。こんなメッセージも、温かく輝く灯火に浮かび上がった。

 このイベントは2015年に始まった。「たま団塊世代交流会が震災復興支援で活動していましたが、どうせなら地元でそれぞれやろうとなって始めたんです」と木下さん。初めは東村山、清瀬、西東京、東久留米の4市だった。途中で東久留米が中断し、いまは3市で続いている。「今回はコロナウイルス感染対策で、スタッフはマスク、受け付けには消毒液も用意しました」と話していた。
(北嶋孝)(写真は筆者撮影)

 

【清瀬市】
 西武池袋線清瀬駅に着いたのは午後6時50分頃だった。「午後7時に終わります。話は後で。先に写真撮影した方がいいですよ」。北口の2ヵ所でハートマーク形にキャンドルが並び、ろうそくの火が揺れる。「被災者追悼キャンドル」の横断幕が見え、「祈りのともしび」の言葉も。暗い道路に、キャンドルの明かりが光り輝いている。

 

ハートの中に「3.11」が浮かぶ。上には数字の「9」も(清瀬駅北口、午後6時59分)

 

 「今年はコロナ感染のために要請もあり、規模を縮小しました」。実行委員会委員長を務める大槻義顯よしあきさんはこう話した。5年前に始めたときは500個のキャンドルを用意した。年々100個ずつ増やして今年は900個の予定だった。「広場を取り囲む道路の縁石にぐるっと並べる。噴水広場に今年も『3.11 を忘れない』『絆』とキャンドルで描く予定でした」。結局今年は660本のキャンドルに抑えた。

 

踏み台に乗って写真を撮る人もいる(午後6時56分)

 

 約35人のスタッフが二手に分かれ、キャンドルを灯しながら、道行く人に声を掛ける。ボランティアセンターの腕章を腕に付けた人も多い。午後5時30分頃点灯して約2時間。7時を過ぎるとみなが手際よく撤収作業に入った。

 大槻さんは震災直後、ボランティアとして現地に出掛けた。「その時に見た光景が忘れられません。3日間、泥まみれで作業しました」。それが追悼キャンドルを続ける力になっている。「いま83歳です。今回も大変でしたけど、来年は(震災から)10年でしょう。キャンドルを1000個にして追悼したい。それまでは何が何でもやる、と決めてます」。
(北嶋孝)(写真は筆者撮影)

 

【メモ】
 マグニチュード9.0の地震が起きたのは、2011年3月11日午後2時46分だった。
 復興庁によると、福島県相馬市で最大波9.3m以上、岩手県宮古市で同8.5m以上の大津波が襲来し、12万1,995 戸が全壊。10都県241市区町村が災害救助法の適用を受けた。そのうえ東京電力第一原子力発電所が地震と津波で被害を受け、放射能汚染を引き起こした。いまだに被災の爪痕は消えていない。避難者は当時47万人、今年2月時点で4万8000人いるという。
 警察庁が今年3月10日現在でまとめた被災による死者は1万5,899人、行方不明は2,529人だった。災害関連死を含む死者は昨年3月の時点で、復興庁のデータによると、1万9689人に上った。

 

川地素睿
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