田無駅前で5回目の「3.11追悼キャンドル」 大震災から8年の灯火

投稿者: カテゴリー: 暮らし環境・災害 オン 2019年3月14日

 西東京市の西武新宿線田無駅北口前で3月11日、5回目になる「3 11追悼キャンドル」が行われた。市民ネット西東京の代表秩父誠さん(70)の「犠牲者の方々をしのぶ追悼キャンドルです。どうぞご参加ください」の呼びかけに応えて、通りかかる人たちが、小さなガラス瓶420個のローソクに点灯。駅前がゆらめく灯で彩られた。(写真は、点灯のあと、手を合わせる小学生)

 東日本大震災から8年。死者、行方不明者、震災関連死は合わせて約2万2000人。まだ5万2000人が故郷から避難したままだ。

 

ローソクの光が広がっていく

 

 午後6時、暗くなりはじめた駅前で約20人のボランテイァの呼びかけに、家族、高齢の方たちやカップル、高校生、サラリーマンなどが次々に点灯した。剣道の練習帰りの小学生も火をともし、東北の方向に手を合わせた。駅前通路に半円を描くように置かれたキャンドルが、光の帯のように広がった。

 

「ふるさと」を弾くノボさん

 

 ボランテイアの勝正俊さんは、「地域へ帰ってきても知り合いが誰もいない。誘われて参加した。これは大切な活動。5年目になる」と話す。

 「夕焼け小焼けで日が暮れて」のメロディーが流れてきた。鉄琴を演奏するノボさん(愛称)は「初めての参加。被災地で『ふるさと』の歌をみんなが歌っていた。その思いを込めて弾いている」という。

 

8年前、女川は壊滅していた

 

 8年前、3月11日の1カ月後の4月、水と食料を積んだ車で宮城県の石巻市と女川町に走った。車の窓を密閉し、目張りをしてフクシマを通り抜けた。石巻の町はずたずたに、女川はほぼ壊滅に近く、まるで爆撃の跡だ。瓦礫の中で、魚が腐ったような匂いが充満していたことを思い出す。

 被災者を支援している渡辺美恵さんは「西東京でも、まだ約100人が帰れないでいる。帰った人もいるが、現地になじめないで苦しんでいる人もいる。つながりがないと、人は生きていけない」と話した。

 

駅頭で声をかけ続けたメンバーたち。前列右端が秩父さん

 

 この企画は市民ネット西東京が主催し、定年後のお父さんを迎えようと活動している「おとぱミディ」の有志や市民協働推進センター「ゆめ(夢)こらぼ」のメンバーが協力している。代表の秩父さんは「近くの5市の人たちが集まって、震災を忘れないという思いで始めました。集まった募金は、市を通じて東北に送っています。参加してくれる人も増えているし、イベントにかかる費用も、みんなで分担してくれています。あと、5年。10回まではやめられないですね」と声を強めた。

 警察庁が3月8日に発表した東日本大震災の死者は1万5,897人、行方不明は 2,533人。復興庁が昨年12月末に発表した震災関連死者は3,701人。合計2万2,131人に上る。
(川地素睿)(写真は、筆者提供)

 

【関連リンク】
・平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震の警察措置と被害状況(警察庁、PDF:119KB
・東日本大震災における震災関連死の死者数(平成30 年9月30日現在調査結果)(復興庁、PDF:309KB
・全国の避難者数(復興庁、PDF:339KB

 

川地素睿
(Visited 735 times, 1 visits today)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA