東久留米市で「東日本大震災」写真展 「被災の現実を刻みたい」と57点展示
東北大震災から8年。東久留米市東本町の成美教育文化会館で今月10日~13日に写真展「東日本大震災-その後の8年」が開かれた。撮影したのは市内に住む兼子義久さん。定年退職後、本格的に撮りためた中から57点を選び展示した。(写真は、震災の写真展を開いた兼子義久さん。筆者撮影)
妻の実家福島へ
震災当時、中野区役所で働いていた兼子さんはすぐ休暇をとり、乾電池やパン、そして腐らないものをワゴン車に積んで、妻の実家と兄弟の家がある福島に向かった。当時は大津波と同時に放射能汚染が心配で、行くのにも覚悟が必要だった。ガソリンスタンドも閉鎖、帰りの燃料も心配された。一番大変だったのは、物資の搬送がまったく途絶えていることだった。
退職後、本格的に撮影
それから数年、たしかに商店街の通りは復興したかに見える。しかし、1万5899人が命をおとし、2529人が行方不明のままだ(2019年12月10日、警察庁発表)。兼子さんは、区職員当時環境部門にいて、放射能測定に従事していたこともあって、被災地のことも放射能にも関心が強い。「瓦礫の片付けも必要だが、自分がやれることをやろう。この被害を写真として残したい」と、定年退職後、本格的にマイカーを走らせ、岩手・宮城・福島の姿を撮影した。
震災遺構を残したい
震災の爪痕が色濃く残されていた遺構も、さまざまな理由で取り壊されることが多くなっている。兼子さんは「遺構が消えると、被災の現実がひとびとの記憶からも消えていく。忘れないとの思いで、震災遺構を中心にまとめて展示した」と話す。
たろう観光ホテル、大槌町旧町役場、大川小学校、南三陸防災庁舎、奇跡の一本松などの遺構写真が次々に並べられ、見る人を圧倒した。
兼子さんは「被災地の現状を理解し、思いを馳せ、具体的な支援に取り組んでほしい。情報は生で、自分の目で確かめてほしい。あわせてこれを教訓に、首都圏直下型地震などの災害に備えてほしい」と願っている。
(川地素睿)
【関連情報】
・東北地方太平洋沖地震の警察措置と被害状況(警察庁緊急災害警備本部、2019年12月10日発表)(警察庁、PDF: 170KB)
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